十四.戦いの時が来りて邂逅の時が近づく












「ほう……ルシェルが敗れたか」
 魔族の『本拠地』に帰ってきたウィルザは親衛隊からの敗戦報告を受けても全く顔色を変えなかった。だが、続く報告には明らかに様子を変えた。
「なお、悪魔騎士殿は重傷」
 ぴたり、と止まったウィルザはそのまま尋ね返した。
「命に別状は?」
「現在治療中とのことです。回復の見込みは五分とのこと」
「そうか」
 唇を噛んで部下の身を案じる。
(やむをえないな。相手は最強の剣士だ)
 だが、部下の身を案じると同時に、自分の中に競りあがってくる別の感情もあった。これはウィルザが魔王になってから覚えた感覚だ。
 クリスとの戦いの時にも感じた。
 自分と同じ力を持つ相手と全力を尽くして戦う。
 力を持ったがゆえに、自分と同じ力を持つ敵を求める。
 救われないサガ。
(ルティアか……すぐにも行ってみるべきだろうな)
 フィードは今、別の仲間を迎えに行ってくれている。それならば、最後の一人くらいはやはり自分で赴くべきだろう。
「シャドウ、いるな」
 す、とウィルザの影から現れる。呼べば現れるこの騎士を、実は一番信頼しているのかもしれない。
「俺を連れていってくれ。ムーンブルクへ」
 シャドウの体が伸びて、ウィルザの周囲にまとわりつく。
 そしてウィルザの体が影に囲われて見えなくなる。
 再びその影が解けたとき、ウィルザの体はどこにもなかった。






「ここがムーンブルク」
 初めて見た光景に、リザもグランも完全に目を奪われていた。かつてロマリアやポルトガ、サマンオサ、豊かな国はいくつも見てきたが、ここもそれらの国にひけを取らない、いや勝っているといっていいほどの繁栄ぶりだった。
「久しぶりに来たけど、やっぱりここはいいとこだな」
 デッドも顔をほころばせて言う。だが一方のクロムとマリアはあまり浮かない顔だった。
「城壁が低すぎないでしょうか。あれでは魔族に攻め込まれたときに万全の防備体制を取ることができません」
「それに門が広すぎます。開けるのにも閉めるのにも時間がかかってしまう」
 クリスはそれを聞いて苦笑した。
「メルキドが異常なのさ。あれだけの防御力を持つ町はこの世界のどこにもないだろうさ。実際私たちの世界にもどこにもなかった」
 だがそれも、普段からあの街の中で暮らしている者には分からないのかもしれない。何かに囲まれているというのは安定しているという意味でもある。見わたす限りの広さを持つ景色というのは逆に落ち着かなくなるものなのかもしれない。
「さて、城へ参りましょう。勇者ウィルザの名声はこちらでも充分響いていますよ。ファン王も必ずお会いくださるでしょう」
 ガライの勧めで七人は街の中心にある城へと向かう。
 さすがに戦闘状態に入っているだけのことはあり、街には穏やかならぬ雰囲気が漂っている。いくつかの店は臨時休業となっている。もしかしたら店主も戦争に参加しているのかもしれない。
「……徴兵?」
 グランが悲しげに聞く。だが結論は分からない。城へ行ってみることが先だ。そこでいろいろなことが分かるだろう。
 城門までたどりつくと、兵士たちが剣を構えて尋問してくるので身分を明かし、城内に招かれる。
 そして連れていかれたのが小会議室であった。戦争中ということでもてなしをすることはできないが、しばらく待ってほしいとのことだった。
「やれやれ、いっそのこと戦争に協力してくれとかって言ってくれたらなあ」
 デッドがそう言うと、クリスが軽口に乗った。
「そうだね。ウィルザはともかく、魔族とは戦わなければならないわけだし……」
「せっかくだから協力するのもありってこと?」
「……そうね。そうすれば、ウィルザに会えるかもしれないわ」
 三人は真剣な表情で考える。と、そのとき扉が開いた。
「では、ぜひとも協力していただきたい。クリス殿、リザ殿、グラン殿」
 入ってきた人物は少年と少女だった。少年の方は炎のような赤い髪に小柄な体つき、だが必要な筋肉はしっかりとついており、一流の戦士であることが分かる。一方の女性の方はその少年よりもさらに小柄な体つきで、雪のように白い肌と純白の髪を備えていた。
 少年の方はその体と同じくらいの大きさの大剣を背中に負い、少女の方は刃渡り七十センチほどの片手小剣を腰に差している。
 おそらく年齢は、グランと同じ程度だろう。
「お待たせしました。私はレオン。ムーンブルク軍を率いている者です」
「軍を?」
 クリスが驚いて少年を見返す。
「若いとお思いでしょうか。確かに僕はまだこれで十六歳です」
「十六で軍を率いているのですか」
「ええ。私は十歳のときにライデインを使いました。あれは勇者にのみ使える魔法。それ以来、僕は『ムーンブルクの勇者』と扱われています。またそれに見合う力も備えているつもりです。もっとも、クリス殿にはかないそうもありませんが」
「そんなことはないよ。あんたは強い。それくらいは分かるさ」
「相手の力を認めることができるというのは、自分がそれ以上の強さを持っているということです。僕にはクリス殿の力がどれほどあるのか、こうして初めてお会いしましたけど底が見えない。現状では僕は到底クリス殿におよびません」
 だがそれを理解できているというだけ、十分に力を持っているという証だ。
「クリス殿、リザ殿、グラン殿がこちらへ来られた理由は分かっているつもりです。魔王、の件ですね」
 先にレオンの方から切り出してきた。三人は表情を変える。
「ウィルザ殿にお会いしたいのですか?」
「そこまで知っているのなら話は早い。そうだ、あたしらはウィルザに会うためにここにきた。ムーンブルク軍が魔族の軍を押し返していると聞いた。ここにウィルザが現れる日も近いだろう。だからここに来たんだ」
「確かに僕たちは魔族の軍を一時的に押し返しています。ですが……」
 レオンは隣の少女を見た。そして苦しそうに言う。
「ムーンブルクは、もうあまり長くないと僕は考えています」
「どういうことだい?」
「戦力の低下。前の戦いで兵士の死者が一〇四四名、重軽傷者はその数倍です。満足に動ける兵士は前回の約半分。次の攻撃を防ぎきれる保証はありません。また、それを防ぎきったとしても第三派を防ぐことは不可能でしょう」
「おいおい」
「勇者ともあろうものが、とお思いかもしれません。ですが、勇者だからこそ冷静に状況を分析しなければならないんです。このまま魔族との戦争を続けていたら消耗戦で敗れてしまう。この国を助けるためには方法はたった一つしかないんです」
「それは?」
「簡単です。魔王ウィルザを倒すこと」
 三人の表情がこわばる。
「それがあなたたちにとってどれだけ苦しいことかは心得ているつもりです。勇者ウィルザの伝説はこのムーンブルクの地まで聞こえていますからね。そのウィルザが敵になるということは、今ですらこの街の人たちのほとんどは知りません」
「でもあんたは知っている」
「そうです。僕には情報提供者がいましたから」
 少年は隣の少女に視線を移した。
「彼女はルティア。魔王ウィルザに会うために僕に協力してくれています」
 白い少女は会釈をした。
「ただの人間じゃないみたいだね」
「ええ。彼女は魔族。それもかなり高位の魔族です。国王はもとより、そのことは僕以外の誰も知りません」
「魔王と会って、どうするつもりなんだい?」
 レオンは答えなかった。少女は『答えてもいいのか』という意味の視線を小さな勇者に送る。少年が頷いて答えると、ゆっくりと口を開いた。
「戦います」
「何のために?」
「魔王の本質を見分けるために。もし魔王が私の望まない人物であれば、これを倒します」
「もし、あんたの望む人物なら?」
「魔王に協力します。私の望みは、より強い魔王に仕えることですから」
 倒すか、従うか。
 彼女にはその二択しかないのだという。
「……レオン」
 クリスはため息をつきながら話す。
「あんた、言葉だけじゃなくて本当の勇者だね。五分の確率でこの子は敵になるってことじゃないか」
「そうなりますね。でも、僕には自信がありますから」
「何の?」
「ウィルザよりも強くなれる、という。もちろん今はまだ駄目です。まだウィルザにもルティアにも勝てない。クリス殿にも。でも、必ず追い越してみせる。すぐにでも」
「でも、戦うのは今なんだろう?」
「そうです。そこがネックですね。でも僕は負けるつもりは少しもありません。それに……僕はルティアのことが大切だから」
 はっきりと言う。だが、ルティア自身は全く表情に変化を出さない。
「それでルティアに認めてもらおうってわけかい」
「いけませんか?」
「いや、悪くない考えだと思うよ。でも、あんたの気持ちじゃ多分、ウィルザを超えることはできないだろうね」
 クリスははっきりと言った。
「何故、でしょうか」
「思いの強さが違う。あんたがルティアのことを思う気持ちより、ウィルザが人間を滅ぼそうとする気持ちの方が強い」
「……思いの強さが判断できるんですか」
「できる。多分、あんたがルティアを思う気持ちと、ウィルザがリザを思う気持ちは同じくらいだと思う。そのリザを捨ててまでウィルザは事を成そうとしている。ウィルザにはそれだけの使命感がある。自分の全てを犠牲にしてでも成し遂げなければならないという気迫がある。あんたにはそれがない」
 レオンは答える言葉をもたなかった。反論しないあたりはまだ冷静というところか。
「レオンのことはともかく、彼があなた方に求めているのはその魔王陛下と戦う意思がおありか、ということです」
 少女が静かな声で続ける。
「それは……」
「仮にあなたの言うことが正しいのだとすれば、魔王陛下はその使命のためにあなた方と戦う決心をなされたということです。そしてあなた方は人間を守るという使命のために魔王陛下と戦う決心ができているのかといえば、そうではない」
「……そう、その通りだね」
「魔王陛下と戦う意思がおありですか。おありでしたら、ぜひレオンに協力してあげてください」
「ルティア」
「私は……あなたの想いには応えられない、レオン。私は魔王陛下に殺されるか、魔王陛下のために働くか、どちらかしかできないのだから。そしてどちらにしてもあなたの傍にはいられないのだから」
「駄目だよ、ルティア。そんなことを言っては。魔王は僕が倒す。だから君は、ずっと僕の傍に──」
「それは、私の願いではないの」
 哀しげにルティアは答える。
「私は『魔王』という存在を愛しているの。でもそれはゾーマのような出来損ないのことじゃない。『魔王』としての──」
 そのときであった。
「レオン様! ルティア様!」
 兵士の一人が会議室へ駆け込んでくる。
「魔族の第二派です!」
「ついにやってきたか。よし、第一級戦闘配置! 市域には戒厳令! 情報部隊に敵兵力の分析を急がせろ! 僕が直々に出陣する!」
「はっ!」
「ルティア、行くぞ」
 少女はただ頷く。そしてレオンは客人たちを見た。
「もし、ご協力いただけるのでしたら下の広場にいますので、ぜひ来てください。来たということを協力する証と思わせていただきます。その際には非常に申し訳ありませんが、お三方の名声を使わせていただきたく存じます。では、失礼」
 レオンとルティアは走って出ていってしまった。
「……どうする?」
 クリスは二人に視線を移す。
 ほとんどレオンと話をしていたのはクリスだ。こういう場合、話をするのはクリスかウィルザと相場は決まっていた。役割分担はできていたのだ。
「戦いに出るべきではないと思う。オイラたちはここの人間じゃない」
 消極論を提示するのはグランだ。
「……私は行きたい。ウィルザに会える可能性が少しでもあるなら」
 積極論を提示するのはリザ。
 となると、クリスの意見一つで結論が出るということになる。
「……正直に言う。私はグランと同じ意見だ。それにグランも、本当の理由はきっと違うだろう」
「……」
「つまり、あたしたちは一度ウィルザに出会っている。でもリザ、あんたは出会っていない。多分、その差だと思う」
 沈黙が場を支配する。
 クリスの言いたいことはリザにはよく分かった。完全に変わってしまったウィルザ。そのウィルザをクリスとグランは既にウィルザに会っている。つまり、今のウィルザとは会いたくないのだ。
 だが自分はまだウィルザに出会っていない。だからウィルザのことをまだ信じている。それも、強く。
「それでもだ」
 クリスは戦士の表情になって続けた。
「あいつは言った。魔王になんてなりたくはなかった、と。殺してくれ、と。もしあいつが本当にそれを望むのだったら、それをするのは私の役目だ。私はこの間、それを拒否した。でも……もう、逃げない」
 グランが大きく息をついた。
「……ウィルザの件はやはり、僕らで決着をつけなきゃいけないってことだね」
 そして、リザがまとめた。
「私だけがウィルザに会っていない。私はウィルザに会いたい。会わないと、この気持ちは抑えられない」
「後悔するかもしれないよ」
「あのとき、彼を見送ってしまったからこうなったのだとしたら……もう後悔している。今会わなかったらずっと後悔する」
「よし、決まりだ」
 三人が立ち上がる。じっと黙っていた残りの三人もそれに応じて立ち上がった。
「ご協力いたします、クリス様」
 マリアが言い、クロムが頷く。
「ま、露払い役は多い方がいいだろ」
 デッドが長剣で肩をとんとんと叩いた。
 六人は頷くと、広場へと向かって駆け出していった。







 その少し前──魔王ウィルザは戦場に到着していた。
「ウィルザ様……申し訳、申し訳ございません。ウィルザ様の兵を、多数、損ない、ごふっ」
「いい。喋るな、ルシェル」
 ムーンブルクから少し離れた野営地。重傷を負って蒼白な表情になっているルシェルをウィルザが見舞った。
「相手にルティアがいたのだろう。お前の姉だな、話には聞いている。相手が悪い。噂に名高い三魔将の中でも最強の剣士を相手に、それもお前の師匠を相手に勝てようはずもない。お前を責めたりはせん。せっかく永らえた命、ゆっくり養生せよ」
「はっ、申しわけ……」
「喋るな、と言うのに」
 ウィルザは笑った。この忠誠心厚い部下がなくなるようなことがなくて本当によかったと思う。
 だがそのルシェルをここまで徹底的に打ちのめすことができるほどの実力を持つというルティアがこの先にいる。
(……俺と戦うつもりなのか?)
 相手の考えは正直分からない。とにかく会ってみる必要がある。
 こちらの損害は実際のところ多くはない。ムーンブルク軍が頭、すなわちルシェルを倒すことに専念してくれたおかげでモンスターたちの損害はほとんどないまま終わった。
 敗れたのはルシェルが倒れたためで、それはつまり、全軍の再編成が非常に容易いという意味でもあるのだ。
 そして、その再編成を行うために必要な人材はたった今この場所に来た。
「早かったな」
 ウィルザが新たに加わる部下を労う。
「フィード、ただいま参上つかまつりました」
 そしてその隣に立つ男がうやうやしく頭を下げる。
ヤーサス! メ・レーネ・ローディス!
 突然意味不明な言語を浴びせられて、ウィルザは顔に疑問符を浮かべる。
「ローディス、きちんと標準語を使え」
エンダクスィ。こんちまたまた、ご機嫌麗しゅう陛下。我が名はローディス以後お見知りおきを。必ずやフィード程度には役にたってごらんにいれましょう」
「よく喋る奴だ。面白い男を連れてきたな、フィード」
「失礼をお詫びいたします。ですが、口くらいの働きはする男ですので」
「呆然!」
「『当然』だ」
「あっはっはっは、すまねえすまねえ」
 親指を立てて自信満々に言うローディスにフィードは冷たく鋭く突っ込みを入れる。
「……おかしな漫才師もいたものだな」
 思わず苦笑するウィルザ。
「すみません。この男は異世界で戦っておりましたので、こちらの言葉がうまく使えていないのです」
「かまわん。お前たちの楽しいやり取りが見られるのならな」
「……私としては少々心外ですが」
 やれやれ、とフィードは腰に手を置く。
「さあて陛下、俺っちの役目はこのくたびれた軍隊の建て直しってわけだな?」
「そうだ。それが終わればすぐに攻め込むぞ。私は早くルティアに会いたい。会って剣を交えたい」
「ルティは強いぜ」
「だからこそ戦うのだ」
 それは魔王としての自信か、それとも剣士としての自信か。
「なぁるほどぉ。こいつはなかなかだな。ゾーマっちと比べちゃ悪い気がするが、こりゃあ大物だ」
「私はお前にとって合格点か?」
「さあてどうだかな。ルティを連れてくることができたら本物だろうけどな。俺は満足だぜ」
「それは嬉しいことを言ってくれる。それでは期待に応えたくなるな」
 ウィルザは笑った。ローディスもそれにつられて笑う。
「んじゃま、さくさく仕事を終わらせっか。あ、俺っちに任せてくれりゃ、ものの一時間で再編成してやっからよ、まあ茶しばいて待っててくれや」
 そう言い残してローディスはウィルザの前から立ち去った。
「……あの男は本当に言葉が不自由なのか?」
「……と、本人は申しておりますが」
 面白い男がやってきたものだ、とウィルザは笑いを止められなかった。






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