外伝二.雨降る塔の妖魔












「ユリア様、また人間どもがやってまいりました」
 部下の報告に、うーん、と彼女は寝返りをうつ。
「適当に料理しといて〜」
 昨日も人間を倒したばかりだ。全く、いくらルビスが封印されているとはいえ、何度もご苦労なことだ。
 どのみち、ルビスの封印を解くにはゆかりのある神器を使うか、ルビスに選ばれし者が語りかけない限り、不可能なのだから。
 彼女は特別誰にも忠誠を誓っているわけではない。
 ゾーマからここを守るように要請されたものの、別にそれを守らなければならない理由は彼女にはない。
 暇つぶしに人間と遊ぶのも楽しそうだったから、OKを出しただけだ。
 だが、この塔はつまらなかった。
 やってくる人間は確かに多いものの、力のある者は一人としていない。
「ここはいい男もいないしなあ……」
 まわりにはリカントやらキメラやらのモンスターばかり。いろいろな意味で憂鬱な日々が続いていたのだ。
 たまには何か面白い出来事でも起こってほしいところだ。
「ユリア様、人間をとらえましたが、いかがいたしましょうか」
 一時間と経たずに、再度報告が入る。
「ん〜、人間いたぶるのは昨日やっちゃったし、適当に始末しといて」
「かしこまりました」
 名前も顔も知らない人間たち。
 どうしてわざわざここまでやってくるのだろう。ルビスの封印を解くのは不可能なのに。
 ルビスに選ばれた者は、現状では一人もいない。
 ならば、神器を手に入れるしかないのだ。世界のどこにあるのかも分からない神器を。
「暇だな……」
 ごろり、とまた寝返りをうった。






 それから何年、何十年と経っただろうか。
 彼女は結局、この塔から出ていくことはしなかった。
 どうせ他にやることもないというのが理由だが、何かこの塔に惹かれるものがあったというのも理由だ。
 いつかは、誰かがやってくる。
 自分に革命的な変化を与える誰かが。
 そう信じていた。
 そして、そのときを予感させる出来事が起こった。
 ルビスの部屋、石化したルビスのいる場所。
 その部屋にいたとき、急激に室温が下がった。
 何かがいる。
 人間ではない。人間ならば、誰にも発見されることなくここまで入り込むことは不可能だ。
 ならば、誰が。
(お前がユリアか)
 声は、直接頭の中に響いた。
「誰よ!」
 辺りを見回す。だが、誰もいない。
(下だ)
 下? と自分の周りを見回す。だが、誰もいない。
(影、だ)
 頭の中に響く声に導かれるように、彼女は自分の影をじっと見詰めた。
 その影の自分の頭の部分に、急に目玉が二つ、浮き出てきた。
「なっ」
(我は影。魔王の情報部隊を統括する者)
 だが、ユリアもさすがに腕に覚えがある者、すぐに立ち直るとその影をじっと見つめた。
「アタシに何か用?」
(もうすぐ、ここへ人間の勇者が来る)
 勇者。
 その言葉を聞いたとき、何か背筋に震えが走った。
「つまり、強い奴ね」
(それもある。が、ルビスの封印を解くことができる者だ)
「へえ。面白そうじゃない」
 ユリアは笑った。
 そう。彼女はこの時を待っていたのだ。自分と互角に戦うことができるほどの力を持った人間。そして、簡単な責めでは屈しない魂を持った人間。
 その人間の血を吸うことを、ずっと待っていたのだ。
(用はそれだけだ)
「ちょっと待ちなよ」
 目玉は消えることなく、影に浮き続けた。
「アンタ、名前は?」
(名はない。我は影に潜む者。シャドウ、と呼ぶがいい)
「かわいそうな奴」
 余裕たっぷり、という様子でユリアは微笑した。
「シャドウ。面白い情報教えてくれて、ありがと。お礼は今度、ゆっくりとしてあげるわ」
(必要ない)
 そういい残して、シャドウは影の中に消えた。
「変な奴」
 三転する彼の評価に改めて苦笑する。
「ま、いいわ。せっかくだし、楽しまないとね」
 石化したルビスの像を見つめて、挑戦状を叩きつけるかのように微笑みかけた。






 その時は、まもなく訪れた。
 精霊ルビスの封印を解くため、勇者たちがこの塔に入り込んできたのだ。
 モンスターを蹴散らし、無数の罠を突破し、ルビスへと迫る。
 ユリアは戦闘準備を整えると、ちらりと窓の外を見た。
(雨か)
 このマイラ地方には雨が多い。
 精霊ルビスが、亡くなった人間たちを思う涙だといういわれがあるが、そんなものをユリアは信じてなどいない。
(アタシは何をしたかったんだろう)
 いざ、こういう場面に出くわすと、自分というものを省みるものらしい。
 彼女は、雨の降る朝に生を受けた。
 生まれた直後に、自分の母親を殺した。
 理由など自分も分からない。だが、自分を産んだ親が憎くて仕方がなかった。
 自分は生まれてきたくなどなかったのかもしれない。
 それ以後、自分より強い魔族にも弱い魔族にも出会ってきたが、彼女はおよそ魔族らしからぬ感情を持ち合わせ、また被支配欲にも疎かった。
 孤独に、ずっと一人で生きてきた。
 自分は何をしたかったのだろうか。
 生まれた時から、何かに固執することもなく、いい加減に生きてきた。
 退屈なこれまでだった。
 これからもずっと退屈なのだろう。
(人間か……)
 今度の人間は、少しは楽しませてくれるだろうか。
 ありえないことだとは思うけれど。






 人間の勇者を落とし穴にかけ、仲間から孤立させる。
 おそらくは自分よりも強い力を持つであろう、あの影と名乗った存在、それがわざわざ警告を発しにきたという、それほどの力を持つ人間。
 まず、会ってみたかった。
 いったい、どういう人間なのか。
 彼女は待った。
 この地下室に、その勇者がやってくることを。
 静かに扉が開かれる。
 彼女は、床に座った体勢のまま、扉の方を振り向いた。
 彼は、ここに人がいるということに驚いた様子を見せ、それからすぐに剣に手をかけた。
「何者だ!」
 よく通る声。真摯な瞳に、たくましい体。
(いい男ね)
 滅多にない評価をユリアは目の前の少年に与える。
「ユリア」
「ユリア?」
「アタシの名前。何者だって、聞いたでしょ? とりあえずその剣は抜かないでね。アタシはアンタと話したいだけだから」
 勇者は困惑した表情で、少しだけ警戒を緩める。
「素直ね」
 ユリアは誘惑の笑みで勇者に近づき、鼻が触れ合うほどに傍に寄る。
「見れば見るほどいい男だね」
「……何が目的だ?」
「さあ? アタシもよく分かってないのかも。アンタの名前は?」
「ウィルザ」
「ウィルザ、か。じゃ聞くけど、ルビスの封印なんて解いてどうするつもり?」
 彼は顔をしかめて一歩引いた。
「アレフガルドを救うんだ。魔王を倒して、太陽を取り戻す」
「ふーん。どうして?」
「どうして?」
 その質問は少年の逆鱗に触れたらしい。
「お前たちのせいで、この大地に住む人たちがどんな思いをしているのか、分からないのか!」
「分かるわよ。だって、昔人間たちがアタシたちにやったことと同じじゃない」
 ウィルザは目を見張った。
「知らないのね」
 一歩引いた少年に、彼女は追い詰めるように近づく。
「可哀相なボウヤ。自分が何のために命をかけているかなんて、知らないんでしょうね」
「どういうことだ」
「魔王がどうしてこの地上を闇に閉ざしたか、考えたことがある? 今の魔王は歴代の中でもマシな方って聞いてるけど、魔王としての最低限の仕事しかしてないのはどうかと思うわね」
「魔王が、地上を闇に閉ざした理由……」
「考えたことなんて、なかったんでしょう?」
「そんなもの……」
「ないわよね。人間はいつだって自分のことしか考えてないんだもの」
「お前たちは違うっていうのか」
「魔族が人間を滅ぼそうとしているのは復讐のため。あとは、ときどき食糧にするためかな」
「同じじゃないか!」
「違うわよ。人間だって動物だって、何かを食糧にして生きているのは同じでしょう? アタシたちの中には人間が主食だって奴がいるのよ。そいつらが人間を食べなくなったら餓死しちゃうでしょ」
「でも僕は人間だ。同胞が傷つけられるのを黙って見てはいられない」
「アタシたちも同じよ。人間がアタシたちを滅ぼそうとするから、アタシたちは自分たちを守るために戦っているだけだもの」
「そのために人間を滅ぼそうとするのか」
「アンタたちだって同じでしょ? アタシたちを滅ぼそうとしてるんだから。こっちばかり悪いなんて言わないでほしいわ」
 少年は首を振った。嘘だ、と振り払うように。
 その少年にさらに近づき、彼女は唇を合わせる。
「なにを!」
「ねえ、魔族と人間は分かり合えない?」
「?」
「たとえば、魔族の中でも力のあるアタシと、人間の勇者であるアンタが結ばれることで、共存するっていう可能性は開けないのかな?」
「冗談を」
「アタシは結構本気だよ。そうだね、アンタが魔王だったら、支配されてもいいくらいには」
「し、支配?」
「ホント、あんたって何にも知らないんだねえ……ま、多分それも遠い未来じゃないだろうけど」
「どういう意味だ」
「真実を知る勇気が、アンタにはあるかい?」
 その言葉は、勇者に戸惑いを与えた。

「アンタが真実を知ったら、どういう行動を取るか、楽しみだよ」

 ユリアはそれだけを言い残すと、彼の横を通り抜けて部屋を出る。
「あ、そうそう。そのときはアタシ、アンタの部下になってあげるよ。アンタも少しは使える部下がいた方が、人間を滅ぼしやすいだろう?」
「ふざけるな!」
「そう言っていられるのも、アンタがルビスに会うまでかもね。ルビスの封印、解きたいなら解きなよ。でもね、アンタはそれからもう引き返せなくなる。その覚悟があるんなら、ね」
 そう言い残して、彼女は塔を後にした。






 ──そうして、時が流れた。
 彼女が次の根城に選んだのは、大灯台。ゾーマの支配が及ばなくなった魔族たちは次々とここへ逃げ込んできていた。
 そのモンスターたちを求めて、次の魔王となるべき青年が塔を訪れる。
「久しぶりね、ウィルザ」
 憮然とした様子の彼に、彼女は妖艶な仕種で抱きついた。






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