二十六.戦場にて少年は一つの進化を遂げる
グランは宿に入ると、真っ先にミラーナの部屋に入った。
だがそこには誰もおらず、どこに行ったのかとしばらく迷う。
宿中を見回ったが、既にローディスの姿すらない。
どこか、別の場所へ向かったのだろうか。
だとすれば──
(教会だ)
グランの脳裏にその答が導かれる。
彼女が逃げ込む場所として、ルビスの加護を求めたとしても全く不思議はない。
自分が起こすルビスの奇跡を最も見ていたのは彼女だったのだから。
「ミラーナ!」
叫んで、自分が住んでいた教会へと走る。
温泉宿から教会までは、走れば十分の距離だ。
火の粉舞う街中をグランは懸命に走る。
魔王はミラーナを連れ去ろうとしている。それはいったい何故なのか。だが、どんなに曲解しようとも、それが自分たちに関係することは間違いないことだった。
ミラーナを盾にとって、自分たちに対する人質に使う?
ありえない、とはいえない。今の魔王は昔の勇者とは違う。
分からない。ウィルザの考えていることが。昔はあんなに、純粋に、魔王を倒すことだけを考えていたのに。
(いや)
それすら、今考えなおしてみると自分の勝手な思い込みだったのだ。ウィルザは全ての真実を知り、自分が魔王になることすら意識してあの戦いに臨んだのだ。
「オイラは何も分かっていない」
それが何より悔しい。
涙を流しながら自分の首を絞めたウィルザ。
彼自身の命と、人間の未来と、大切な仲間と、さまざまなことを頭の中で考えながら、ウィルザは覚悟を決めて自分たちと戦っているのだ。
(覚悟だ)
グランは歯を食いしばる。
(オイラに足りないのは、ウィルザと戦うという覚悟だ)
あの戦いでは、それが前面に出てしまった。
魔王はきっと分かっていたのだ。自分たちが戦いというものを選びきれていないことに。そうでなければ、自分たちがウィルザを『殺す』つもりで戦っていたら、たとえ勝てないにしても、もっと抵抗することができたはずだ。
説得しきれなければ。次に戦うときは。
(殺し合い、だね)
その覚悟を持たないと、ウィルザとは戦えない。彼はまさに自分を殺そうとしているのだから。
「負けない」
赤い世界の中、教会が少しずつ近づいてくる。
「オイラは負けない!」
扉を勢いよく開いた。
「ミラーナ!」
目の前には、キラーリカントが三体。
その向こうに、騎士ローディス。
そして、ルビス神像の下──
「ミラーナから、はなれろおおおおっ!」
小さな体に膨大な魔力がこもる。
精霊の法衣がはためき、続けて放つバギクロスの一撃が、キラーリカントの群れを完全に切り裂いた。
「おやおや」
ローディスは振り返り、突然現れた少女にとっての希望の光を見つめる。
「グラン──無事だったのね」
そのローディスの向こう側で、少女が弱弱しく微笑む。
「心配かけてごめん、ミラーナ」
軽く言葉はかわしたものの、二人の間には障害がある。
あまりにも大きな障害が。
「やれやれ。俺はお前を殺せなんていう指示は受けてないんだぜ? 俺にどうしろっていうんだよ」
「おとなしく魔王のところに帰れ。さもないと」
「さもないと?」
「倒す!」
うーん、とローディスはうなってぽりぽりと頭を掻く。
「いや、無理だろそれ」
「無理なんかじゃない!」
「どう考えたってお前一人じゃ俺を倒せねえよ。裏技でレベル100とかになってるならともかく」
「わけの分からないこと言うなっ!」
ローディスはため息をつく。
「仕方ねえなあ。俺っちはあんまり戦闘好きってわけじゃないんだけど、魔王っちの命令には逆らえないからな。とりあえずこの娘だけもらってくぜ」
「させない!」
グランはバギクロスの魔法を唱える。
「無駄だぜ?」
楽しそうにローディスは笑う。
「俺は強いからなあ」
そう言っている間にバギクロスの直撃を正面から受ける。
「連射! バギクロス!」
さらに追い討ちをかける。少なくともルシェルのときはこれでダメージを与えられた。同じ騎士相手なら通用するはず。
「ミラーナ!」
そして駆け出す。
「まあ、そう慌てるなよ」
だが、その魔法の直撃を受けたはずのローディスは平然とした顔でグランの前に立ちふさがる。
「そんな」
「ま、これでも獣騎士だからな。そんな魔法で倒されるほど弱くはねえつもりだぜ」
全くの無傷であった。もちろんこれで倒せるとはグランも思っていなかった。だが、これでいくばくかのダメージを与え、その隙にミラーナを連れて逃げ出すことはできるだろうとふんでいた。
バギクロスの連射がきかないのなら、自分にはもう攻撃手段は残されていない。
「どうして」
「ま、種明かしをするなら別になんてことはねえよ、単に俺の防御力がお前の魔法力を大幅に上回ってるだけ。俺の一番の武器はこの『鋼の肉体』だからな。そんなへなちょこ魔法で俺を傷つけられるわけないだろ?」
圧倒的な、能力の違い。
それをまざまざと見せつけられたグランは、一瞬絶望しかける。
(いや、まだだ)
きっと、方法はある。倒せなくても、足止めする方法が。
(足止め……)
そう、倒せなくてもいいのなら方法はあるはずだ。戦い方は一つではない。視野を狭めてはいけない。
せめてミラーナを連れて逃げ出すくらいのことができなくてどうする。
「行くぞ!」
グランはローディスに向かって突進する。何かあるな、とローディスは剣も抜かずに何をしてくるのか見極めようとした。
「バギマ!」
走りながら魔法を唱える。
グランの足元に。
「ほう?」
バギ系の魔法は真空を生み出して相手を傷つけるものだが、その正体は乱気流である。
不規則に歪む気流が一瞬の真空を作り出す。したがって、風の力で相手の動きを封じ、真空の刃で敵を切り裂くのがバギという魔法だ。
グランはその気流を逆用し、地面から跳ね返ってくる乱気流を利用して大きく飛び上がった。五メートルもある教会の天井に届くほどの大ジャンプだ。そのまま上空で体勢を翻して、ローディスめがけて下降する──
「それじゃ返り討ちだぜ?」
まるで相手を心配するかのように呟くローディス。
「バギマ!」
が、ローディスが完全に体勢を整えるより早く、グランは天井に向けてバギマを放ち、それによる急加速でローディスに突撃する。
「んなっ」
愛用の賢者の杖をローディスの頭に叩きつける。
杖が粉々に砕けた代わりに、ぐらり、と獣騎士がよろめく。
そこへ着地よりも先にグランは至近距離で呪紋を放った。
「バギクロス!」
だがそれは、ローディスを狙ったものではない。
狙ったのは、精霊ルビスの像だった。
「なに?」
ローディスは頭を押さえて視界をはっきりとさせる。
その彼の目の前に、自分の大きさの倍以上あるルビス像が倒れてきた。
「プスティス!!!!!!!」
意味不明の言語を発して、ローディスはそのルビス像の下敷きとなった。
「ミラーナ!」
ローディスには目もくれず、グランはミラーナの下へ駆け寄る。
「グラン」
「早く逃げよう。まだアイツを倒したわけじゃない」
ミラーナの手を取り駆け出そうとする。
だが。
「いててて……くう〜、今のは効いたあ」
ルビス像を押しのけて、ローディスは『頭をぶつけた』かのように左側頭部をさすって埃の中を立ち上がった。
「そんな。あれで足止めにならないなんて」
「よく考えるよなあ。まさかルビス像をぶっ壊すだなんて考えもしなかったぜ。お前さん、案外切れるな。やれやれ、魔王っちが最初に殺さなければならないって言った理由が分かった気がするぜ。あーいてえ。ま、かえすがえすも相手が悪かったな。俺以外だったらうまくいったかもしんねえけどよ」
言いながら、ローディスはそれが真実だとは考えていない。
少なくとも『自分より強い』フィードやルティアならば、最初の一撃からして受けずに回避しているだろう。
「ミラーナには指一本触れさせない」
「力の差を見てから言えよなあ」
グランがバギクロスを唱えようと構えたが、その一動作の間にローディスはグランの懐まで入り込んでいた。
「バギ……」
「遅い遅い」
ローディスは笑いながら、グランの頬を殴り倒した。
完全に脳震盪をおこしてしまったのか、グランは全く起き上がることもできなかった。
「グラン!」
「さて、お嬢さん」
その笑顔のまま、ローディスは震えているミラーナに話しかける。
金色の髪が揺れ、水色の瞳が恐怖に怯えている。
「お嬢さんには三つの選択肢があります。一、この場で絞殺。絞殺っていいよなあ、少しずつ抵抗が弱まっていくときのあの感覚、一度味わってみる?」
ミラーナは泣きながら首を横に振る。
「じゃあ二番目。この村に襲い掛かってきた獣の餌になる。ま、俺っちとしてはそれでもかまわないんだけどさ。生きたまま獣に食われるのって辛いよ〜。致命傷から遠い分、痛みが和らぐまで、つまり死ぬまでに時間がかかっちゃうからね」
ついにミラーナはしゃくりあげてしまった。
「じゃあ三番。おとなしく俺っちの捕虜になって、勇者たちが強くなってから君を助けに来るのを待つ。ま、三つの選択肢の中ではまともな方だと思うよ。少なくともうちの総大将がアンタを傷つけるようなことはしないだろ」
「も、もし」
綺麗なソプラノはかすれ、震えていた。
「私が捕まったなら、グランは助けてくれるんですか」
「そうだねえ。もともとはそんなつもりなかったんだけど、お嬢さんとの取引材料に使えるといえば使えるね。何しろ、俺っちがこのボウヤの頭を握りつぶすだけでいいもんなあ」
「やめてください」
「いいんだよ、別に。どうせお嬢さんに強制はしないさ。ま、そのときはそのときで、お嬢さんの知人を残らずこの地上から消去するだけだから、心配しないで」
「つかまります」
ミラーナは歯を食いしばりながら言った。
「私の身柄を預けます。だから、グランたちは助けて」
「そうだねえ。ま、今のところはグランたちに何するっていうことはないんだ。だからお嬢さんがいやだっていうんならそれまでだよ。俺っちは仕方ないから君のことは全部調べて、この地上でお嬢さんと関わりがあったもの全て、消去するから」
「私を差し出します!」
ローディスは困ったように頬をかいた。
「そうかい? ま、そこまで言うんならしょうがねえか」
だが、その間もローディスは終始笑顔だった。
「や、やめろ」
脳震盪を起こして目の前すらはっきりと見えない状態で、グランは立ち上がってきた。
「ありゃ。平衡感覚はまだないと思うんだけど」
「ミラーナだけは、絶対に守る」
歯を食いしばり、両の拳を握り、目を閉じた状態でグランはローディスに向き合う。
「うーん、泣かせるねえ。絶対的に勝ち目がない状態で、どうしてそこまで戦えるのかな。一度相手に渡しておいて、後から取り戻すっていう選択肢だってあるのになあ」
「そんなの、選択できるかっ!」
「しゃあねえなあ」
ローディスはやれやれという感じで、ここにきて初めて得物を握った。
それは、壊れたルビス像の頭だった。
「来な、ボウヤ」
右手で人よりも一回り大きい像頭を握り、ローディスが挑発する。
「うああああああああああああっ!」
ふらつきながらも、グランは駆け出した。
声の場所で、だいたいの位置は把握できている。
たとえかなわなくても、この拳を相手に叩き込む!
「くらええええっ!」
ウィルザやクリスよりも、はるかに華奢で非力なグランが、全力を込めて右の拳をローディスの腹に打ち込んだ。
だが、当然ローディスは微動だにしなかった。
「カリニフタ・サス」
ローディスは右手のルビス像で、目の見えないグランの頭を痛烈に打ち付けた。
「いやああああああああっ!!」
ミラーナの叫び声が響く。
そして、完全に力をなくしたグランが崩れ落ちた。
「あ、やべえやべえ。つい手加減すんの忘れてた」
うつぶせに倒れ、ぴくりとも動かないグランを足で軽く小突く。
「ま、ルビスの加護がありゃ生き残るだろ。俺を相手にするにゃあ、三十八年と三ヶ月二十六日早かったな。ここにフィードがいりゃあ、その根拠はなんだって突っ込みが来るんだけどなあ」
さて、とローディスはミラーナを振り返る。
彼女が着ていたワンピースは既にあちこちが破けていて、そこからのぞいている白い肌も傷ついている。
「さて、お嬢さん。魔王陛下がお待ちだよ」
にっこりと笑ったローディスと、力なく倒れているグラン。
その前で、彼女のか弱い精神はついに限界を迎えた。
ふうっ、と彼女の瞳から色が消えて、その場に崩れ落ちる。
「ありゃりゃ。お嬢さんには刺激が強かったかな?」
倒れたグランを相手にせず、ローディスはミラーナを担ぎあげた。
「さて──」
目的を果たし、あとは村を殲滅して帰るだけかと思った、その時だった。
何か、自分の体内に異変を感じた。
「?」
次の瞬間。
強烈な吐き気がこみ上げて来た。
「がはっ!」
たまらず、そのまま吐き出す。
「血、だと……?」
空いている左手で自分の口をぬぐう。
素早く自分の体内を分析する。どこか、内臓が軽く破裂しているようだ。
「さっきの一撃か」
ミラーナを担いだまま後ろを振り返る。
そこには先ほどと変わらず、グランが倒れたままだ。
「自分の女の危機に、力が覚醒しやがったか」
殺した方がいい。
ローディスは素直にそう思った。人間は成長する動物だ。それも、急激に進化を遂げる。
このまま放っておけば、必ずこの人物は魔王軍にとって災いとなるだろう。
「ま、いっか」
そうなったらそうなったでかまわない。
未来の災厄の芽をここで摘むよりも、大きく育った災厄を伐採する方が面白い。
そのときもしも自分に力が足りなければ、逆に自分が倒されるだけのことだ。それもまたよし。
それに自分は、別に魔王軍に何ら義理があるわけではない。そして魔王の命令ではグランを殺してはならないことになっている。
(あまり戦いを経験させない方がいい)
戦いは彼らを進化させる。
(それとも、その進化を狙っているのかな?)
魔王はそれくらいのことを考えているのかもしれない。
魔王本人を倒せる勇者たちの出現を望んでいるのかもしれない。
(魔王っちも歪んでるからなあ。ま、俺っちにはかなわんけど)
とにかく、戦いは終わった。
治療をするためにも、一度引き上げる必要があった。
そして最後に、ローディスはもう一度だけ振り返って、動かない少年に向かって言った。
「サ・タ・プーメ」
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