十七.後悔と安堵の情が不安定な心を揺らす












 突然肺に入り込んでくる空気に、体が抵抗を見せる。
「ごほっ! がはっ!」
 せき込み、涙がにじむ。
(オイラ、生きてる?)
 何があったのか、体の束縛は完全に解けていた。
 目の前には、ぐったりと意識をなくしているウィルザの姿。
「……うぃ……」
 声が出ない。声帯が潰れてしまっている。
「無理に声を出すことはないぜ、少年」
 気楽な口調で声を上げたのはローディスであった。
 ぱくぱく、とそれでも声を出そうとするグランに、ちちち、とローディスは人差し指を左右に揺らす。
「悪いけどな、今のウィルザにあんたを殺させるわけにはいかないんだ。こんな感情剥き出しで人なんか殺してみろ。後悔だらけで完全な魔王になんかなることができなくなっちまう」
「ローディス」
 フィードが近づいてきて叱責するような様子で咎める。
「安心しろよ、フィード。俺っちは別に魔王陛下を裏切ったわけでもなんでもない。完全な魔王になるためには、まだ感情のコントロールができていない現状でこの坊ちゃんを殺させるわけにはいかないと俺っちが判断したんだ」
「だが……」
「あのな、フィード。よくよく考えてみろ。魔王陛下がこのままグランを殺したとするな。そうしたらこの魔王は同じように仲間を殺すことが、人間を殺すことがこれから先できると思うか? 真の理想郷を築くには、まだ魔王陛下には儀式は早すぎるんだよ」
「……かつての仲間を殺しても揺らぐことのない信念を持たなければならない、ということか?」
ソスター!
「そういうことなら仕方がないな」
 フィードは地面に刺さっている魔王の剣を手に取る。禍禍しい瘴気だが、鞘に入っている分には自分が持っても問題はない。
「彼らはどうするの?」
 ルティアがローディスに尋ねる。
「放っとけよ。どうせあとで魔王陛下が直々に倒さにゃなんない相手だ。見逃したって誰も文句は言わないだろ」
「そう」
 ルティアは大地に縫い付けられているクリスの下まで行き、剣に手をかける。クリスは今までの一部始終を激痛を堪えてしっかりと見ていた。
「……あんた、レオンを裏切るのかい」
「レオンとはもともと私が魔王陛下に会うまでの契約しかしていません」
「やっぱり魔族なんだね、あんたは。レオンの気持ちを知っておきながら」
「私が愛しているのは真の魔王、ただ一人です。つまり、ウィルザ陛下です」
 ぐうっ、とクリスはうめいた。ルティアが剣を引き抜いたのだ。
「さあって人間のみなっさ〜ん」
 ローディスが相変わらずの軽い口調で言う。
「今回は城を滅ぼすだけにしておきます。感謝してください。俺っちがいなければ、今ごろグランは冷たい屍、魔王陛下を倒すことはますます難しくなるところでした」
「勝手に押し付けただけだろ」
「不満があるなら強くなればいいのさ。あんたたちはそうしてゾーマを倒したんだろ?」
「……何故、見逃す?」
「魔王陛下のためさ。あんたらを殺すと、結局は魔王陛下が自分で殺したのも同然なのさ。問題は時期だ。あんたらを殺しても眉一つ動かすことがないくらいに、自分の感情をコントロールできるようになるまでは、悪いけど俺があんたらを殺させないぜ。それに……」
 ふふん、とローディスはクリスを見つめた。
「あんたいい女だな。惚れたぜ」
「あたしはあんたみたいな軽薄そうな男はこの世で一番嫌いだ」
「ありゃりゃ。それじゃま嫌われ者は退散するとしますか」
 ローディスはフィードとルティアに目配せした。
「それじゃこれで退散するな。俺たちはますます戦力増強。あんたらはムーンブルクも落とされ、万策つきた状態。これで次に何をしてくれるのか楽しみだよ。はははははっ!」
 哄笑を残して、三魔将はその場を去った。
 後に残されたのは、完全敗北を喫した勇者たち。
 ──それは、戦争の終結を意味していた。
 ムーンブルクの崩壊、という終結を。






 マリアはすぐに目が覚めた。まずは重傷を負っているレオンとデッドの治療、そしてグランの声帯を治し、それぞれクリスとクロムを治療に当たる。
 そのあとで、それら一部始終全てを見ていたリザの鋼鉄化が解けた。
 完敗だった。
 魔王ウィルザに対して、切り札の『硬気孔』『仙気発徑』すら使わせることができず、また『魔王の剣』を完全に使いこなせるようになれば今よりパワーアップするのは目に見えている。
(……ウィルザを倒す機会はあの一度きりっていうのが、よく分かったよ)
 一対一で剣を交えていたならば、まだ勝機はあったのだ。ウィルザの本質はあくまでも勇者であり魔王、オールマイティなのだ。
「とにかく移動しましょう。確かムーンブルクの北に街があるはずです。そこへ……」
「馬鹿を言うな!」
 クロムの意見にレオンは怒りをみなぎらせて言う。
「まだあの中にはたくさんの民衆が残っているんだ。魔族から逃れるためにも、僕はもう一度あそこへ行かなければならない」
「ですが……」
「誰が何と言おうと、僕は行く。これは勇者としての責任であり、義務なんだ」
 レオンは駆け出す。
 その目にうっすらと涙がにじんでいたのは気のせいではないだろう。無力な自分、そしてルティアに見限られた自分。いろいろな意味でレオンは自分を見失っている。
「追いかけるよ」
「ですが、クリス様」
「あいつは勇者だ。魔王を倒すことができるのは勇者だけ。あの子を殺させるわけにはいかないのさ」
「それに、困っている人たちを放っておくわけにはいかないよ。オイラも行く」
「そうね。私も」
 英雄三人が口をそろえてしまっては、クロムもマリアも断る理由はない。デッドは最初から自分の意見を言うつもりもない。
 こうして、六人は再びムーンブルクへと戻っていった。






 目が覚める。
 手に、生ぬるい感触。
 首を締めた。仲間の、弟同然のグランの……。
 死んだのだろうか。
 この俺が殺した。
 この俺が殺した。
 大切な、可愛い……。
「気がつかれましたか」
 声をかけてきたのはルティアだった。
「ここは……魔王城か」
 ロンダルキア。山脈地帯の中にある盆地にそびえる天然の要塞。ウィルザが本拠地としたのはそこであった。
 自室のベッドに横たわっており、その隣にルティアが腰掛けている。
「戦闘はどうなった」
「終了しました」
「どうなったと聞いている!」
 声を荒げているのは、何を恐れていたからなのかウィルザは分からなかった。
「誰も死んではおりません」
 その言葉に、ウィルザは言葉にならない感情を抱く。
「……グランは生きているのか」
「はい」
「何故だ。俺はあいつを殺そうと……」
「ローディスが止めました。失礼ながら、ウィルザ陛下の急所をつかせていただきました」
「何故だ!」
 魔王の激昂が、部屋の中にあったガラス窓にヒビを入れる。それほど魔王としての力、魔気が高まってきている。
 だが、魔王は感情をむき出しにしてはならない。
 どんな非道なことも、残虐なこともできるようになるためには、あらゆる感情を切り離すことができなければならない。
 完全な魔王には、感情を持ちながら、感情を切り離す術を知っている者だけがなることができる。
 皮肉にも、ローディスの言っていることが証明されているというわけだ。
 ルティアはそれを劣っているとはみなさなかった。
 これからの成長要因だと判断した。
「理由は陛下におわかりのはずです。グランさんが生きていると知って、ご安心なされました。それが理由です」
「俺は、グランを殺すつもりだった」
「ですが殺した後、今までと同じように振舞うことができましたか? グランさんをあのように殺して、それからもかつての仲間たちと戦うことができますか?」
「……」
 ルティアが言わんとしていることは理解できた。
 仲間を一度殺してしまったウィルザには、二度と仲間と戦いたくないという感情が芽生えるかもしれない。芽生えるだけならまだいい、だがもし仲間と戦うことを避けるようになったら、それは魔王失格だ。ローディスはそれを怖れたのだ。
「ウィルザ陛下には、もう少し覚悟が必要です」
「……そうだな」
 ルティアの無表情な物言いが、逆にウィルザの興奮を冷ましていた。
「心配をかけたようだな」
「私のことなど何とも思わないでくださいませ。それより、ローディスにはどうかご容赦をお願いいたしたく存じます」
「かまわん。あいつは面白い奴だが、俺のマイナスになるようなことはしないだろう」
「おっしゃるとおりです」
「ルティア、その硬い口調はやめてくれないかな」
 ウィルザは笑った。
「と、おっしゃられましても」
「なんだか、突き放されているようで寂しい」
「私は突き放してなど」
「分かっている」
 苦笑するウィルザに対し、ルティアはしばらく困っているようだったが、やがてベッドの上に出ていたウィルザの右手を取ると、ルティアは自分の頬まで運んだ。
「ルティア」
「……お辛かったのですね。あのリザという女性、非常に陛下のことを愛しておいででした。本当はここにいるのはリザさんのはず。陛下は、あの方に傍にいてほしいのですね」
 その通りだった。こんな宿命さえ背負っていなければ、今すぐにでもリザのもとへ飛んでいくのだ。
 だが、それはできないことなのだ。人間は全て滅ぼさなければならない。一人たりとも生かしておくことはできない。
「私は陛下の臣です。私でできることでしたら、なんなりとお申し付けください」
「じゃあまずはその口調をやめてくれ」
「……ですが」
「ローディスなんかみろ、敬語なんてとってつけたようなものしか使ってないぞ」
「とはいいましても」
「君に傍にいてほしいんだ、ルティア」
 ウィルザは頬をそのまま優しくなでた。
「リザとの関係は終わらせなければならない。そのとき、君が俺を支えていてほしいんだ」
「私が……」
「俺がリザたちを殺すことが思うようにならないのは、今でもみんなのことが好きだからなんだ。だから、それ以上の存在にルティアがなってくれれば、俺は魔王として揺ぎ無い信念をもって活動することができる」
「私はリザさんの代わり、ということですね」
「それは」
「いえ、それでも私は一向にかまいません」
 ルティアは椅子からベッドへと腰を移し、無表情のままウィルザの頬に口をつけた。
「私は、真の魔王たるあなたを愛しているのですから」
「君こそ、俺自身じゃなくて魔王という存在を愛しているのだね」
「そうですね。でも私にとってはそれが一番自然なのです」
「じゃあ俺は、君に心から愛してもらえるように努力しないといけないな」
「私も、リザさんのかわりではなく、私個人を愛してもらえるように……」
 二人の唇が重なる。
 温もりが伝わる。
(リザ……)
 最後に肌を合わせた女性の面影が浮かぶ。
(俺はもう、お前に未練を持ったりはしない)
 そして、必ず殺す。
 全ての人類を殺し終えたあとで。





 ムーンブルクに入り込んでいたモンスターの数はおびただしいものだったが、その中でもある程度の救助活動が成功したと思われた段階で一行は引き上げにかかった。そのまま一向は北にあるペタの街まで移動した。
「……やれやれ、やっと一息つけるな」
 デッドが難民であふれかえったペタの街にたどりついて、大きな木の下に腰を下ろした。
「デッド。宿屋までもう少しなんだから、そんなところで座り込むな」
「クリス。お前本気か? こんな人があふれた中で宿屋があいてるわけないだろ。難民対策で手一杯さ。俺たちは少し体を休めなきゃならない。ここでゆっくりしてこうぜ」
「泊まれる場所なら、私が提供できると思いますよ」
 と、一向に声をかけてきたのは見慣れた格好の詩人であった。
「ガライ!」
「お師匠。あんた一体どこ行ってたんだよ」
 ガライは竪琴を鳴らしてその質問に答える。
「一足先にこちらの街へ。ムーンブルクが落ちれば難民はこの街に逃れるのが一番ですから」
「何もかもお見通しってわけかい」
「とにかくここでは何ですから、私の持っている家まで来てください。ちょっと奥まったところにありますが」
「とにかく、休めるならどこでもいいさ」
 クリスが答え、全員が再び移動した。
 敗残兵には、何かを要求できる権利などないのだ。






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