外伝４．研究所に臥す竜
「五分経過。サンプルＡ、異常見られません」
「サンプルＢ、発汗を確認」
「若干、目が血走っているようだが」
「薬の影響かと思われます」
「サンプルＡに、異常確認」
薄暗い石作りの部屋。両手、両足を鎖につながれた二体の小さな魔族と、それを取り囲むようにしてカルテのような紙を手にする人間の研究者たち。
そして、その人間たちの後ろで、両手を縛られている小さな魔族がまだ何体かいた。
（あの子はもう駄目だ）
見れば分かる。
サンプルＡ、と呼ばれた魔族の子供は、鎖をつけているにも関わらず唸り声を上げながら拘束を解こうと暴れ始めた。
こうなるともう終わりだ。すぐに人間たちが動き出し、別の注射をその魔族に打つ。
少しして、がくり、とその魔族は崩れ落ちた。
涙が出てきた。
昨日まで一緒に話していた友人。
（リオル）
それは約束の名前。
僕たちの誰が次に死ぬか分からない。だから、僕たちはみんなの名前を自分が死ぬまで絶対に忘れない。生き残ったものが、みんなの思い出を背負って生きていく。
そう約束した。
これで、忘れられない名前が、七に増えた。
「サンプルＢ、異常確認」
今度はＢと呼ばれた魔族が、叫び声すらあげずに口を大きく開く。
目が血走り、大きく見開いたまま固まったかのように動かない。
（ミハエル）
がくり、と最後に大きく崩れ落ちた。これで、八。
「なかなかうまくいかないものだな」
初老の男性がこちらを振り向く。魔族の子供たちが、次は自分の番かと震え上がる。
でも、僕だけはその老人を睨み返した。
「ほう、面白い目をしているな」
初老の男性は自分を見て微笑むと、近くにあった鞭を手に取った。
そして鋭く、僕の頬を打つ。
激痛が走った。そして、血が飛び散る。
「ふん、魔族だけに鳴き声もあげぬか」
連れていけ、と老人は部下に命令した。
そして僕たちはまた、牢屋に連れていかれた。
何故『実験』を僕たちに見せるのかは分からない。でも『実験』を見ることで少しずつ僕たちの中から希望というものがなくなっていくのを感じていた。
徐々に少なくなる子供たち。最初は二十もいたはずなのに、今ではもう半分近くがいなくなった。
その中でまだ希望を捨てていないのは、二人だけだった。
一人は僕。
そしてもう一人は、とても綺麗な女性の魔族だった。
ここは、人間の研究所。
何を研究しているのかは知らない。時折僕たちはサンプルとして、怪しい液体を静脈注射される。一度の『実験』で二体の魔族が犠牲になる。生き残った者はいない。全て異常を示し、命を落としていった。
僕らはもともと、人間の世界で暮らしていた魔族だった。人間に見つからないようにして細々と暮らしていた。
魔族の、子供たちだけの村。
そこはみんなが平等で、幸せな場所だった。
それなのに、ある日突然その幸せは終わりを告げた。
あれからもう、一年くらい経っただろうか。
僕たちの回りにはもう、絶望しかなかった。
「ああ……ううん」
彼女が人間の男にヤられている時、僕はたいがい近くにいた。
人間の男は誰かに見られていることで逆に興奮しているかのようだった。
「あっ、あっ、あっ、あっ」
人間の男が腰を早く動かす。
「ああっ、あああああっ！」
そして──彼女の胎内に種を放つ。
「ふう……」
人間の男は、いやらしい笑みを浮かべながら白衣を調える。
「ここ、始末しとけよ」
そして男は自分にそういい残して、いなくなった。
「ミラーナ、大丈夫？」
ぬるま湯を汲んだ桶をベッドの傍におく。彼女はよわよわしく微笑み、一糸まとわぬ姿でか弱く頷いた。
「大丈夫よ、フィード」
ミラーナはタオルを使って、男によって無理やりかかされた汗と、胎内に吐き出された精液とをふき取っていく。
こんなとき、僕は自分の力の無さに苛立ちを覚える。僕がもっと強ければ、ミラーナを守ることができるのに。
「ごめんね、ミラーナ」
そんな気持ちが言わせた言葉だった。
「いいのよ」
ミラーナは両手で僕を迎えてくれた。
そして、彼女は優しく僕を抱きしめてくれた。
「優しい子」
僕たちの中では一番の年長者だったミラーナは僕の、いや、みんなの憧れだった。
その憧れの女性が、薄汚い人間によって汚されているのは、そしてそれを見続けなければいけないのは我慢がならなかった。
あの男たちを、殺してやりたい。
でも、それだけの力が僕にはなかった。
「フィード。いつかまた、みんなで帰りましょうね。あの、何も怯えることのない、平和な村に」
「うん」
「そして、お願いがあるの、フィード」
「なに？ ミラーナの言うことなら、僕、なんでも聞くよ」
「ありがとう、フィード。それじゃあ、一つだけ」
「うん」
「人間を、嫌わないであげて」
それだけは、大好きなミラーナの言葉でも聞くことができなかった。
「それは……できないよ」
「できるわ、あなたなら。人間を嫌わないで」
「どうして？ だって、ミラーナだってこんなひどい目に合ってるのに」
「私のことはいいの。それよりも、将来あなたが力を手に入れた時に、残酷な復讐者にはならないで。そんなあなたは、見たくないわ」
復讐の心が醜いものだということは、分かる。
でも、僕の心の中は既に復讐の二文字でいっぱいだった。
ミラーナを汚した連中を一人残らず殺してやる。
仲間たちを殺した連中を容赦なく殲滅してやる。
「ミラーナ」
「駄目よ、フィード。復讐のためにあなたの力を使っては駄目」
ミラーナの体からは、ただ温もりだけが伝わってきた。
どれだけ自分が傷ついても、それ以上に自分のことを案じる女性。
（ミラーナ）
こんな優しい女性を。
こんな素敵な女性を。
どうして、人間たちは軽々しく汚す──？
「約束するよ、ミラーナ」
ミラーナを抱きしめる腕に力が入る。
「絶対に、復讐のためには力を使わない」
「ありがとう、フィード」
そう言って、ミラーナは僕の額に小さなキスを送った。
それからどれくらいの時が経っただろうか。
忘れられない名前が十八にもなり、この研究所にいる魔族が僕とミラーナの二人になるまで、一年はかからなかった。
ミラーナは人間たちの性欲処理の道具として、そして僕は──
「お前、どうして自分が一番最後に残ったか分かるか？」
初老の男性は鎖につながれた自分を見て言う。
ミラーナは目の前にいる。両手を後ろで縛られており、かなり虚ろな様子だった。
「お前が一番、成功の可能性が高かったからだ。他の魔族たちは、お前を完成させるための実験体だったのだよ。はじめから我々は、お前一人が必要だったのだ」
人間が何を言っているのかは分からなかった。
「お前が、魔族の村にいなければ我々はお前の村を襲撃する必要もなかったのだよ」
「どうして」
なぜ、僕が。
「何故魔族の村が人間の世界にあるのか、不思議には思わなかったのか？」
そんなこと、言われるまで考えたこともなかった。
「魔族が魔界へと逃げていくとき、魔族たちの中でもある一族が逃げ遅れた。それは、絶大な力を誇った当時の魔王一族。魔王一族は仲間たちを魔界へ逃がしたものの、自分たちはその場に留まり、我々によって打ち倒された」
何を言われているのか、まったく意味が分からない。
「その魔王一族の生き残りが、お前だ」
「嘘だ」
「嘘ではない。もはやおそろしく古い昔のことだが、お前の祖先は間違いなく魔王だったものだ。お前は魔王の血を継いでいるのだよ」
「……みんなは、僕のせいで」
「そうだ。お前がいなければ、我々は村を襲う必要はなかったのだ」
そして、アンプルを含んだ注射が近づく。
（ふざけてる）
僕が魔王の血を継いでいるなどということも。
僕のせいでみんなが犠牲になったということも。
「お前の血ならば、この実験も成功できる」
思考が硬直した自分の腕に、ゆっくりと針が刺さる。
そして、冷たい液が自分の血管に注入された。
ドクン
心臓を経由して、液体は全身に回る。
その瞬間、自分の中で、何かが変化したのを感じた。
「さて……どうかな？」
特別具合が悪くなるようなことはなかった。だが、何かが自分の中で『目覚めて』いるのが分かった。
「ほう。なかなか自制心が強いな。自我が強いというべきか」
老人は鞭を取り出した。
そして、その鞭を振り下ろす。
僕の体に、痕がついた。
「傷ついたくらいでは、目覚めぬか？」
二度、三度と鞭が叩きつけられる。
激痛で思わず声が漏れそうになる。
「ふん。うめき声すらあげぬとは、さすがに魔王の血を引く者」
老人は鞭を部下に持たせて、さらに打たせた。
十、二十と打たれて、僕の体が血みどろになる。
「なかなか耐えるな」
老人は僕の顔をのぞきこんできた。
「ほう、まだ睨みつけるだけの意思があるか」
当たり前だ。
絶対に許さない。この男たちを。
自分を。
仲間たちを殺した連中を。
自分を。
「では、その目をつぶすとしよう」
老人は松明を持ってくるよう部下に指示する。
「やれ」
炎が、徐々に近づいてくる。
（やめろ）
灼熱の炎が、自分の顔を焼く──
「があああああああああああああっ！」
呼吸すると炎が肺を焼く。顔が焼け、体内が焼かれる。
「フィードッ！」
ミラーナが耐え切れずに叫ぶ。
「うん？」
初老の男は、炎を下げさせた。
「いい顔になったな」
にやり、と男が笑った。
「どうもお前を苦しめても仕方がないようだな。やはり、この娘を使うしかないか」
そして、目の前にミラーナが連れてこられた。
「みら……どうす……」
喉が焼けて、うまく声にならない。
「分からないかね？」
男は短刀を抜き出した。
「こうするのだよ」
その短刀を、ミラーナの喉に突き刺す。
「どうかね？ お前が期待に応えないばかりに、ついに最愛の女性まで殺された気分は」
ごほっ、と吐き出されたミラーナの血が自分の目にかかる。
悲しげなミラーナの顔が、自分の脳裏に焼きつく。
『人間を、嫌わないであげて』
ああ。
もう、駄目だよ、ミラーナ。
だってもう、僕の心の中には……。
復讐、という二文字しかなくなってしまったから。
フィードの体に変化が生じた。
皮膚から鱗が生え、そのままリザードマンへと変貌を遂げる。
「おお……」
男は感慨深げにため息をついた。
「完成だ。竜の力を魔族に注入することに成功したぞ！」
鎖につながれたリザードマンを前に、男は歓喜した。
「これを人間に応用すれば、無敵の力を手に入れることも可能だ！」
「そんなことのために」
低い声で、リザードマンが話した。
「そんなことのために、お前はこんなことをしたのか？」
「ほう、声帯が治っているようだな。いや、治ったのではなく、別のボディと入れ替わった、と考えるべきか。魔族体と竜体の二つの体を相互に入れ替わるようなものだな。ということは、先ほどの火傷の痕は一生消えることはあるまい」
「そんなことはどうでもいい」
リザードマンは、自分の体を拘束している鎖を逆に握った。
「お前たちは、そんなくだらないことのために、この実験を行ったというのか」
「その通りだよ、竜魔。我々人間が魔族を凌駕する力を手に入れるための実験なのだ、これは」
「……」
「うん？」
リザードマンの目が、緑色に光った。
「ふざけるなぁっ！」
鎖を握りつぶし、その自由が解かれる。
ひいっ、と男は後ろに下がる。が、それより早くリザードマンは近くにいた部下たちを一瞬で殴り殺した。
そして自分の足を拘束していた鎖も握りつぶし、完全な自由を手に入れる。
「そんなくだらないことのために」
リザードマンは、尻もちをついて動けなくなった男を見下ろす。
「そんなくだらないことのために」
両手で、その男の顔を掴む。
「お前はミラーナを殺したのかああああああああああああああああああっ！」
ぐしゃり、とその頭が潰れた。
そして、実験室で動くものは自分だけになった。
「ミラーナ」
リザードマンは、倒れているミラーナの死体を抱き上げる。
大好きな、大好きなミラーナ。
「ミラーナ」
リザードマンの瞳から涙が流れていた。
「許さない」
『人間を、嫌わないであげて』
「許さない」
『人間を、嫌わないであげて』
「僕は絶対に人間を許さないっ！」
直後。
人間の研究所は、リザードマンから発された膨大なエネルギーによって、完全に爆破された。
僕は復讐する。
人間たちに。
そして──
『人間を、嫌わないであげて』
──自分に。
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