二十八.渦巻く憎悪が破壊と混沌をもたらす
致命傷だ。
誰の目にも明らかだった。
斜めに斬られたユリアは、かつて彼女が殺したゼフォンと同じように、上半身だけがずり落ちて大地に落ちる。
真紅の唇から、鮮血がほとばしる。
「まさか」
目の前の惨劇を信じられず、フィードは首を振る。
あの魔導騎士が、敗れるだなどと。
いや、それも勇者たちの力がそれだけ強まったということか。
「やった」
手ごたえのあったデッドはしばらく感動に打ち震えた。
ゼフォンを殺した仇を、この手でとった。
(ゼフォン)
涙がこぼれそうになる。このときをずっと待っていた。
だが。
(お前はもう、帰ってこねえんだよな)
死んだものは生き返らない。
そんなことは分かっている。だが、あの日以来、人生の目的として掲げたものの一つはこうして達成された。
(あと一つ)
デッドは改めて剣を握りなおす。
(魔王の首をもらいうけるぜ)
そして。
その場から全く微動だにしないフィードを囲むように勇者たちは配置した。
前にレオンとデッド、その向こうにはリザ。そしてフィードの背後にはクリスとマリア。
「あんたの仲間は倒したよ。フィード、だったね。諦めて降参するかい? それとも……」
「降参?」
別にあざけるでもなく、怒ったのでもない。
意外な言葉を聞いたというように、フィードは聞き返した。
「何故私が降参しなければならないのだ?」
「一対一ならこっちの方が分が悪いかもしれないけど、まさか五対一であんたの方に分があるとは思ってないだろうね」
「そうだな」
その相槌は、クリスの言葉に同意したのかというようなタイミングだった。
無論、違うが。
「お前たち人間の思い上がりを矯正しなければならないな。この竜騎士フィードの名にかけて」
右手でずっと持っていた槍先がようやく上がる。
「誰が最初だ?」
まだ完全な戦闘体勢になっていないフィードではあったが、既に気迫は満ちていた。
クリスはレオンとデッドに視線で合図をかわし、三人同時に詰め寄る。
「遅い!」
前から襲いかかってくる二人に向かって、逆にフィードは突撃する。
実際、彼の目には遅く止まって見えたのは仕方のないことだった。なにしろ、彼がこれまで肩を並べて戦ってきたのは、あのルティアなのだから。
右手を軽く繰り出し、デッドの左肩を軽々と貫く。
「ぐっ!」
激痛でよろめくデッドから槍を引き抜くと、剣を振り下ろしてくるレオンの懐に入り、左手でその手首を押さえる。
「なっ」
そのまま力任せに後ろへ投げ飛ばす。そこで突進してきたクリスと衝突する。
「あうっ!」
その隙に、フィードは高く跳躍した。狙いは、その向こうにいるデモン・スレイヤー、リザ。
「ベギラゴン!」
彼女からの電撃魔法を受けるが、それを耐え切ると上空から槍で突きおろす。間一髪で回避したリザだったが、着地と同時に動いたフィードの左拳が彼女の顎を捉えた。
(リザとクリス、グランには手を出すな)
だが、ヒットする瞬間にフィードは魔王からの指示を思い出していた。それが、結果的にはダメージを軽減することになった。
リザは口の中を切り、数メートルも弾き飛ばされはしたものの、意識を失うことすらなくしっかりと立ち上がる。
「手加減してしまったか」
人間たち相手に手加減など不要だというのに。
死にたいのならば、すぐにでも死なせてやるというのに。
どうしてこんなにも、人間は無駄に生きようとするのだろう。
「この程度か。ユリアが敗れたのも、勇者の不意打ちが原因だからな。まあ、予測はついていたが」
不意打ち。確かにその通りだ。ユリアの隙をついてライデインを仕掛けたのはレオンだ。
だが、一騎打ちをすると最初に取り交わしたわけではない。不意打ちと言われるのはレオンにとっては心外だっただろう。
「それなら逆に聞くけど、あんたらがやってることは何なんだい?」
クリスは意気込んで言う。
「罪のない相手を虐殺することが正しいだなんて、まさか思っていないだろうね!」
「虐殺? 罪のない?」
フィードは振り返ってクリスを睨む。
この女は。
どうしてこうも、いちいち自分の感に堪えないのだろう。
「これは虐殺ではない。正当な復讐だ」
「確かに人間はかつて魔族に攻撃をかけたのかもしれない。それを否定するつもりはないよ。でも、あんたらのやってることは、そのかつての人間と同じじゃないか!」
「そんな、私ですら知らないような古い遺恨で私が戦っているとでも思ったのか?」
確かに、ルティアやルシェルのように、魔族の魔界からの解放を願っているものもいる。
だが、魔族のほとんどはそんな理由とは関係なく、自分の理由で戦っている。
「魔族を全て一緒に見ているのか。まあ、私も人間など差があるとは思っていないから、これこそお互い様というべきだろうな。だが」
ついにフィードは、魔王と対峙したときのように、槍を両手で握った。
「人間など、差はない。みな同じだ。滅びるべき邪悪。それが人間」
むき出しの口元から、大きく息が吐き出される。
「その邪悪を身に抱きながら死ね!」
クリスに向かって突撃する。クリスも、そしてレオンも剣で応戦しようとする。
「メラゾーマ!」
だが、その横手からリザの魔法が飛ぶ。さらに、
「バギクロス!」
マリアの魔法がフィードを襲う。
火球の直撃と、真空の刃とをそれぞれ受けながらも、フィードは勢いを落とすことなくクリスに攻撃をかけた。
「くらえっ!」
クリスも剣で応戦する。が、フィードには届かない。彼はそれよりも早く動いて、彼女の横に回りこみ、槍を振り下ろした。
間に強引にレオンが割り込み、剣でその上段からの攻撃を受ける。
だがすぐに槍を引いたフィードは続けて槍を突き出す。
左胸にその直撃を受けたレオンだったが、鎧がなんとかカバーしてくれた。ヒビが入ったが、怪我はない。ただ、その勢いで後ろにいたクリスごと弾き飛ばされる。
とどめをさすために槍を逆手に握りなおしたが、再びリザのベギラゴンが飛ぶ。
さらにはそのフィードに向かって、怪我を負っているデッドが体当たりをかけた。さすがにこれはフィードもたまらずバランスを崩す。
フィードはすぐに足でデッドを蹴り飛ばし立ち直る。
そこへ、
「ライデイン!」
距離を置いたレオンからの必殺の魔法が落ちる。
雷撃の直撃を受けたフィードはさすがに足を止める。そして、
「覚悟!」
クリスが真っ直ぐ頭上から剣を振り下ろし、フィードの仮面を打った。
びしっ、と仮面が割れる音がして、真っ二つにその仮面が割れる。
「ああ……」
フィードが信じられない、というように呆然と立ち尽くす。
自分の顔を覆っていた仮面が砕けて落ちる。
そして、何十年かぶりに、他者の目の前にこの醜い顔をさらけ出した。
「な……」
クリスも、その顔を正面から見たときはさすがに言葉がなかった。
一切の頭髪はなく、皮膚は完全に焼けただれている。
口元以外の場所は、全て火に焼かれた後があった。
「見るんじゃねえっ!」
フィードは初めて声を荒げ、左手で顔を覆い、右手に持った槍でクリスをなぎ払う。刃のついてない部分だったため、クリスは弾き飛ばされただけですんだ。
「見たな……俺の顔をっ!」
口調が完全に変わっていた。
そして、今までにないほどの闘気と殺気が満ち溢れる。
「許さねえ……お前たち人間は!」
フィードの脳裏に浮かんだもの。
それは、優しい女性の姿。
「絶対に許さねえっ!」
途端、彼の体に変化が生まれた。
装備していた手甲やすねあてが吹き飛び、ドラゴンメイルさえも砕け飛ぶ。
そして、彼の全身から緑色の鱗がはえた。
それは火傷を負った頭部まで全て覆いつくし、背からは羽がはえていく。
彼は、完全な竜人と化した。
「これは……」
クリスが目の前の変化に立ちすくむ。
フィードは手にしていた槍を投げ捨てる。
そして、細い目でそこにいた人間たちを見た。
「死ね」
姿が変わって、殺気は満ち溢れたが今度は闘気はなくなっていた。
逆に、冷気のようなものが竜から感じられる。
「お前たちは死ね。脆弱で薄汚い人間に生きる価値などない。死ね。それだけがお前たち人間にとって許しを得ることになる」
「ふざけたこと言ってるんじゃないよ。たかが姿形が変わったぐらいで!」
クリスが先頭をきって剣で攻撃をしかける。
だが。
「弱い」
その剣を微動だにせず、片手で刃ごと受け止める。
「な」
「弱い……弱い、弱い、弱い、弱い!」
そのまま、クリスの剣を折る。
「!」
愕然としたクリスに、フィードは拳をうならせた。あわてて回避しようとするが、遅い。
みぞおちに入った打撃が、クリスの意識を奪う。
さらには上から叩きつけた打撃が、クリスを地面に沈めた。
一瞬だった。
人間体のフィードのときよりも、はるかに力が上回っているのは、目に見えて明らかだった。
「これが人間の弱さか」
フィードは震えた。
「こんな弱い人間のために、人間のせいで!」
翼をはためかせつつ、フィードは大地をかける。
応戦しようとしたレオンだったが、直前でフィードは急浮上した。
竜人体のフィードは、飛ぶことができるのだ。
「そんな」
「死ね」
そして急下降する。目測を見誤ったレオンは、回避しきれずにフィードの拳を側頭部に受ける。
「ぐうっ」
それでも耐えたのはレオンのレベルが上がっていた証拠ではあったが、着地したフィードの蹴りは防ぎようがなかった。そのまま宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「脆弱なお前たち人間の、脆弱なお前たち人間のせいで」
そこにいたのは、魔。
ただ人間を恨むだけの魔が、そこにいた。
「メラゾーマ&マヒャド!」
リザの合体魔法が飛ぶが、それもフィードにはとどかない。まるでダメージを受けた様子もなく、リザの方を振り返った。
その瞬間、隙が生まれた。
「ライデイン!」
レオンの三度目の落雷がフィードを襲う。
だが、フィードは左手をあげてその落雷の直撃を受け止めた。
「なっ!」
そのまま、左手に溜まった落雷のパワーを、クリスを回復しにかけつけようとしていたマリアに向かって放つ。
「キャアアアアアッ!」
目の前の信じがたい光景に、レオンもリザも、頭が働かなかった。
強い。
こんな強さを、騎士は持っているのか。
「こんな強さ……」
フィードは、今落雷を受け止めた左手を睨みつけると、その腕に自ら噛み付いた。
「ひっ」
その狂ったともいえる行動に、リザの身が一瞬すくむ。
そして何枚か食いちぎった鱗をフィードははき捨てた。
「こんな強さがほしいのか、お前たち脆弱な人間は!」
一瞬で、リザまで詰め寄る。
今度は手加減なしの打撃がリザを襲った。
一撃で意識を飛ばされたリザは、宙を舞って大地に落ちる。
「くそおおおおおっ!」
レオンが精神を集中させる。
まだ未完成の大技。
今しか、使う場面はない。
「ギガ、デインっ!」
ライデインより光量が多い雷撃がフィードを打つ。
これで倒せなければ、もう術はない。
今度はフィードもその直撃を受けた。
「どうだ!」
一縷の希望をもって、レオンはその場を見つめる。
「弱い」
だが、まるでダメージを受けた様子もなく、フィードはレオンを睨みつけた。
「弱い!」
一瞬で距離を詰めると、フィードは槍で勢いよく薙ぎ払う。
レオンはなんとか剣でそれを受け止めるが、同時に繰り出された拳までは防ぎようがなかった。顎を下から殴り上げられ、脳が大きく揺れて気を失った。
「これが人間の弱さか。この程度の力でお前たちは俺たちを支配しようとするのか!」
フィードは空を見上げた。
「こんな脆弱な存在のために、魔族は苦しまなければならないのか!」
「なっ、に言ってやがる……」
唯一意識が残っているデッドが左肩を押さえながら立ち上がる。
(ちっ、さすがにコイツにだけは勝てる気がしねえぜ)
魔王ウィルザと戦ったときも、全く歯が立たなかった。だがあれは、あくまでも相手がウィルザだったから本気を出せなかったという理由がある。
だが今度は、手加減などする必要はない。もちろん誰も手加減などしていない。それでもこの圧倒的な戦力差だ。
騎士というのは、これほどの力を持っているのか。
(でも、俺がやるしかねえのか)
クリス、リザ、レオン、マリア。全てノックアウトされてしまった。今この場にいるのは自分一人。
ここで命をかけても仲間たちを助けなければならない。
(それにもう、ゼフォンの仇はとったしな)
魔王は生き残っているが、それは仕方がない。あとは、リザたちに任せよう。
(じゃな、みんな)
デッドは剣を握った。
(先にあの世に行ってるぜ)
相手を倒すことは不可能でも、自分の命を最初から捨ててかかれば相手に致命傷を負わせることだってできるだろう。
デッドは、この戦いに覚悟を決めた。
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