二十九.禁断の竜の力が人間の希望を打ち砕く
「う、ぐ……」
ようやく意識を取り戻したクリスであったが、残念ながら立ち上がる力までは戻ってこなかった。霞んでいた視界が徐々に戻ってくる。
そこには、竜騎士フィードと、デッドが対峙している光景があった。
「や、めろ、デッド……」
クリスがなんとか声を振り絞る。
「なんだ、起きたのか」
「アンタじゃ、勝てない」
「んなこたあ分かってるよ。だが、俺しか戦える奴がいねえんだから仕方ないのさ」
デッドは剣を握りしめた。左肩が痛んだが、そんな怪我で怯むわけにはいかない。
「いくぜ」
デッドはフィードに斬りかかった。
だが、そんな怪我人の攻撃をやすやすと受けるほど、竜騎士は甘い存在ではない。
「弱い」
膝蹴りをデッドの腹にあてる。それだけでデッドの肋骨にヒビが入る。
「弱い!」
槍を投げ捨てたフィードは、続けて左右の拳の連打をデッドにみまう。一撃ごとに体の各所にひずみが生じていく。
(強い)
命をかけた攻撃すら、この魔人にはかなわない。
(だが、退くわけにはいかない)
せめてマリアが復活してくれれば、回復魔法で全員が助かる。
それまでの時間稼ぎくらい、できなくてどうする。
「ぐおおおおおっ!」
一瞬の隙をついて剣で薙ぐ。
だが、竜の鱗はその剣すら軽く弾いてしまった。
「弱い!!!」
フィードがその腕を掴み、ねじり上げる。
「があああああっ!」
鈍い音がした。そして、
大量の鮮血が大地に落ちた。
「ああ、あああ……」
クリスはその惨劇を目の当たりにした。
捻られたフィードの腕が、肩口からちぎれたのを。
「弱すぎる」
フィードは両手で倒れかかるデッドの頭を掴んだ。
「弱いことは罪だ。その弱い人間が強い我々を従えようなどというのは、さらに巨大な罪だ。贖え」
「ばっ……か、やろう……!」
大量の失血を伴いながらも、体中の骨が完全に砕かれていても、デッドはまだ口を止めなかった。
「俺たちは俺たちの理由で戦ってんだ……罪だの罰だの、戦いにくだらねえこと持ち込んでんじゃねえよ」
最後の力で、デッドはフィードの顔に唾を吐きかけた。
「いい根性だ、人間」
直後、万力のような力でデッドの頭が締め付けられた。
「あが、ああああああっ!」
「ならば覚悟はできていよう。言い残すことがあれば、今のうちに言い残しておけ」
「おっ……!」
デッドは叫んだ。
「俺たちは負けねえっ!」
「それは無理だ」
ぐしゃり、と音がした。
フィードの両手が血にまみれる。
そして、頭が握りつぶされたデッドの体が大地に落ちた。
「ああ……」
その光景を、クリスは見ていた。
両手で風船を割るように。
デッドの頭は、両手で握りつぶされた。
「デッドーッ!」
フィードは両手の血をじっと見つめる。
「弱い」
フィードは寂しげに呟く。
「これほどの弱さで戦うだの、負けないだの、人間はどこまでも己を知らぬ」
徐々に、フィードの目に炎が灯り始める。
「殺す!……人間は全て、全て、全て! 人間に生きる価値などない! 滅べ!」
「馬鹿言ってるんじゃないよ!」
ふらつく足取りでクリスが立ち上がった。
「あんたは、絶対に許さない」
折れた剣を持ったままクリスがフィードを睨みつける。
「やめておけ。俺はお前を殺してはならないと命令を受けているが、戦うなら手加減はできん」
「こっちの気が治まらないんだよ!」
クリスが折れた剣で突進した。
「無駄なことを」
折れた剣でいったい何ができるというのか。
「ああああああっ!」
クリスの叫びに応じて、彼女の『ルビスの鎧』が輝く。
そして、その輝きが彼女の手を通して折れた剣に集まる。
その折れた刀身に、光の刃が灯った。
「ぬうっ!?」
「覚悟しなっ!」
実体のない『光の剣』がフィードの体を襲う。
上から振り下ろされる剣に対して、フィードは左手で掴み取ろうとしたが、その左手が斬り裂かれた。
「死ねっ!」
続けてクリスはその剣をフィードに突き刺す。
だが、その危険度を察知したフィードは素早く体を開いて回避する。そしてクリスの右腕を左の脇腹に抱え込んだ。
「くっ!」
強く締め付けられたクリスは剣を取り落とす。瞬間、刀身から光は消えてなくなった。
「まさか伝承に残っている『光の剣』とはな。人間どもが今でもこの剣を真似て、光を放つ剣を作っているという話を聞いたが。だが、捕まえられてはそれもどうしようもあるまい」
「離せ!」
「弱い人間に、そのようなことを望む権利はない。言ったはずだ、手加減はしない、と」
ぐっ、とさらに力を込められ、骨にひずみが生じる。
「ああああああああっ!」
「弱いな」
虫でも見るかのような冷たい表情でフィードが苦痛を上げるクリスを見る。
「何故そこまでして戦う? お前たちは魔王に会ってどうしたいというのだ」
「うぃ、るざ……」
「今や魔王はお前たちの仲間ではない。人間を滅ぼす使命を忠実に実行する、我らの正当なる王。もはや貴様らの側ではない。我らの側なのだ」
「う、る、さいっ!」
クリスは相手の顔面に頭突きする。だがフィードは身じろぎもしない。
「あいつが魔王だろうが何だろうが、あいつはアタシの大事な仲間だ!」
「なるほど」
フィードは空いている右手でクリスの後頭部を握った。
「ではその思い上がりを直しておこう」
片手で、クリスの頭は締め付けられていく。
「あああああああっ!」
またしても悲鳴をあげる。
これほどの苦痛で、デッドは逝ったというのか。
許さない。
絶対に、この魔族を許すことはできない。
だが、どんなに力をこめても、何をしても、動くこともできない。
ここまで、だろうか。
(ウィルザ)
太陽のように笑っていた勇者。
どんなときも挫けず、常に自分たちの道標となって魔王を倒した英雄。
幼い頃から一緒に育ち、弟のように思っていた。
それが、何故。
(人間を……信じられないのかい?)
確かに人間は愚かなのかもしれない。
だが、仲間を思う気持ちや、他人を愛する気持ちまで滅ぼさなければならないものだろうか。
(あんただって)
クリスは涙を流していた。
(リザを愛していたのに)
それを振り切っても人間を滅ぼさなければならないのか。
(アタシだって、嫌だよ)
ウィルザと戦うなど。
(あんたに会いたい。ウィルザ、ウィルザ、ウィルザ……)
フィードの力が、さらに強まった。
「はい、そこまで」
だが、最後の一握りというところでフィードの肩に手が置かれた。
「また、お前か」
竜人から苦痛の声が漏れる。
「まあね。その子は魔王っちから殺すなって命令されてるし。それに俺はお前の感情むき出しの姿、あんまり好きじゃねえんだ」
そこにいたのは、人間の少女を肩に担いでいたローディスだった。
しばらくフィードは無言だったが、やがてクリスの拘束を解く。
クリスはその場に崩れ落ちた。既に戦闘能力はない。
「ぐ、グラン、は……」
「ああ、あのボウヤは向こうの教会でオネンネしてるよ。ま、死んじゃいねえだろ」
そして、フィードの体がもとの人間体に戻っていく。
鱗は徐々に消え、翼も小さくなくなっていく。
クリスは見た。
体中についた傷痕。そして、顔面の火傷の痕を。
もはやそれらの傷は古すぎて治ることがないだろうことはすぐに分かった。
ローディスが気をきかせて、フィードに布を着せる。そしてバンダナで顔の傷跡を隠した。
「ま、男前な顔もいいけど、お前はあまり見られたくないだろうしな」
「ローディス……」
「うん?」
バンダナで顔を隠されている間中、フィードは全く動かずされるがままになっていた。
「私はお前が嫌いだ」
「ああ、知ってるよ。その台詞聞くのも三回目だしな。ま、お前からその台詞聞くのがこういう時ばっかりだけれどな」
「余計なことは言わなくていい」
バンダナを自分で縛りなおし、布を着なおしたフィードは回りのものに目もくれず歩き出した。
「おぅーい、一人で先行くなよ」
だがフィードは全く振り向こうともせずにそのまま歩み去っていった。
「やれやれ。気難しい奴」
最後に倒れて自分を睨み上げてくるクリスを見下ろす。
「悪いな。こんな惨事にするつもりはなかったんだけどよ」
「こんな……こんな、だって!?」
「俺っちもフィードの奴も、こんなことするつもりはなかったんだぜ。いやホントにな。でも魔王っちの命令で仕方なかったんだよ」
「ウィルザの……」
「ま、話がしたいってんなら魔王城で待ってるぜ。どうせもう、場所とか分かってんだろ? 早く来いよな。時間が経てば経つほど魔王っちは強くなるからよ。じゃ、この嬢ちゃんはいただいてくぜ」
「待ちな」
ぐぐ、とクリスはさらに立ち上がろうとする。
「その娘だけは置いていくんだ」
「そりゃ無理ってもんだ。俺っちは魔王っちの忠実な部下だからなあ。でも一つだけ、あんたらが知りたいことを教えてやってもいいんだぜ」
「知りたいこと?」
「そうさ。魔王っちはいまだに魔王になりきれてない。だから、まだあんたらにも望みはあるんだ」
「……」
「もっとも、あのお堅い魔王っちを説得できるとは思えねえけどな。でも早くした方がいいぜ。魔王っちが完全な魔王になるのは時間の問題だからな」
「何故そんなことを教える?」
「そりゃ決まってるだろ」
にやり、とローディスは笑った。
「その方が面白いからさ」
「な……」
何か言いかけたクリスの鳩尾にローディスの拳が入った。
「あ、う……」
「じゃ、また会おうぜ」
クリスは意識のなくなる中、最後に「やっぱりあんたはいい女だな」と言ったのを聞いた気がした。
戦いが終わったマイラの村。
一つの死体が目を覚ます。
ごほっ、と最初に咳き込み、それから両腕の力だけで地面を這う。
「死んでたまるか……」
サキュバスの格好をしたその女魔族は血走った目で前だけを見つめる。
「絶対に、あの女だけは許さない」
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