二十.快楽と引き換えに苦痛を自らに負う












 三名の騎士を送り出してからというもの、魔王ウィルザの睡眠時間は信じられないほどに増えた。また、起き上がったとしても少しの時間を置いて、またすぐに眠ってしまう。寝ている時間の方が起きている時間よりも明らかに多い。
 不定期に起きては眠るので、側近たちもそのペースに巻き込まれて、ここ数日疲労困憊していた。
 なにしろ目覚めたときにしか仕事をしてくれないのだ。いつ起きるかも分からず、また起きている時間も短いのでその短時間を狙って相談・報告を持ち掛けなければならない。
 そうしたやり方は非常に問題があると感じた剣騎士ルティアは、全ての相談事を自分に集中させた。それを魔王が起きたときに重要度の高いものから報告するようにした。
 自然とそういうシステムが出来上がったことに、魔王はいたく喜んでいた。
(……私たちをお試しになったのでしょうか)
 今も横で眠りにつく魔王を見ながら、ルティアはそんなことを思う。
 彼は魔王軍の編成について細かいところまで指示は出さない。組織についてはシリウスを始めとした七騎士に任せているという状況だ。
 だが、そのシリウスはここ数日全く姿を見せなくなった。何を考えて行動しているのかはルティアには分からない。彼女に分かるのは、ここに魔王陛下が眠っており、魔王陛下には自分が必要であるということだけだ。
 それは精神的にという意味ではない。肉体的にだ。
 魔王陛下の睡眠時間が長くなったことについては、死神騎士シリウスが分析をしていた。
『おそらく、魔王としての力を蓄えていらっしゃるのだろう。寝ている間に魔王として成長なさっているのだ。だから、あまり眠りを妨げてはならない。できるだけ多く寝かしてさしあげよ』
 魔王のことならなんでも知っているといわんばかりであった。おそらくそうなのだろう。ルティアは逆らわず、魔王と死神騎士の言うとおりに従った。
 魔王は一度の睡眠で、平均十二時間は眠る。
 そして眠りから覚めたあと、魔王陛下は彼女を求める。
 私ではない。
 ほしいのは、彼女だけなのだ。
「……ん……」
 魔王陛下の目が開く。
 そして、ぼうっとした目で周りを見る。
「お目覚めになられましたか」
 優しく声をかける。
「ルティアか……」
 ゆっくりと体を起こすと、魔王はルティアを抱き寄せ、そのまま口づけた。
 そして体を入れ替え、彼女の体を下に組み伏せる。そして彼女の体に口づけの雨を降らせていった。
 その行為が始まると、魔王陛下は必ず目を伏せる。
 今、彼は自分を見ていない。
 彼が抱いているのは、あくまで彼にとってもっとも大切な彼女だけなのだ。
 だから、私は決して声を出さない。
 どんなに昂ぶっても、決して声を出さない。
 魔王陛下に、少しでも幸せに浸ってほしいから。
 魔王陛下のためになるのなら、自分の体がどのように使われても文句の出ようはずもない。
 そして。
(……たとえ代わりにすぎなくても、私は嬉しい)
 瞬間そんなことを考えたが、すぐに思考を停止する。快感に耐えなければ、声が漏れてしまうかもしれない。そうなっては魔王のためにならない。
 彼女にとって、至福で、そして苦痛の時間は少しの間続いた。



「今日の報告を聞こう」
 お互いに服を着なおしてから、いつもの段取りに移る。
「はい。まずはローディスより報告が届いております。ラヴィア城の完全包囲が完了、このまま殲滅に移りますが、兵糧攻めにするので多少の時間がかかるとのことです」
「兵糧? 人間を殲滅するには確かに効果的だが、ローディスらしいとは思えないな。もっと積極果敢な男かと思っていたが」
「……彼は、我ら三魔将の中ではもっとも理知的で、戦略・戦術ともに長けた者です。任せて問題ないかとは思いますが」
「ああ。別に時間をかけてはならないとは言っていない。ムーンブルクでは急いたために生存者を多く出してしまったからな。完全に殲滅とはいかなくても、脱出者を一人でも防げるというのならそれでかまわない」
 もっとも何か裏がありそうな気はするが、とは口にはしなかった。
 口にしたところで、意味のないことだったからだ。
「それから、シャドウ様より報告が来ております。勇者たちは予想通りマイラへと向かった模様」
「そうか」
「手を打たれて正解だったとお考えですか?」
「いや……本当なら俺が直接出向きたいところだ。もしくはお前に行ってもらうか、はじめからユリアを残しておくべきだったかな」
「では、そのようにいたしますか」
「いや、このままでいい。充分に兵力は配置している……もっとも、リザやクリスが本気になったら、ルビスのもとまで行かれてしまうかもしれないな」
 ユリア。それにリザ。
 そうした名前が出てくるたびに、自分の胸が少し痛む。
(……そんなに情熱的ではなかった、か)
 ローディスが別れ際に言った言葉が蘇る。
(たしかに、私は変わったのかもしれない)
 この人の傍にいたい。
 誰よりも近くにいたい。
(……私にとっては、多分今が一番幸せなとき)
 その自覚があった。
 たとえ、彼の心がここにないのだとしても。
(私はいつまでこの人の傍にいられるのだろう)
 明日が見えないからこそ、この時を無為に過ごしたくはない。
 彼の指、彼の唇、彼の言葉も鼓動も全てを感じたい。
「ルティア」
「はい、陛下。次の報告ですが──」
「いや、報告はいい」
 魔王はルティアの肩に手をのせた。
「陛下?」
「だから、陛下はやめろと言っているだろう」
 ウィルザはそのまま唇を重ねる。
「陛下」
 ルティアは顔を赤らめてうつむく。
 ここ数日、行為の後までこのようなことはなかったのに。
「お前にユリアの百分の一でも積極性があればな」
「ほんのわずかでも、私から陛下を求めたとしたら、陛下は私を疎んじられます」
「そんなことはない」
「分かります。失礼ながら、陛下にとって私は非常に都合のいい女でしょう。ですが、私もこの境遇には満足しておりますので、何も問題はないかと思います」
 ウィルザの表情が翳る。
「陛下?」
 だが、ウィルザは答えなかった。
 そして、そのまま部屋を出ていった。
 あとには、ルティアだけが残された。
「……陛下?」
 突然、心が空虚になる。
 いったい、何が彼の気に障ったのか。
 失礼なことを言ったのは自覚している。だが、そこまで怒ることなのだろうか。
 彼女には分からなかった。






「お久しぶりです」
 城の中を歩いていると、赤黒の鎧を着た騎士が声をかけてきた。
「シリウスか」
 死神騎士は魔王の少し後ろを歩いた。
「今日は親衛隊長はいないのですね」
「少し問題があってな」
「痴話喧嘩ですか」
「そんなところだ」
 正直、ここ数日ルティアの態度は不快なものだった。
 どんなに言っても、部下としての一線を超えることはない。
 どれだけ愛情を注いでも、目も開かず、声も立てない。
 自分を気づかっているのは分かる。
 だが、彼女も自分自身の幸せを求めてもよいではないか。
(それが俺にとっても一番嬉しいんだけどな)
 そのことが彼女には伝わらない。
「それでは、気晴らしでもされますか」
 死神騎士は喉の奥で笑った。
「……本気か」
「あなたが望むのなら」
 死神の腰で巨大な剣が揺れている。
「お前と一戦交えても気は晴れそうにない」
「それは残念です。それはそうと、よろしいのですか、マイラの件」
「あれだけの兵力があれば、一人や二人、殺せるだろう」
「一人や二人、ですか」
「それで充分だ。俺が戦うのはリザ、クリス、グラン。あの三人だけだ。他の連中を殺すことができればそれでいい。またそれ以上のことは命令していない」
「どのような指示をされたのですか」
「全力で戦え。ただし、一人か二人を殺せば充分。それ以上は消耗戦になるから、ルビスの封印は解かせてもかまわないから離脱しろ」
「……封印を解かせてもかまわない、と?」
 死神騎士はさすがに動揺の色を浮かべた。
「さすがのお前でも、ルビスを封印した本当の理由までは知らないか」
「本当の理由?」
「お前が動揺するところを見るのは、この一年間で初めてだな。気が晴れたぞ」
 もし仮面が外れていたら、きっとその表情は曇っていることだろう。
「ルビスが奴らに力を貸すのは確かに問題だ。だがそれは全力で止めなければならないものではない。それこそシャドウに命じて奴らを一人ずつ暗殺していけば事足りるのだからな」
「たしかに。ではあなたは何故……」
 最初にシリウスが魔王軍の結成をウィルザに進言したとき、唯一ウィルザが提案した内容が『精霊ルビスの封印』だった。それは当初、ルビスが勇者たちに力を与えることが問題になるからだとウィルザは言った。
「最初に言ったことは嘘だったと?」
「半分は本当だ。だがルビスを封印したもう一つの理由まではお前に教えてはいなかった」
「それは教えていただけるのですか」
「まあ、もう既に目的は達しているからな。実はお前には内密で、ここしばらくシャドウには別のものを探索させていた。それがつい先日到着した」
「シャドウに? そうか、それであの時……」
 先日七騎士が一度だけ集まった場で、ウィルザがシャドウに尋ねていたことがあった。
「私を介さずに、シャドウを動かしたのですね」
「あくまで騎士は俺の部下だからな。お前に断る必要はないだろう」
「それはいったい?」
「秘密だ」
 ぴたり、と騎士の足が止まった。
 それに気付いて、魔王は振り返る。
「……どうやら、私の気晴らしに付き合ってもらう必要がありそうですね」
「勘弁してくれ」
「許しません」
 ウィルザはため息をついた。






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