二十五.舞い踊る火の粉の中に信頼は崩れ去る
リザたちは為すべきことを見出すとルビスの塔を後にした。
するべきことは定まった。ウィルザを説得するにせよ、戦うにせよ。まずはロンダルキア。そこへ行かなければ話にならない。
だが、その前に彼らにはやるべきことがあった。
それは、一度マイラの村に立ち寄るということであった。
「結局戦うかどうかはまだ決まらねえってことか」
先頭を歩いているのはデッドとクリス。クリスはその声を聞いて肩をすくめた。
「ま、仕方がないさ。いざウィルザと戦うと言われたら、さすがのあたしでも躊躇するよ」
「俺は別の意味で遠慮願いたいね。勝てない喧嘩はしない主義なんだ」
それなら彼はどうしてここにいるのだろうか。勝てない喧嘩であるというのは目に見えているのに。
「ま、あんたはこの戦いをしなきゃいけない義務はないだろうね」
挑発的な口調に、けっ、とデッドは受け応える。
この反骨精神旺盛な青年は、自分だけが安全な場所にいて仲間を見殺しにするようなことは、死んでもできないのだ。
「それにしてもマイラは久しぶりだな」
デッドは話を変えてにやにやと思い出し笑いを浮かべる。
「なんだい、気色悪いね」
「そりゃそうだろ。マイラには温泉があるんだぜ? ここは日頃の疲れをぱあっと洗い流してだな」
「で、女風呂でも覗こうってのかい?」
「な、なんだよ! この俺がそんなことするわけねえだろ!」
どうだか、とパーティの全員が同時に心の中で思う。
「それにしても、本当に久しぶりね」
リザが援護するかのように話題を振り返る。
「グランにとっては、それこそ気が急いてるんじゃないのかい?」
グランは照れたように笑った。
「でも、きっとミラーナには心配かけたと思うから」
「そうね。だから最初にまず謝りなさい。ミラーナは優しいから、きっと許してくれるわよ」
「うん。オイラもそう思う」
どこか緊張をはらんだような様子でグランが応える。
「そして、これからどうするかもきちんと伝えないと」
魔王と会い、必要とあらば戦う。
ウィルザの決心は固い。戦わずにすむのならそれにこしたことはない。
だが、あの頑固一直線のウィルザが簡単に自分の意思を曲げるとは思えない。
そのときは、力と力のぶつかり合いになる。
そのとき自分たちの勝ち目は、それほど高くはない。いや、それは謙遜した言い方である。全くない、と言った方がよほど正しい。
だから自分たちが考えることは、まず戦わずに全てを収めることができるようにすること。
ウィルザさえ説得できれば、全ては収まる。
もっとも、そのためには魔族の騎士たちとの戦いが待っているのだろうが。
この間の戦いのときにウィルザの周りを固めていたローディス、フィード、ルティア。そしてシリウスにシャドウ。さらにはユリア。
いずれも強敵ばかりだ。これらを全て倒すのは既に不可能じみている。
だが、ためらっている時間はない。
ウィルザはこのアレフガルドのみならず、この世界に住む全ての人間を滅ぼそうとしているのだから。
「おい、なんかおかしくねえか?」
デッドが前を見て言う。
森の奥が、なんだかにび色に染まっているかのような。
「あれは……」
くん、と焼けた匂いが鼻をついた。
「火だ!」
火事?
いや、違う。
まさか。
「ミラーナ……」
グランが呆然と前を見詰める。
そう、考えられることはたった一つ。
「ミラーナ!」
グランは猛然と走り出した。
「グラン!」
あわててクリスが駆け出す。デッドも、レオンも、そしてリザもマリアも続いた。
そう、考えられることはたった一つ。
それは、魔族の襲撃があった、ということ。
「ミラーナ!」
グランはペースを落とさずに駆け続ける。
小高い丘をぬけ、小川をぬけ、そして木々の間をぬうようにして走る。
徐々に、目の前に赤い色が広がっていく。
そして、視界が開けた。
「あああ……」
グランは目を疑った。
マイラが、燃えている。
逃げ惑う人々、追い回すモンスター。
かつて、自分が暮らした町が、今は惨劇の舞台と化している。
「やめろ」
グランの髪が逆立つ。
モンスターの爪が子供の肉を裂き、牙が母親の肉を噛む。
「やめろおおおおおっ!」
グランの体から波動がほとばしる。
真空の鎌が、モンスターたちの体をズタズタに引き裂いていく。
(認めない)
村人たちの阿鼻叫喚の図。
そして、それを指示しているのが。
「オイラは絶対にウィルザを認めない!」
周囲のモンスターを一掃し、肩で大きく息をつく。
「ああ……」
ふと、女のあえぎ声が聞こえた。
「グラン様」
先ほどの母親だった。腹部から完全に内臓が露出している。一部は獣によって食べられてしまっている。
どんな奇跡を起こしたとしても、失われた臓器を回復させることはできない。
「ご無事だったのですね」
「遅くなって、申し訳ありません」
グランは血で汚れることなど全くかまわずに、その女性を抱く。
「まだ、子供が村の中に……どうか」
「分かっています。大丈夫、私が絶対に助けます」
「よかっ……」
ごふっ、と血を吐いて、そのまま意識を失う。
まだ心臓は動いているが、もはや時間の問題だ。
「くっ」
グランは立ち上がった。助けられる命があるのなら、一人でも助けたい。
ムーンブルクの二の舞は、ごめんだ。
(ミラーナ)
グランは温泉へ向かって走る。
温泉の看板娘。
自分にとって、もっとも大切な女性。
(オイラが助ける)
どんなことがあっても守ると誓った。
襲いくるモンスターを蹴散らし、一気に目的地へと駆けつける。
そのときだ。
「おやおや」
聞き覚えのある女の声がした。
「誰かと思ったら、まさかボウヤだったとはねえ」
離れたところに三つの影。
左に仮面と鎧で武装した騎士、右に浅黒い肌にラフな格好をした男、そして中央に小柄なサキュバス。
(騎士が、三人?)
かつて死闘を交えたユリアに、その実力の片鱗すら見せていないフィードとローディス。
一人で立ち向かえるほど、楽な相手ではなかった。
「まさかこんなところで会えるとはねえ、もう具合は大丈夫かい?」
ローディスがにこにこと笑いながら話しかけてくる。グランは大粒の汗をかきながら戦闘態勢を取る。
「あら、一人で戦うつもり? 仲間がそろうまで待った方がいいんじゃなくて?」
ユリアがくすくすと楽しそうに笑う。
「なんでだよ……」
「んあ?」
「なんでウィルザはこんなことするんだ!」
三人の騎士の後ろに、グランはウィルザの影を見た。
この三人にマイラ襲撃の指示を出したのは間違いなくウィルザなのだ。
ここにはミラーナがいるということを知っているのに。
それなのに、何故。
「そんなの簡単よ。報復よ、ほ・う・ふ・く♪」
グランが意味不明だといわんばかりに顔をしかめる。
「だって、あなたたちがウチのルシェルを殺しちゃったでしょ? それでウィルザがキレちゃって、こっちも大変なんだから」
「そうだよなあ。あと三日もあればラヴィアの殲滅も徹底的にできたんだけどなあ。中途半端に終わっちまった」
ラヴィアの殲滅──その言葉の意味するところはつまり。
(ラヴィアが落ちた)
世界の三大王国、ラダトーム、ムーンブルク、ラヴィア。そのうちムーンブルクは落ち、ラヴィアもまた滅びた。
残るは、ラダトームのみ。
「というわけで、人間を滅ぼす計画が早まったってわけ。ま、別にあんたたちのせいってわけじゃないわよ。早いか遅いかの違いだけだもの」
魔族にしてみれば、人間を殺す殺さないということは、朝食を米にするか麦にするかの違いくらいでしかないというのか。
ウィルザには、たったそれだけの価値しかもう、感じられていないのか。
「ウィルザ……」
涙がこぼれそうになる。
信じていたのに。
もう引き返せない。
自分が、ウィルザを許せない。
「許さない……」
再び、グランの周りに風が渦巻く。
「絶対に許さない!」
バギクロス。極大真空呪文。グランの最強呪文。
だが、それすらも魔導騎士の前には、たやすくかき消されるものにすぎなかった。
「無駄よ。ボウヤ程度ではね」
ユリアは当然といった様子だ。
「さて、どうする」
それまでじっと黙っていたフィードがローディスにふる。
「どうするって言ったってなあ。俺らは別に勇者たちを倒せなんて指示は受けてねえしなあ」
「だが、敵だ」
「でも勝手にこいつら殺したら、魔王っちが怒るぜ」
「そうだろうな。だが、殺してもいい連中はいるだろう」
フィードとローディスの会話の間に、グランの周りにようやく仲間たちが追いつく。
「グラン!」
リザが、クリスが、レオンが、マリアが、デッドが、それぞれに武器をたずさえて到着する。
「なるほどねえ」
それを見てローディスが頷く。
「でも、今回の作戦はこの村の殲滅と、温泉宿の嬢ちゃんをかっさらってこいってことだけだろ?」
その言葉は一同に衝撃を与えた。
(温泉宿の娘だって?)
クリスが顔をしかめる。
それは、ミラーナのことではないか。
「ウィルザがなんでミラーナを連れていかなきゃいけないんだ!」
「んなこた魔王っちに直接聞けよ。俺らだって突然言われて抱擁してんだからよ」
「『動揺』だ。抱き合ってどうする」
フィードがため息をつきながら突っ込みを入れる。
「まあいい。お前はさっさと仕事をしてこい」
フィードの言葉に「いいかい?」とローディスは懐っこそうな笑顔を向ける。
「足止めくらいなら二人いれば充分だろう」
手に持つ槍が鈍く輝く。
「ん、じゃ、そうさせてもらうとすっかな」
「そうそう。それからフィード、あんたも手出ししないでよね」
ユリアは強気に笑う。
「あいつらは私のエモノなんだから」
ユリアはリザとデッドを見て残忍な笑みを浮かべる。
リザは魔王陛下に想われている女性。それだけに腹立たしい。
だが、それ以上に許せないのはあの男。格下の分際で自分にあわや致命傷という手傷を負わせたあの男は、絶対にこの手で殺すと決めている。
首を絞めるのもいいかもしれない、少しずつ血を抜いていくのもいいかもしれない。
「いいだろう」
フィードはユリアの申し出を受け取る。
「ローディスは行け」
「りょーかい」
言われたローディスはくるりと向きを変えて温泉宿に入っていく。
「待て!」
グランがそれを追おうとするが、その前にユリアが立ちふさがる。
「あら、行かせると思ったの、ボウヤ?」
魔力の塊がグランを襲う。
「くっ」
グランは半ば直撃を覚悟した。だが、
「なっ」
グランに向けて放った魔力の塊が跳ね返ってユリアに襲い掛かってくる。
「しまっ──!」
ユリアはその魔法の直撃を受けた。
「これは……」
精霊の法衣。ルビスから賜った神衣。
まさか、ユリアの魔法まで跳ね返すことができるとは思っていなかったが。
「グラン、今のうちに行きな」
クリスが間に割り込んで言う。
「でも」
「あのローディスは強いよ。いいかい、絶対に戦ったら駄目だ。先にミラーナを見つけて、ここまで戻ってくるんだ。いいね?」
的確に出される指示に、グランは頷くとローディスを追って温泉宿に入っていく。
フィードは何をするでもなく、それを見送った。
ユリアはようやく自分の魔法の衝撃から立ち直り、過ぎ去ったグランを見つめる。
「もう、綺麗なお肌に傷がついちゃったじゃない」
自分の魔力は絶品だなと思いつつ、ユリアは服についた土をほろう。
「ま、あのボウヤはかまわないけどね。殺さなきゃいけないのは──」
勇者たち一向の中で、殺さなければならないのはマリアとデッド。この二人。
残りは魔王の指示が出るまで殺してはならないのだ。
もっとも。
(素直に従うわけにはいかないけどね)
天敵がここにはいる。
それを倒すまで、自分の渇きが癒されることはないのだ。
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