二十二.見果てぬ夢を追い現実の悪夢を見る












 悪魔騎士の上半身だけが勢いよく持ち上がる。
 誰もが、完全に倒したのだと意表をつかれていた。
 その右手には剣。
 最後の力を振り絞って放たれたその剣は、すさまじい速度でまっすぐにクリスの胸を目指していた。
「クリス様!」
 肉を貫く音。
 そして、静寂。
 ぽたり、と血の垂れる音が、沈黙を破った。
「クロム……お前」
 剣は、クリスには届かなかった。
 クロムの体が、それを止めていた。
「クリス様……よか、った……」
 唇の端から血がたらりと流れた。そして、クリスを前にして微笑み、ゆっくりと倒れる。
「クロム!」
 クリスが彼の体を抱きとめる。
「なんで、こんな無茶を──」
 すぐに剣を抜こうとする。だが、剣が体から抜けない。
 剣が刺さったままでは、回復魔法などなんの効果もない。
「なんだよ、こいつっ!」
 クリスが力任せに引き抜こうとするが、全くびくともしない。
「呪い……」
 はっ、とリザが気づく。
 この剣には、呪いの効果が秘められているのではないか。
 だとしたら。
(治せない)
 呪いを解くには、教会で儀式を執り行い、しかるのちに高位の司祭が浄化の魔法を唱えなければならない。
 だが、こんな場所で儀式などできるはずもない。
「クロム!」
 とにかく、その場に寝かせる。
 だが、傷口から流れ出る血は次第に床に溜まっていく。
「クリス、様」
「喋るな。今、回復魔法をかける」
 だが、クロムは笑った。わかっている、とでも言うかのように。
「一つだけ、お願いが」
「喋るなと言っている!」
「生きてください。どんなことがあっても、あなたは最後まで生きて。魔王にかなわないなら逃げて。どんなことがあっても死なないで」
「クロム、お前……」
「あなたが、生き延びることだけを考えていました。あの塔で……邪悪なあの気にあてられて、私は、あなたのかわりに、あの魔王を命にかえても倒すつもりでしたが……もう、それもかなわないようです」
「喋るなと言っているだろう!」
「これで、よかったのです。わた、ごふっ」
 流れていくおびただしい血の量に比べて、吐き出された血の量は微々たるものでしかなかった。
 もはや、血溜まりは彼の周囲に広がりきってしまっていた。
「嫉妬、していました、あの、魔王に、クリス様、わたしは、あなたに、この世界に、いてほしかった、だから、死なないで、生きて」
「クロム……っ!」
 もう、治せない。
 蘇生の魔法すら、届かない。
 呪いで縛り付けられた体を癒す法はない。
「約束を……」
「約束する、クロム。私は死なない。だからお前も死ぬな!」
 クロムは笑った。
(それは、無理なようです)
 魔道を研究しているものだからこそ、この呪いがどういうものかも分かる。
 剣が人間の体に同化し、内側から侵食していく魔剣『ヒューマンイーター』。人肉を食べ、血を吸い、さらに成長していく。
 自分はもう助からない。それはもう、自分には分かっている。
 とはいえ、どうせ人はいつか死ぬ。ならば、意義のある死に方ができればいい。
(クリス様を助けられたのだ)
 クロムは薄れていく意識の中、ある種の満足感を得ていた。
 だが、同時に。
(死にたくない)
 クリスと出会い、導かれるままに彼女のためにこの一年を費やしてきた。
 生きる目的を持たなかった自分に、道標となった相手のために生きられた。それはいい。
 だが、だからこそ、自分に意義を見出したからこそ『死にたくない』という意識もまた強く現れていた。
(死にたくない、死にたくない、嫌だ、このまま……死ぬ、のは……いやだ……)
 最後の意識が消え行くまで。
 彼は、この世界にしがみつこうとした。

 もちろん、それは不可能なことであった。






 いつもより二時間ほど早く、魔王は目を覚ました。
 とはいえ、半日以上は眠っていたのだ。明らかに睡眠がさらに長く、深くなっている。
 彼は、少しずつ自分の体が変化してきていることに気付いていた。
 人間の体から、魔族の体へと。
 限りある命から、無限の命へと。
(……戻れなくなるな)
 このまま、魔王の体に変わってしまえば、もう人には戻れない。
 何度も、自分には言い聞かせてきた。
 もう、戻れないのだ、と。
 自分は魔王としての道を歩むのだ、と。
(未練か。案外自分は弱かったんだな)
 肉体は変わっても、精神が変化するわけではない。
 心は今でも、たった一人の女性を追い求めている。
 もう他の女性と、交わってしまっているというのに。
 それでも。
(未練だぞ、ウィルザ)
 ウィルザはベッドから降りて、鏡台に近づく。
「お前は、魔王なのだ」
 一日に一度、行われる儀式。
 自分に暗示をかけ、ためらいを奪う儀式。
「よし」
 そして今日もまた、活動を開始する。
 だが、今日はまだ、その活動の基盤となる相手が来ていなかった。
(ルティア?)
 その姿がないと、妙に不安を覚える。
 しばらくしてから扉が開き、白い髪の少女が現れた。
「遅かったな、ルティア」
「はい。申し訳ございません。シャドウ様より緊急の要件が入っておりましたので」
「緊急か。何だ」
「はい。ルシェルが死にました」
 魔王はほんの一瞬、眉を下げた。
「なに?」
「ルシェルが死にました。勇者のパーティと交戦し、クロムという魔法使いを道連れに亡くなったとのことです」
 魔王はまるで表情を変えず、ルティアから視線をそらすと、鏡台の中の自分を見つめた。
(ルシェルが死んだ……)
 その事実が理解されるまで、まだ幾ばくかの時間が必要であった。
 それはつまり。
 リザたちが、殺した、ということ。
「……」
 魔王は、右手を振り上げた。
 そして、無表情のままその鏡を右手で打ち砕いた。
「陛下!」
 ルティアは駆け寄って、自らの服を引き裂き、それで手当てをする。
「かまわん」
「ですが」
「こんな怪我はどうでもいい。それより、シリウスを呼べ。それから伝令だ」
 魔王は、いつもどおりの様子だった。別に重圧があるわけでもなく、表情に変化があるわけでもない。
 それなのに。
 プレッシャーはかかっていないはずなのに。
 何故か、今の魔王に大して逆らおうとする気は全く起こらなかった。
「伝令……ですか」
「ローディスに伝えろ。今すぐに、ラヴィアを落とせ。すぐにだ。そしてその足でアレフガルドへ向かえ。緊急にだ。そして、マイラを落とせ」
「マイラ、でございますか」
「そうだ。そこにいる村人は皆殺しにしろ。いや、一人だけ生かして連れてこい。温泉宿の娘で、ミラーナとかいう女だ。そいつだけは生かしたまま連れてこい」
「……了解いたしました」
 ルティアは伝令を走らせようと、すぐに振り向いて部屋を出ようとする。
 が、その体ごと、後ろから魔王に抱きすくめられた。
「へ、陛下」
「すまない」
「……」
「お前の弟を死なせてしまったのは、俺の責任だ。すまない」
 この人は。
 心の底から、ルシェルを亡くしたことを悲しんでいる。
 ルティアは、なかったはずの自分の感情を見つけた思いだった。
 心の中から競りあがってくる何かに、思わず涙腺が緩みそうになった。
「大丈夫です。あの子も陛下のために命をささげたのなら、それで本望だと思います」
「俺は、そんなことを求めていない。いつまでも仲間同士、一緒にいられることだけが望みだ」
「はい。私もその理想のために尽力いたします」
「死なないでくれ」
 搾り出すような、魔王の声だった。
「もう誰も死んでほしくない……お前は絶対に、俺の側にいつまでもいると、誓ってくれ」
「無論です。どんなときでも、自分の命を最優先にすることを誓います」
「ありがとう」
 そして、戒めが解かれた。
 ルティアは振り向かず、そのまま小走りに部屋を飛び出していった。
(いけない)
 ルティアは部屋の外で、自分の気持ちを必死に押さえつける。
(あの方が想っているのは私ではない。私は代用品。あの方を望んだとしても、あの方を求めてはいけない)
 激情をなだめ、いつもの冷静な自分に戻る。
 そして、ゆっくりと歩き出した。
(ルシェル……)
 そして歩きながら、自分の弟を思った。
 感情を表現することがないとはいえ、弟に対しては愛着もあったし、死ななければいいとは思っていた。
 だが、いざこうして伝令を受けてみても、実感がわいてこない。
 それほど強い愛情を弟に注いでいたというわけではなかった。
 自分は、何か間違っているのだろうか。
 魔王のように、悲しみを表現する方が普通なのだろうか。
(ゾーマ……)
 ふと。
 昔のことを思い出したりした。






「ふうん。至急、ラヴィアを落とせ、か」
 シャドウからの伝令を受け取った三人の様子は全員異なった。
 ユリアは明らかに喜んでいる。はじめから兵糧戦など彼女の趣味ではなかった。
 逆にこの作戦を最上と考えているローディスは明らかに険しい表情だ。
 そしてフィードだけが無表情を貫いている。
「どうすっかな」
「どうするもこうするもないじゃない。さっさとあの城を攻略して、アレフガルドに行けばいいんでしょ?」
「でもなあ、せっかくここまで追い詰めたのによ」
「あら、魔王陛下の勅命にそむくつもりかしら?」
 こうなると完全に魔王をバックにつけたユリアの方が発言力が強い。しゃあねえな、とローディスはやる気なさげに立ち上がった。
「じゃ、ラヴィアは半日で落とすとしよう」
 乗り気ではない。
 だが、最初からそれは可能だった。
 乗り気ではない理由は、ここでのんびりとしていたかったから。
 本拠地にはあまり戻りたくなかったからだ。
 だが、やれというのならやるし、戻れというのなら戻る。
 御上の命令を守るのが武将としての役目だ。
「魔法使いの部隊で西の正門に炎の魔法をかたっぱしから打ち込め。フィードの竜騎士は東側から攻め込め。二方向から攻め込み、なおかつ内部から火の手をあげる」
「内部?」
 ユリアが顔をしかめた。
「ああ。いつ攻撃をしかけてもいいように潜りこませておいた俺っちの部下だ。奴らには『東に竜騎士が見えたら火の手を起こせ』と伝えてある」
「用意周到なことね」
「時間をかければかけるほど、勝算が高まるようじゃなきゃ武将はつとまらないぜ。肝に命じておくんだな」
 ローディスは笑った。
「さあって、それじゃヒトカタマリやるとすっか」
「『一働き』だ」
 フィードが突っ込みを入れて立ち上がった。

 ──それからちょうど半日後。ラヴィアの王族は途絶えることとなった。






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