二十三.永劫の未来の中に真実を垣間見る












 マイラ地方にはよく雨が降る。
 それはこの地方に住む雨の魔女が降らせているのだという話があるが、実際のところは単に気候的な問題である。マイラより北側の海は、北東からの風と北西からの風が同時に吹き込み、年中まっすぐマイラ方面へ向けて雨雲が降りる。
 そして、そのマイラの北にある小島。
 暴風雨と雷がやまない塔。それが、ルビスの塔。
 最上階でルシェルを倒した一同は、その塔の中、ルビスの部屋までやってきていた。
 小窓から時折雷光が部屋に差し込む。
 戦闘後にようやく降り出した雨の音と、雷の音が室内に響く。
 そして、石化した女神がそこにいる。
 魔王によって封印され、今もその姿のままこの塔で石の眠りについている。
「グラン。大丈夫かい」
「うん、多分」
 前もそうだった。精霊ルビス神の信者たるグランは、勇者であるウィルザを除いて唯一直接神と話ができる存在であった。
 勇者が毒を受けて命の危険があったとき、なんとか助けることができたのは、グランがルビスと会話できたからだ。ルビスの封印を、グランが解けたからだ。
「ルビス様」
 グランはその石像の前に跪いて呪文を唱える。
「邪の力よ、解かれたまえ。偉大なる精霊神ルビスよ、ここに復活したまえ。われ、汝の僕なり。われ、汝の力を知る者なり」
 少年は、幼い頃から精霊の声を聞き、精霊と共に生きてきた。
「いざ、目覚めたまえ──!」
 何層にも覆われた雲の隙間から、一筋の光が塔に差し込む。
 それこそ、ルビスの光。
 復活の灯火。
 ルビスの石像が光り輝き、そしてまばゆいまでの燐光を放つ。
「くっ」
 クリスもリザも目を覆う。あのときと同じだ。グランが前に封印を解いたときと、全く。
「ルビス様!」
 やがて。
 光の中に現れたのは、まぎれもない女神。
『お久しぶりですね、みなさん』
 頭の中に声が直接響いた。
(ルビス様?)
 やがて光が消える。
 そして、彼女が姿を現した。
 虹色に輝く髪。
 透けているようでしっかりとした質感を保つ神衣。
 そして、感情のこもらない表情。
「ルビス様!」
 グランがその場に両膝をつく。それにならって、クリスやリザ、レオン、デッド、マリアもまたその場に畏まる。
「かまいません。楽になさい」
「ですが」
「状況は把握しております。苦労されているようですね、グラン」
 少年は首を大きく横に振って、そんなことはない、という意思をアピールする。
「ウィルザも……魔王としての道を選びましたか」
 ルビスが哀れむような声を出す。
「ルビス様には、ウィルザが何故その道を選んだのか、ご存知ですか」
「無論。過去、幾人もの勇者が同じ道を歩んだ。ウィルザもそれに倣っているにすぎません」
「勇者が魔王になる……その理由は何でしょうか」
 代表して質問するのはグランだ。何故ならば、ルビスに認められた勇者か、ルビス神を信仰する高位の神官でなければ話しかけても答えてはもらえないからだ。
 だが。
「リザ、と申したか」
「は、はい」
 この女神にしてはありえないことが起こった。
 勇者でも神官でもない、一人の魔法使いに自ら声をかけたのだ。
「澄んだ目をしている。それほど、ウィルザに想いを寄せるか」
「……」
 リザはどう答えていいのか分からない。褒められているような気はするのだが、素直に答えることができない。
 ルビスは少しの間目を閉じて、思案するそぶりを見せた。
「その方」
 ルビスの目が開くと、視線はまっすぐにレオンを捕らえた。
「はい、レオンと申します」
「デインの力を既に手にしていますね。なるほど、見所のある勇者ですね。そなたならば魔王を倒せるやもしれません」
「必ず、倒してごらんにいれます」
「ですが、まだ弱い」
 レオンは顔をしかめる。だがさすがに相手が神とあってはかみつくわけにもいかないと堪える。
「ウィルザは歴史上最高の強さをもった魔王。しかも、完全な魔王として君臨することになります。時間は少ない。彼は魔王としての真の役目を果たすつもりでしょう」
 魔王としての、真の役目。
「魔族は人間に虐げられていた民族。魔界へ追いやられ、赤い空の下で生きる者たち。だからこそ魔族は人間を憎む」
「人間が、魔族を?」
 グランが思いもよらないことだと首を振る。少なくともルビス経典のどこにもそのようなことは書いていない。
「人間と魔族との戦いの折、多数の人間は少数の魔族を捕らえ、いたぶりました。魔族は魔界へ追いやられ、そこで異形のモンスターたちの餌として暮らすことをよぎなくされました。ですが、人間よりはモンスターの方がいい。何故なら、人間は魔族を根絶やしにしようとしますが、モンスターは魔族を全滅させることはないからです。魔族はそこで力を手に入れた。モンスターと戦う術を手に入れたものだけが生き残ることができた。そして、復讐を開始した。自分たちをこんな苦境に立たせた人間たちを許すまじ、と」
「魔族が人間の世界に攻め込んできたのではないのですか?」
「違います。もともと人間と魔族はこの世界に同居していたのです」
「非は、人間にあるのですか?」
「そうです」
 はっきりと答えた神に、さすがに人間たちは険しい表情を浮かべる。
「で、では、ルビス経典に書かれてあることは」
「全てが真実というわけではありません。残念なことですが」
「そんな」
「私がこの地上に残したものも、人間によって都合よく歴史が書き換えられています。ですがそれはやむをえません。私は歴史の捏造を止めるつもりはありませんから。人間だけが歴史の捏造が許される。私はそう、決めたのです」
「でも……それはおかしいよ」
 クリスがつぶやく。
「あいつは、ウィルザはそんなことで人間を嫌ったりはしない。たとえ人間が悪くても、人間の敵になるだなんてことは考えないはずだ」
「私もそう思う。少なくとも人間を滅ぼそうだなんてことはないと思う」
 リザもまた同意する。
 そう、まだ理由があるのだ。ウィルザが魔王にならなければならなかった理由が、どこかに。
「ルビス様」
 代表して尋ねるのは無論、グランだ。
「ウィルザが何を考えているのか、ご存知でありましょうか」
「ええ」
 ルビスは視線をレオンに向ける。
「レオン。そなたに、我が守りを授けましょう」
 突然話が変わり、レオンも驚いて顔を上げる。
「は、はい」
「ですが、この守りを手にするということは、全ての真実を知るということ」
 ルビスの声に冷たさがこもる。そして、ルビスの右手から白い煙が立ち、その煙の中から『ルビスの守り』が現れる。
「ウィルザはこの守りを手にしたとき、顔色一つ変えませんでした。仲間たちに全く気づかれまいとして。ですが、あなたにはそれができるでしょうか」
『ルビスの守り』を持ったまま、右手を差し出す。
「つつしんで、頂戴いたします」
 レオンはうやうやしくその右手から『ルビスの守り』を受け取った。

 直後、レオンの中に全ての『真実』が流れ込んできた。

 過去と未来。
 勇者と魔王。
 創造と破壊。
 現実と真実。

「あ、あ、ああ……」
 レオンは、震えだしてその場に膝をついた。
「そう。それが真実を知った者の姿。ウィルザは強力な自制心で、動揺を一切外に見せなかった。最後まで。誰にも。かの者の心の内を知る者は誰もおりません」
 わなわなと震えて両手を床につけたまま震えるレオンの背をリザが優しく撫でる。
「大丈夫?」
「は、はい……でも、もう少し、待ってください」
 よほどのショックだったということがそれだけで分かる。
 だが、いったいどのような真実を手に入れたのかまでは分からない。
「グラン。真実は彼より聞きなさい。そなたらには真実を聞く権利があろうから」
「はい。ありがとうございます、ルビス様。もう一つ、お願いがあるのですがよろしいでしょうか」
「なんなりと」
「お言葉に甘えまして。我々の力は魔王に遠く及びません。それは、ウィルザがこの一年間で尋常ならざる修行を積んだと考えてよろしいのでしょうか」
「全てがそうとは言い切れません」
 ルビスは間を置いてから答える。
「確かにこの一年でウィルザは恐るべき力を手に入れました。ですが、言い換えればあれは『本来のウィルザの力』にすぎません」
「本来?」
「そうです。最初から彼の中には力が眠っていたのです。それが魔王となることで解放されたにすぎません」
「勇者の時は手加減をしていたということですか?」
「違います。『人間以上』の力を本能で恐れるが故に、無意識のうちに自分の力を制限していたのです。勇者とは皆そうした存在です。レオンもまた同じ」
 全員の視線がレオンに注がれる。
「勇者の光、デインの力を体内に兼ね備えている者は、その力を使う前から、生まれた時から自分の力に怯えているのです」
 そこまで聞いてから、グランはあることに気づいた。
 ライデイン、ギガデインといった勇者としての最強魔法。
 ウィルザはその魔法をアレフガルドでは全く使っていなかった。
 いや。
(そうだ、たしかこのルビスの塔までは……)
 使っていたのだ。先ほどのレオンのように。
 だがここで『ルビスの守り』を手にしてからは、全く使わなくなった。
 それは、デインの力の正体を知ったから、ということだろうか。
「ルビス様。では、デインの力というのは……」
「あなたの考えている通りです。グラン」
 ルビスは答を言わなかった。
 それは、つまり。
「人、ならざる者の証……」
 人間でありながら、人間にはない力。
 その力を持つ者は、人間にあらず。
「そう。デインの力はもともと人間には制御しえないもの。それを人間たちは、デインの力を『勇者』の力と言い換えることで人間の側に置こうとした」
 勇者が、自分は人間ではないのだと、悩むことのないように。
「そんな」
 クリスが混乱を隠し切れない様子で頭を押さえる。
 だが。
「ウィルザはどうして、私たちに言ってくれなかったのかな」
 リザがぽつりと呟いた。
 ルビスの守りを手にしたウィルザには、そうした全ての真実を知っていたはずなのだ。
 それを全て心の内に隠し、一人だけで全ての事を成し遂げようとした。
 デインの力を使わなくなったのは、自分が人ならざる者だということを恐れたからだろうか。
「!!!!」
 リザは立ち上がった。
 自分が、愚かな決断をしたのだということに気づいたから。
「まさか、まさか……そんな!」
「リザ?」
 動転するリザをクリスがなだめる。
「どうしたっていうんだい」
「ウィルザは、ウィルザはあのとき……」
 あの、最後の別れの日。
「一年前、ウィルザはまだ、魔王になる決心がついてなかったのよ!」
 リザの吐き捨てるような声に、クリスとグランが目を丸くする。
「彼女の言うことは、おそらく間違いではないでしょう」
 何も言えない一同にルビスが声をかける。
「ウィルザは一人で旅に出たのでしょう。それは、仲間が傍にいては魔王になる決心をつけることができないから。過去の魔王たちも、同じようなものでした。そうあの、先代の勇者も」
 先代の勇者。
 そうだ。
 何度も聞いた。
 勇者は、魔王への道を歩む。
 と、いうことは……。

「ゾーマが、かつて勇者だった……?」

 グランの呟きは、一同をさらに混乱させていった。






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