十六.解決は遠く戦いのみが場を支配する












「……リザ」
 魔王のこれほど驚いた顔は滅多に見られない、いや、二度と見られないものであっただろう。
 目の前に突然現れた愛しい女性。
 自分と対極に位置する女性。
 そして。
 魔王は、笑った。
「久しぶり、リザ」
 ウィルザは笑った。心から。会いたかった女性に会えたのだ。
 魔王としてでも、勇者としてでもない。
 一人の男として。
「ウィルザ」
 ゆっくりとリザはウィルザに近づく。
「私、三年は待てなかった。それどころか、あなたのいない一日は千年のよう」
「……そう。寂しい思いをさせたね」
「私は、あなたがいてくれればそれだけで充分」
 最後の距離を埋め、リザは魔王の胸に抱きつく。ウィルザはそれを優しく包んだ。
 しばらくウィルザは穏やかな表情で彼女を見つめていたが、やがて顔を上げて自分を見ている残りの五つの顔に笑顔を向けた。
「クリス、無事だったんだね」
「ああ……ウィルザ」
 クリスの顔はこわばっている。
「グランも。怪我はもういいのかい?」
「う、うん」
 怯えている。当然のことだろう。
「じゃあ……せっかくここまで来てくれたんだ」
 にっこりと笑いながら、ウィルザは言った。
「今度こそグランだけは殺さないといけないね」
 その言葉に、リザが真剣な表情で顔を上げる。
「本気なの?」
「本気だよ」
「どうしてそんなことをしなければいけないの? 教えて、ウィルザ。私たち、ウィルザが何をしたいのか、それだけを知るためにここまで来たの」
「教えるわけにはいかないよ。だって俺は、もう人間であることを捨ててしまったから。俺は魔族で、君は人間。それも、デモン・スレイヤーを名乗る魔族殺しの英雄。俺たちは決して相容れることができない存在になってしまったんだ」
「ウィルザ、私のこと、好き?」
 ウィルザは相変わらず優しい笑顔で応える。
「好きだよ」
「だったら、こんなことはやめて」
「じゃあ俺からも尋ねてみようかな。リザ、俺のことが好き?」
「好きよ。当たり前でしょう」
「なら、俺と一緒に人間を滅ぼすのを手伝って」
 そう。
 リザは不安に怯えていた。もしその願いを口にされたら自分はどうすればいいのだろうか、と。
 ウィルザのためなら、人類全てを敵にしてもかまわないとかつて思っていた。
 だが、今は。
「できないわ」
「じゃあ、それまでだ」
「違うの。できないのは、理由が分からないからよ」
「俺が魔王になった理由?」
「そうよ。あなたが何の意味もなく魔王になったなんて思わない。でも、ウィルザは私たちに信じさせてもくれない。人間を本気で滅ぼそうとしている。ウィルザに何があったのか分からない。あなたの気持ちが本心なのか、それとも何かに操られているのか」
「本心だよ。あのゾーマとの戦いから、何かが狂ってしまったかもしれないけどね」
「じゃあ、どうしてそれを私に教えてくれないの? 本当のことを言って、私に嫌われるのが怖いの?」
「……そう、そうかもしれないね」
「ウィルザ。私はどんなことがあってもあなたが好き。愛してる。だから、本当のことが知りたいの。あなたが何を求め、何をなそうとしているのか」
「何度も言った。人間を滅ぼす。それが答だよ」
「私が知りたいのは、その理由なのよ」
 ウィルザは少し悩んだ。
 答えるべきなのか、それとも、何も言わないべきなのか。
 もし言えば、彼女は何と答えるだろう。
 だが、どのような理由があるにせよ、人間の立場で、人間が滅びることに賛同するなど、ごく一部の例外を除いてはありえない。
 彼女は、きっと人間の味方をするだろう。
 自分よりも、人間全部を優先するだろう。
 結局のところ──自分は、彼女に見限られることを恐れているだけなのかもしれない。
「魔王陛下」
 と、そこへフィードとローディス、二人の魔族が駆けつけてきた。
 一人は蒼い鎧兜に身を包み、長槍を持った竜騎士。
 もう一人は、浅黒い肌に武闘着のみで一切の武器を持たない武闘家。
 そして、この場にいる白い肌、白い髪の剣士。
 バラモスブロスの三魔将が、ここに集結した。
「よぉうルティ! ひっさしぶりだなあ!」
「……どうも」
「どうも? はは、お前でも相槌打ったりするんだなあ」
 突然にぎやかになった空気に、魔王も苦笑して迎えた。
「状況はどうだ、ローディス」
「殲滅は、ほぼ完了ですぜ」
「よし」
 それを聞いた人間たちが戦場を見返す。既に城から煙が立ち昇っている。
 敗北だ。
 魔族の軍に城内に攻め込まれてしまったのだ。
「人間は一人も残さず生かしておくな」
「了解。で、その娘さんたちはどうなさるんで?」
「リザは……」
 魔王はリザの肩に手を置いた。
(未練だな)
 これほど美しく輝く女性がどこにいるだろう。
 自分に勇者としての、魔王としての宿命がないのだったら、この場で何度も抱きしめてキスして、絶対に離さないというのに。
 気が狂うほどの、彼女への愛情!
「リザは……俺が殺す」
 血を吐くような想いだった。
「了解」
「だが、ここでは殺さない。リザは最後と決めている。あと二年で全ての人間を殺しつくし、人間がいなくなった世界で俺が最後にこの手で殺す。そう……決めている」
「先延ばしにしたいだけなんじゃないですかね」
「そうかもしれん。だが、決めたのだ、一年前に魔王となることを決めた日から。だが……」
 リザを軽く押し、落ちていた魔王の剣を拾う。
「他の連中は、ここで根絶やしにしておかなければなるまいな」
 リザを除いた五人が戦闘態勢に入る。
「ウィルザ、やっぱり戦うんだね」
「クリス。もうお前たちに勝機はない。あのとき一度限りのチャンスを棒に振ったお前たちに魔王を倒す術はもうないということを教えてやろう」
 ウィルザは拾った剣を鞘に収めると、それを大地に突きたてた。
「ルティア。お前の剣を貸せ」
「私の、ですか?」
「そうだ。この剣はまだ俺が使いこなせていない。これで戦っても力を発揮できない。普通の剣の方がまだ使い勝手がいい。全力を出さないと倒せない相手だからな」
「じゃ、俺っちたちはどうすればいいんですか?」
「ローディスもルティアもフィードも手出しは無用だ。かつての仲間との決着は俺自身の手でつける」
 ルティアから小剣を受け取る。
 銀白の刀身が光を受けて輝いた。
「いい剣だな」
「手入れは怠っておりません」
「しばらくの間、借りる」
「はい」
 ローディスはにやにやと笑い、フィードは仏頂面で、そしてルティアは真剣な表情でウィルザを見つめた。
「まあ、安心してくれ。今のあいつらには負けない」
 ウィルザはクリスたちの方を向くと剣を構えた。
(負けるはずがない……俺の存在を気にして、全力を出しきれないあいつらにはな)
 クリスもグランも戦闘態勢に入る。デッドも、クロムも、マリアも、レオンもだ。
 だが、リザだけはウィルザの傍でじっと彼を見つめ、戦う素振りを見せない。
「ウィルザ。話は終わっていないわ」
「俺にはもう話すことはない」
「逃げないで。私の質問にまだ答えていないわ。あなたは何のために人間を滅ぼそうと思っているの?」
「理由なんかどうだっていいさ。人間が嫌いで嫌いで仕方がないから、ということにでもしておいてくれ」
「教えてくれるつもりはない、ということ?」
「物分りのいい君は大好きだよ」
「そう、残念ね。私はちっとも物分りはよくないわ」
 ゆっくりとリザはウィルザに近づく。
「……この剣が目に入らないの、リザ」
「入っているわ。でもあなたは言った。私は最後に殺すのだと。それなら今ここで私を殺すことはない。そうでしょう?」
「狂言かもしれないよ。それに本当だったとしても、腕の一本や二本なくたって、人間は生きていけるんだよ」
「そんなことをあなたがするはずはないわ。だって、あなたは私のことが好きなんですもの」
 なんという自信。
 聞いていたクリスたちは当然のこと、三魔将ですら圧倒的な自信に驚いた表情を隠し切れないでいる。
 ウィルザだけは苦笑していた。
「そうだな。リザの言うとおりだ」
「逆にいえば、私だけは何があっても安全というわけ」
「確かにそうなんだけど、君は大切なことを忘れているよ」
「?」
「俺は確かに魔王になったけど、かつて勇者の時代に覚えた魔法は転職してももちろんそのまま使えるということを」
「……」
「つまり、君だけを傷つけずにここにいるみんなを全滅させることが可能だということだよ。悪いけど、リザ。そこでじっと黙っててくれないかな」
「──!」
 リザは飛びのこうとする。だが、遅い。
「鋼鉄魔法──アストロン!」
 後ろに下がろうとしたリザがバランスを崩し、そのまま倒れる。体が鋼鉄に変化したまま。
「そこで見ていて、リザ。俺が君の仲間を殺すところを。そして俺はもう戻れないのだということを」
「……」
 意識はあるものの口を動かすことすらできないリザはウィルザの言葉をただ聞くだけのことしかできない。
「さあ、待たせたね、みんな。はじめようか」
 ウィルザは優しく笑って残りの六人を見る。
「ウィルザ。今度こそ倒すよ」
「無理だよ、クリス。君にはね。俺が強いのはもう分かっているはずだ。それに今度は仲間の数も多い。魔法を使わないとかの手加減はしないよ」
 クリスは真剣な表情で剣を構える。その手に汗がじっとりと滲む。
「ウィルザ……」
「グラン。お前だけは殺さなければならない。俺の計画にはお前の存在は邪魔なんだ」
「オイラ、今でもウィルザのこと信じてるよ」
 グランの言葉にウィルザは少し戸惑う素振りを見せる。
「ウィルザは変わっていない……それが今、ようやく分かったんだ。変わったのは立場だ。ウィルザは今でも正義のために戦っているんだ。だからウィルザは正義なんだ。きっと悪いのはオイラたちの方なんだ」
「ちょ、グラン!」
 クリスが言葉をやめさせようとするが、グランは決して口を閉ざさなかった。
「オイラたちの……人間の何が悪いのかは分からない。でも、オイラは人間を守る。それが悪いことだとしても、オイラは……ミラーナのことが好きみたいだから」
「なるほど」
 ウィルザはいよいよその笑顔を消した。
「だが、気持ちだけで俺を倒せるとは思わない方がいいぞ、グラン」
「当たり前だよ。オイラにとっては、ウィルザは憧れで、そして……大好きな人だったから。オイラもようやく、ウィルザから巣立つときが来たんだ。だからオイラは、絶対にウィルザから逃げないよ」
「いい度胸だ」
 その言葉が戦闘の開始の合図となった。
「最大爆発呪文──イオナズン!」
 クロムの先制攻撃が走り、それにあわせて剣士三人が動く。クリスが正面から、デッドが左から、そしてレオンが右から。
「加速呪文──ピオリム!」
「防御呪文──スクルト!」
 続けてマリアとグランの援護魔法が飛ぶ。素早さ、防御力ともにアップした三人は同時にウィルザに攻撃をしかける。
「甘い」
 ウィルザはレオンの剣を左腕に装備した『死神の盾』で防ぎ、デッドの剣を右手の小剣で合わせる。
 当然、無防備な正面からのクリスの攻撃を防ぐ手段はない。だが、ウィルザは単なる戦士とは違うのだ。
「高度真空呪文──バギマ!」
 ウィルザから正面に放たれたかまいたちがクリスの鎧を裂き、後方へ弾かれる。その隙にウィルザの剣はデッドを切り裂き、返す刀でレオンを襲う。
 だがレオンもムーンブルクの勇者とまで呼ばれた少年である。一撃で倒されるようなことはない。ウィルザの剣を正面からしっかりと受け止める。
 直後、ウィルザの足が上がった。レオンの側頭部に重い衝撃が走り、立っていられなくなりその場に倒れこんだ。
 クリスが立ち上がって再び攻撃をしかけるが、ウィルザが再びバギマを唱えてクリスの足を止め、そのまま彼女の左肩に剣を突き刺した。
「があああああああっ!」
 クリスは叫んだ。だが、激痛は当然収まるはずもない。
「そのまま寝ているがいい、クリス」
 小剣をそのまま深く突き刺す。クリスの体が倒れて、剣はそのまま大地に深く差し込まれた。
「さて、とどめだ」
 ウィルザはそのまま素手で魔道士たちのもとへ攻撃に出る。
 クロムがベギラマを放つが、ウィルザは反対にベギラゴンで魔法ごとクロムを吹き飛ばす。
 そしてウィルザは残ったマリアを素手で昏睡させると、ぱんぱんと手を払った。
「残るはお前一人だ、グラン」
 圧倒的だった。
 これが魔王の力なのか。
「……ウィルザ、こんなに強かったの」
「グラン、これでも俺は魔王なんだよ。残念だけど、他の六人は全員リタイヤだ。グランを守ってくれる人は誰もいない……これで終わりだ」
「くっ……極大真空呪文──」
「遅い」
 ウィルザはグランの口を左手で塞ぐと、そのまま地面に押さえつけて馬乗りになった。両膝でしっかりと腕をブロックし、完全に身動きが取れない状態となる。
「ウィルザ」
「グラン……お前は、俺にとって可愛い弟だった。ずっとお前を守っていたけど、お前に守られた時もあったな。お前の存在は俺にとって貴重だった。お前のように裏表なく気楽に接してくれる人は他に誰もいなかった」
「オイラ……ウィルザのこと、本当に」
「分かっている。でも、俺は俺の成すべきことをする」
 す、と両手がグランの首にかかる。
「ウィルザ……」
「大丈夫。苦しいのは一瞬だから」
 ぐ、と力が入った。
「……っぐ、がっ……」
 グランの口から声にならない声が漏れる。
「グラン……さよなら」
 徐々に、グランの意識は白く閉ざされていく。
(……オイラ、死ぬの?)
 ミラーナの姿が浮かんだ。
 必ず帰ると約束した少女。
(オイラ……もう、駄目、みたいだ)
 最後の意識で、目の前の人物を見る。
 泣いている。
 彼は、涙を流している。
(可哀相なウィルザ)
 彼は自分を殺したくなどないのだ。
 自分の感情以上に大きな宿命に縛られているにすぎないのだ。
 好きこのんでやっているわけではないのだ。
(……オイラ、ウィルザを恨んだりしないよ)
 お互いが選んだ道だ。
(そして、オイラが死ぬことで、ウィルザをもう一度オイラたちの仲間にすることができるのなら……)
 自分の死に、意味があるのなら。
(ウィルザ)
 途切れかけた最後の意識で、グランは相手に声をかけようとした。
(……しんじて……る……)

 ふうっ、と体が軽くなった。






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