十八.嫉妬と憎悪が渦巻き救いは断たれる












「お早いお戻りでしたね」
「それは皮肉のつもりか、シリウス」
 玉座の間にウィルザがルティアを引き連れて入っていくと、そこには既に全員が揃っていた。
 ルシェルとユリアも既に回復している。これで魔王軍は完全に陣営を固めた格好となった。
「ルシェル。怪我の具合は」
「大丈夫です。ルティアが手加減してくれましたから」
「私は……」
 手加減などしたつもりはないと言おうとしたが、もしかしたらどこかに情が入っていたのかもしれないとも思う。
「ユリアも、もう全快か」
「おかげさまをもちまして。やっぱりウィルザはアタシのこと気にかけてくださるのですね」
「うっとうしい。離れろ」
 腕に絡み付いてくる容姿端麗の女性を振り払う。だがそれでもユリアはまとわりつこうとする。
 と、その間にルティアが割って入った。
 表情は、かなり固い。
「何よ、アンタ」
 ユリアは凍りつくほどの冷たい視線をルティアに放つ。
「私はルティア。ウィルザ陛下の臣です」
 真っ向からそれを受け止め、二人の間に目に見えない火花が散った。どうやら、お互いを『敵』とみなしたようだった。
 ウィルザはそれを止めもせず、そのまま玉座に座る。
 それを見て、七人がいっせいに膝をついた。
「ご苦労。まずは状況を確認しよう。ローディス、軍はどうなっている」
「再編完了してますぜ。いつでもどこでも進軍可能」
 さすがに統率力に定評があるだけのことはある。短期間で再編したその手腕は魔王軍随一であるのは疑いない。
「よし。シリウス、城の浮上については?」
「順調です。現在20%まで完成。二年といわず、一年もかからずに完成できましょう」
「よし。シャドウ、お前からは何か報告はあるか」
「……」
 シャドウからは沈黙しか帰ってこない。彼は決して言葉を口にしない。彼の考えは全て影を通して直接頭の中に伝えられるのだ。
「何かあったのですか」
 シリウスが尋ねてくる。
「人間側に動きがあったかと思ったのだがな。まあいい、それより」
 親衛隊のアークデーモンが新たに紋章をもってくる。
「叙任式だ。現行四騎士に加え、新たに三魔将を騎士として迎える」
 フィード、ローディス、ルティアが畏まり、一人ずつ紋章が受け渡された。
「フィード、お前には“竜騎士”の称号を与える。ドラゴン部隊は全てお前が率いよ」
「了解いたしました」
「ローディスは“獣騎士”だ。シリウスにかわり、全軍を指揮せよ」
「ありがとさん」
「ルティアは“剣騎士”だ。親衛隊を統べる立場となり、つねに俺の片腕となれ」
「謹んで、承ります」
 そして、ウィルザはシリウスを見た。
「これまでどおり、七騎士の筆頭はシリウス、お前がつとめよ。また同時に『死神』としての役割を果たせ」
 一瞬、魔王と死神騎士との間に緊張が走った。このシリウスが珍しく戸惑ったようだった。
「よろしいのですか」
「無論だ。それに、このことはお前が言ったのだぞ。組織には必要なことだ、と」
「分かりました」
 何の話をしているのか、他の六人には分からない。だがよほど重要な取り決めをしたのだということは想像がついた。
「ムーンブルクは落ちた。次はラヴィアだ。北の王国を撃破せよ。ローディス、お前がフィード、ユリアをともないこれを落とせ」
「っしゃ。癇癪の機会を与えてもらって感謝してるぜ」
「『活躍』だ、馬鹿」
 フィードから鋭い突っ込みが入る。
「騎士を三人も派遣してよろしいのですか?」
「俺はな、少し気が急いているのだ」
 ウィルザは苦笑した。
「少しでも早く、この世界から人間を消してしまいたいのだ。まずは三王国。それが終われば人間狩りの時代が来る。それが楽しみで仕方がない」
「狩り、ですか」
「そう。そうなれば……」
 いや、そうならなくとも。
 彼らはきっとここへ来る。
 自分を殺しに。
(……馬鹿な)
 ウィルザは笑みをこらえることができなかった。
(俺はそれを望んでいるのか?)
 彼らが自分を殺しに来ることを。
 会いに、来ることを。






「どういうつもり?」
 玉座の間からシリウスを除いた六人が退出したところで、ユリアはルティアに話しかけた。
「どういう、とは?」
「どうやってウィルザに取り入ったのかってことだよ!」
 ユリアは激憤していた。城内でさえなければ、いや、ウィルザのすぐ傍でさえなかったらこの場で魔法を放っていたところだ。
「取り入った……いいえ、違います。ウィルザ陛下はご自分で私を望まれたのです」
「嘘だっ!」
「嘘など、申しません。そして私も、真の魔王たるウィルザ陛下を愛しております」
「愛? 愛だって……ふざけるなぁっ!」
 瞬間、周囲の温度が下がる。
 もはや、止めることは誰にもできなかった。
「最大氷河呪文──マヒャド!」
 ルティアは回避した。だが完全にかわしきることができず、左手が凍傷を負った。さすがは“魔導騎士”。魔力の強さでは七人の中で最高クラスだけのことはある。
「あんたなんかに、ウィルザは渡さない。アタシは、あのゾーマがウィルザと戦っていたときからずっとあいつだけを見てたんだ。絶対に、絶対に渡さない!」
「それは不可能です」
「黙れ!」
「私よりも、あなたよりも早く、リザさんがウィルザ陛下にお会いしています」
 ぴたり、とユリアの動きが止まった。
「私は、リザさんの代わりでしかありません。ウィルザ陛下が愛しているのはたった一人だけなんです」
「うるさい……」
「私は今の境遇を悲観するつもりはありません。あの方のために戦い、あの方のためにこの体を捧げる。それが望みでしたから」
「だまれっ!」
 もう一度呪文を放とうとしたとき、その手をローディスに止められた。
「は〜いそこまで。お嬢さん」
「止めるな!」
「新参に出張られて癪なのは分かるが、場所を選べよな。完全にバレてるぜ、魔王っちに」
「……!」
 ユリアの体がすくんだのを、ローディスは当然見逃さなかった。
「それに、あんたにはやってもらうことが山ほどあんだからな。ルティアに傷をつけられるのはたいしたもんだが、こいつが本気になったら俺っちとあんたが同時にかかったって倒せやしないぜ」
「謙遜ですね、ローディス」
「いやいや、真実さ」
 ユリアはローディスの手を振り切る。そして、きっ、とルティアを睨みつけた。
「……アタシは、絶対にウィルザを諦めない」
 それだけを言い残して、ユリアは立ち去った。
「やれやれ、嫉妬深い女に狙われたな、ルティア」
「かまいません。というか、私も彼女と同じ思いです」
「ふぇ?」
「私よりも早くからウィルザ陛下のことを見ていた女性……リザさんにせよ、ユリアさんにせよ……私がこの手で、殺してやりたい」
 無表情であまりにも過激なことを言うルティアに、ローディスは素で冷や汗をかいていた。
「あんた、変わったなルティア」
「そうでしょうか」
「そんなに情熱的じゃなかったぜ」
「ゾーマは私にとって真の魔王ではなかったからです。ウィルザ陛下は真の魔王でいらっしゃる。それに……」
「それに?」
「あの方個人に、興味があるのです」
「ふうん?」
「ウィルザ陛下には、心から忠誠を尽くすことができる。それが魔王と部下という立場だけの問題ではなく、私がそれを望んでいるのです」
「へえ。こりゃ、俺っちの見る目もそんなに悪くなかったってことかな」
 ローディスは苦笑した。
「大役ですね、ローディス。ラヴィアは強いですよ」
「知ってるよ。つい最近までそこにいたからな」
「でも、落とす自信がある」
「でなきゃ引き受けたりしないさ」
 どんな言葉を向けても本気で答えたりはしない。どんな言葉でも必ず受け流す。
 ローディスにはそうした器用な性質がある。これはもう一つの才能としか言いようがない。
 そして何よりすごいのは、それが天然ではなく、ほぼ計算づくで行っている点だ。
 見た目のいい加減さと違って、彼は誰よりも早く頭を回転させている。
 目の前の戦いに目がいきがちな魔族の中では、特にこの七騎士の中では唯一の頭脳派ともいえる。それほどの評価をルティアはしている。
 だが、それをローディスは表面に出そうとはしない。
 いや、頭の良さは隠しても自然と分かるものだ。注意深く見てさえいれば。
 それよりも、ずっと奥深く隠されてしまわれているもの。
「あなたは不思議な人です。ローディス。確かにあなたの実力は我々七人の中では最も下でしょう」
「はっきり言うね、お前」
「ですが、あなたのその圧倒的なカリスマは、何故か他の人を引き寄せる」
「惚れたかい?」
「あなたの実力は本当に、その程度なのですか?」
 ローディスは言葉に詰まった。
「あなたは、本当の力を隠しているように思えます。それはあなたと初めて会ったあの日からずっと、そう思っています。私が全力を出してもかなわないほどの力を持っていると思っています」
「買いかぶりだぜ」
「そうでしょうか?」
 最後にようやく妖しい女の笑いを見せて、ルティアもまた立ち去った。
 後にはローディス一人が残された。
「……やれやれ、さすがに鼻がきくな、あの女」
 その表情は真剣そのものだった。






「随分と人気があるみたいですな、魔王陛下」
 シリウスの皮肉にウィルザは苦笑で答える。
「あまり苛めるな、シリウス」
「実際、魔法を極めた女と剣を極めた女、戦えばどちらが強いかというのは見てみたい気もいたしますな」
「さて、七人の中でもっとも強い騎士は誰になるだろうな」
「実体のないシャドウ、竜の力を持つフィード、最強の剣士ルティア、獣を支配するローディス、最強の魔導士ユリア、忠誠心あついルシェル」
「ルシェルが少し劣るか……まあ、それ以外はほぼ同じ力量と考えていいだろうな。お前を除けば」
 シリウスは少し返答に間をおいた。
「私が、ですか」
「意外だ、などという声を出すな。お前の力は分かっている。おそらく全力を出した俺と五分で戦えるのは……いや、俺が唯一かなわないのは、世の中にお前くらいのものだ」
 主君と臣下との間に、冷たい空気が流れる。
 だが、やがてその緊張はシリウスの方から断ち切った。
「陛下にはかないません」
「お前はそうやって回りに自分を高く見せず、低くも見せない。常に組織の歯車となり、ナンバーツーとして行動する。実際、お前と最初に出会えて俺は幸運だったな」
「私はあなたを信用していませんでしたよ、最初はね」
「今も、だろう」
「否定はしません」
 二人の間に苦笑がもれる。
「もう一年以上も前になるのだな、お前と出会ったのは」
「ええ。あなたが王者の剣、光の鎧、勇者の盾、全てを失ったときのことです」






 出会いというものはどんなものでも、何らかの運命が含まれている。
 だがこれほど、後の世に影響を与える出会いは他になかっただろう。
『勇者ロトですね』
 小高い丘の上。見晴らしのいいその場所。まだ勇者とも魔王ともいえなかったその男が、一人の魔族に魅入られた。
『人違いだ』
『ですが、そこに見えるのはロトシリーズですね。ロトの剣、ロトの鎧、ロトの盾』
『そうだ。これを装備できるのはロトか、その子孫のみ』
 その三つの装備品は空中に舞い上がり、三方向へ光となって消えた。
『俺はあれを装備することはできない。だからロトではない』
『なるほど。やはり勇者であったものは全て、その運命を投げ捨て、新たな運命を手に入れるものらしい。あなたも魔王を望むのですか?』
『それがいいだろうとは思っているが、そんなことを尋ねるお前は何者だ?』
 小高い丘の上。見晴らしのいいその場所。突風が駆け抜け、無数の花びらが宙に舞う。
『私はゾーマの参謀を務めていたシリウスと申します』
『なるほど。ゾーマがいなくなったらすぐに次の主を探すというわけか』
『ええ。勇者は魔王を目指すもの、ということは知っていますから。ゾーマがそのいい例でしたからね』
『何を知っている?』
『何もかもを。ゾーマが魔王になろうとして、それがかなわなかったことも。そしてあなたが真の意味での魔王になろうとしていることも』
『お前の望みは?』
『望み?』
『そうだ。そこまで分かっているのであれば、俺が何をしようとしているのかは分かるはず。決して魔族のために戦うのではない。結果としてそう見えたとしても、だ。お前は何を目的に動いている?』
『簡単です』
 シリウスは答え、その仮面を取った。






「人間を恨んでいるお前にとっては、当然といえば当然だろうな、その考えは……」
 人間は全て殺すこと。それがシリウスの願い。
 従って、シリウスが最後に殺す相手。それは、人間であるウィルザ本人。
「全てが終わったときには、あなたを殺させていただくこと。それが私の願い」
「忘れてはいない。それに、リザのいなくなったこの世界に未練はないしな」
「ルティアのことはどうされるのですか?」
「そうだな……彼女のことを心から愛することができるようになれば、俺も救われるのだろうが」
「自信がなさそうですな」
「とにかく後悔だけはしたくない。お前に殺されるのだとしたら、それはこの世界に執着がなくなったときだ。それならそれで、俺がこの世界にいる理由はない。少なくともあのときそう思っていたことは事実だ」
 それは自己破壊願望の現れか。
「あなたが何を考えていようと私はかまいません。私があの日、滅びた魔王の城に人間の軍が入り込んできたあの呪われた日に誓った復讐を、私が果たすことができればそれで充分ですから」
「やはり、俺を恨んでいるか、シリウス」
「いいえ、感謝していますよ。あのときの経験が私を強くしてくれましたから」
 滅びの日。
 それは、力のない魔族に最強の力を与えた日。
「……私は、人間を許さない。そのために利用できるものは、何でも利用するだけです」
「そしてその利用した相手を殺すか……」
「抵抗してもいいんですよ。私ではあなたにかなわない」
「冗談を言うな。お前は俺の倍は強いだろう。しかも俺の魔王としての力のほとんどを使用することができる。お前が魔王でもいいくらいだ」
「かないませんよ……あなたには、ね」
 仮面の下の顔が、笑ったような気がした。
 もちろん、それをウィルザに見ることはできなかったのだが。






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