三十.回想の中で過去と現実の差に戸惑う












 眠っていると、昔のことをよく夢に見る。

 あれはどこだっただろうか。そうだ、サマンオサだ。
 偽国王を倒した後に出会った女の子。両親を死刑にされたと言っていた。
『勇者さま、お父さんとお母さんの仇を討ってください』
 そんなことを頼まれたような気がする。
『ああ、約束するよ』
 そんなことを答えたような気がする。
 だが、今やっていることは何だというのだろう。その女の子が願っていたことと正反対の行為を行っている。
 自分の手は血にまみれてしまった。
 人間を殺すことを行うようになってしまった。
 これが魔王。
 魔王ウィルザの姿なのだ。

 あれはいつだっただろうか。そうだ、バラモスと戦う前だ。
 ネクロゴンドまでたどりついて、そこでリザと話した。
『バラモスを倒したら、ウィルザはどうするつもりなの?』
 そんなことを聞かれたような気がする。
『アリアハンに戻るよ。でも、もしよかったら……』
 そんなことを答えたような気がする。
 一緒にアリアハンに帰る。平和な世界で、二人で仲睦まじく過ごす。
 そんな未来を夢見ていた。
 だが、この夢はもう悪夢だ。
 自分はもう他の女性を抱いてしまった。
 他に一番愛している女性がいるにも関わらず。
 自分は……。

 自分は、いったい何をやっているのだろう?






「陛下」
 ゆっくりと目が覚めたウィルザに、傍に控えていたルティアが声をかけた。
 そして、自分の罪悪感を打ち消すかのように彼女を抱きしめる。
 こんなことではいけないことは分かっていた。
 だが、彼女の優しさに、ウィルザは完全に縋っていた。
 彼女はいつも、ただ黙って待っているだけ。
 魔王にされるがまま、その体を開く。
 だが、今日だけは彼女にしても報告が先だった。
「ローディスとフィードが戻ってきております」
「そうか。ユリアは?」
「亡くなった、とのことです」
 魔王の表情が歪んだ。だが、ルシェルのときほど激情にかられたというわけではないようだった。魔王にしても、あの遠慮のない魔族はそれほど気に入っていなかったのだろう。
「レオンたちは?」
「デッドは死んだようです。その件でローディスが報告があるとのことです」
「待たせておけ」
「はい」
「今は、お前が先だ」
 ルティアはそのまま、ベッドに組み伏せられた。






「よく戻ったな」
 謁見の間に集まった五名の騎士たち。そして魔王が玉座につく。
 騎士も二名が失われた。ユリア、そしてルシェル。それだけ人間たちの力が強かったということだろう。
「敵はどうしている?」
「移動したみたいだな。マイラの民を率いて海を渡りリムルダールへ。ま、それが一番妥当って奴でしょ」
 ローディスが答え、フィードは沈黙した。その雰囲気の変化に魔王は気づいたが、あえて何も言わなかった。
「さて。そうなると次はいよいよラダトーム攻略だな」
 世界の三王国が滅びれば、魔族に対して組織だって抵抗する勢力はなくなる。
「シリウス。残党狩りはどうなっている」
 ラヴィアの王族は滅びたが、ムーンブルクの王族はまだ生き残りがいる。
「ムーンブルク攻略戦で仕留めそこなった三名の王族のうち、二名は処刑が完了しています」
「なるほど。あと一人は?」
「シャドウが唯一、潜入できないところにかくまわれております」
 魔王は顔をしかめた。
「なるほど。結局行き着く先は同じか」
 ルビスの加護を受けた、魔族の潜入を許さぬ城、ラダトーム。
 はるかな太古から、魔王たちがあの城を攻略しようとしてきたが、ついにかなわなかった理由はそこにある。あの城はルビスに守られている。
 やはり全力でここを落とさなければならない。ローディスにフィード、そしてシリウスも今回は派遣した方がいいだろうか。
「でもなあ、ちーとばかし問題があるぜ」
 ローディスがにやにやしながら言う。
「どうした」
「奴らがここに来る。俺っちがお膳立てしといたから、まず間違いなく来るだろ」
「そうだったな。それで、お前はどうするつもりだ?」
「そりゃ倒すにこしたことはないけどな。あのボウヤ、放っておくととんでもない化け物に進化するぜ」
「グランがか」
「この俺に素手で一撃あてやがった。骨と内臓を痛めちまったぜ。最初から武闘家にでもなってた方がよっぽどよかったんじゃねえのかってくらい、効いたぜ」
「なるほど」
 玉座についたウィルザはしばし目を閉じる。
 共に行動していたころ、グランは非力と表現する他ないほど力がなかった。
 その非力なグランがローディスに素手で怪我を負わせたなど、ありうるだろうか。
 ありえない。
 だとするならば。
「なるほど、進化だな。いや、他に言い方というものがあったな」
「他に?」
 シリウスが尋ねる。
「ああ。転職、と言った方がいいだろう」
 法力と打撃を行う職業、モンク。
 その拳に魔を払う術をこめて打つ。魔族の体はその一撃で破壊される。ローディスを倒すことができなかったのは、あまりにもローディスが頑丈だったからだろう。
「一つ壁を超えたか。ゾーマ戦のときは最後まで闘争本能を隠し続けていたが……」
 愛する者を奪われようとしたとき、人というものは真の力を出すものなのだろうか。
 もしそうだとすれば、最も愛する者を自分から捨てた自分には、果たして真の力は出せるのだろうか。
(まだ未練があるか。あるだろうな)
 ルティアは一時の安らぎをくれるが、彼女がいなくなるとすぐに心が餓えだす。
 求めている相手が違うのだと分かる。
「どちらにせよ、迎え撃つしかないか」
 戦力を分散するのは得策ではない。
 ラダトームを攻略するにはこちらも全力でいかなければならない。だが、人間たちはこのロンダルキアまですぐにでも攻め込んでくるだろう。
 どうする。
「提案」
 ローディスが手を上げて言う。
「何も先入観にとらわれる必要なんてないんじゃねえか? 要するに魔王っちは奴らと戦いたくない、でも奴らは来る。それなら、相手の思惑を外してやればいいんだ」
「どういうことだ?」
 ローディスは苦笑して答えた。
「ムーンブルクの時と同じさ。魔王が城にこもってなきゃいけないなんて、そりゃあ人間側の考えだ。魔王っちは自由に動いていいんだ。つまり、全軍でラダトームを攻めればいいってこと。シリウス、この城のバリアは完成してんだろ?」
「ぬかりはない」
「なら簡単だ。あとは奴らがこの城に入ってきたときにバリアを内向きに展開するだけでいい。もう奴らはこの城から外へは出られなくなる。あとは魔王っちが人間どもを煮るなり焼くなりして全滅させて、それから勇者たちは好きにするといい」
 魔王はめずらしく、驚きを隠さずに目を丸くした。
 そして、次第におかしさがこみ上げてきて、しのび笑いをこらえきれずにくつくつと笑い出す。
「そうか、そうかなるほど。俺が自ら軍を率いてラダトームに攻めていけばいいのか」
「その通り」
「城をカラにして相手をおびきよせて封じ込め、その間にラダトームを攻略するか。いいだろう、その策、のった。シリウス、この作戦はすぐに実行に移せるか」
「問題ありません。ですが、この城のバリアを展開するにはこの城の内側でなければなりません。誰かがここに残らなければなりません」
「ではシャドウ、お前に任せる」
 ゆらり、と影がゆらめく。
「シリウス、ローディス、フィード、ルティア。お前たち四名は戦争の支度だ。ラダトームを落とすぞ。シャドウはこの城の中に敵を封じ込めればそれでいい。決して戦うな。敵を倒す必要などないのだ。封じ込めておくだけで充分だ」
 ゆらり、と再び影が揺れる。
「魔族と人間の積年の戦いに、終止符を打つ。全員、この戦いに全てをかけよ」
「御意」
 全員が玉座の間から出ていったが、シリウスだけがその場に残った。
「シリウス」
「はい」
「この城は浮遊できるようになったか?」
「まだです。ここまで急な展開になるとは私も正直思っておりませんでしたので」
「なるほどな」
 戦いはおそらく、短期決戦になるだろう。
 可能であれば、この城ごと移動してラダトームまで攻め込むという案も魔王の中にはあった。だが不可能であればやむなきことだ。
「奴らを閉じ込めておくことは実質的に可能なのか?」
「可能です。人間には何をしたところでこの城から脱出することはできないでしょう。ルーラもリレミトもききません」
「なら、一つだけ聞いておくことがある」
「はい」
「シャドウの件だ。お前、シャドウの正体を知っているのか?」
 シリウスは首を振った。知らない、ということだ。
 ゾーマに直接仕えていた影騎士。
「私がゾーマ様に召抱えられたときには、既に彼の者はゾーマ様の腹心として動いておりましたゆえ、私もその正体まではつかんではおりません」
「今俺が怖れているのは、シャドウが先走って捕らえた勇者たちを殺しにかからないかということだ」
「まさか」
「ありえない話ではない。シャドウの目的が見えない以上はな」
 だが、シャドウに殺されるのだとしたら、リザたちもそれまでなのかもしれない。案外見切りをつけるにはいいのかもしれない。
 とはいえ、自分はリザを失って大丈夫なのだろうか。自分の手でリザを殺さないかぎり、彼女への想いを断ち切ることは絶対にできないような気がする。
 こうしていても、会いたい、という気持ちは押さえきれずにいる。
(リザか……一年で、また美しくなっていたな)
 魔王は苦笑を浮かべた。
 その時。
 スラリ、と魔王の首元に剣がつきつけられる。
「……シリウス?」
「また、あの女のことを考えておいででしたね、魔王陛下」
「嫉妬か?」
「ご冗談を。ですが、我々魔族を放り出してあの女を選ぶようでしたら、私はあなたを絶対に許しません」
「それはない」
「であれば、結構です」
 シリウスは剣を収めた。
「お忘れなきように。私の力は今や、誰もかなわないほどに高まっているということを。それこそ、あなたでも今の私にはかないません」
「そうだな」
 シリウスはそう言い残して玉座の間を退出する。
 一人になった魔王は息を吐いた。
「お前には、負い目があるからな」






「久しぶりだな、ルティア」
 ローディスはいつもの笑みで無表情のルティアに話しかけてきた。後ろにはフィードも控えている。
「ユリアが亡くなったと聞きました」
「嬉しいかい?」
「ええ。魔王陛下の周りからいなくなったことは、私にとって喜ばしいです」
 正直に答えるルティアにローディスは肩をすくめる。
「そんなことよりもな、俺はお前が今回の戦いに参加するのは実は結構反対なんだ」
「何故でしょうか」
「お前、戦えるのか?」
 かすかに、ルティアの身が反る。
「かりそめの契約とはいえ、一度主従の誓いを交わした相手だ。あのラダトームには今、ムーンブルクの王女様がいるんだぜ」
「分かっています。一度契約をかわした相手と、本気で戦うことが私にはできないというのでしょう」
「そういうこったな」
「ですから、私も正面から戦うような真似はしません。指揮するだけならば問題ないでしょう」
「分かってないねえ」
 ローディスはちちちと指を動かした。
「あのムーンブルクの王女様が、お前のことをつきとめたら、すぐに攻撃に移ってくるぜ」
「……」
「ムーンブルクで一番やっかいなのは国王でも勇者でもねえ。あの王女さんだってことはお前だって分かってるはずだ」
「そうですね」
「だったら、お前は今回の戦いでは前線に出ない方がいい。戦いは俺っちに任せて、お前は魔王の傍に控えてるんだな」
 ローディスは言いたいことを言い切ると、フィードと共に歩み去っていった。
「……ですが」
 ルティアはなおも、それに抗おうとしていた。






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