三十一.迷いの中で未来への希望がかすむ












 シリウスが出ていった後、ウィルザもまた行動を開始していた。
 彼が出向いたのは客間。もちろんその扉の前には、人型魔族が二体、客人を外へ出さないために見張っている。
 魔王がやってくると、その魔族たちは膝をついて出迎える。
 そして魔王はその扉をゆっくりと開いた。
 中はいつでも客が来ても大丈夫なように整えられた部屋になっていた。
 そして、一人の少女が椅子に腰掛けている。既に服は新しいものに着替えていた。肩からくるぶしまで丈のある袖付きのカートルを着て、腰を布ベルトで止めている。そして頭はカーチフで髪の毛を隠していた。服は多く用意したはずだったが、どうしても農民風の服装でないと落ち着かなかったのだろうか、いつもと変わらない外見だった。
「久しぶりだね、ミラーナ。僕のことを覚えているかな」
 その女性に向かって微笑みかける。すると少女は目を輝かせて近づいてきた。
「ウィルザ様!」
「様、なんて言わないでおくれよ。グランにもそんな風に話をしているのかい?」
「いいえ、そんなことは」
「だったら僕のこともウィルザ、でかまわないよ」
「ですが、ウィルザ様は世界をお救いになったお方」
 ウィルザは苦笑した。その自分が今は世界を滅ぼそうとしている。
「助けに来てくださったのですか。グランは、無事なんですか」
「グランは生きてるよ、大丈夫。でも、残念ながら僕は君を助けに来たわけじゃないんだ」
「……」
 ようやく興奮状態から冷めてきたミラーナは魔王の雰囲気の変化に気づく。
 禍々しく、それでいてどこか切ない。
「どう……」
「どうしたのかって言われても、僕にも答えようがないんだ。とにかく僕はもう、勇者じゃないんだよ、ミラーナ。今の僕は、魔王なんだ」
 魔王ウィルザ。
 その事実を知ってもなお、ミラーナはそれを認めようとせず、ただ首を振るばかりだった。
「ご冗談……」
「悪いけど、ミラーナ。僕は今、グランたちとは敵対しているんだよ。君をここへ連れてこさせたのも、僕の命令なんだ。マイラの村をひどい目に合わせたのも、全てね」
 どうしてそんなことを、となじるよりも、どうしてそんなことに、と現状を理解できない様子がありありと見てとれる。一年前を知っている者ならばこういう反応はむしろ当然だろう。
「ミラーナを連れてきてもらったのは、保険なんだ」
 魔王は相手にその意味が分かるとは思っていなかった。おそらく誰に言ったところで理解できない心境だろうと思う。
 殺そうとしているものを保護する。
 その理由はただ一つ。決して人質などというものではない。
「もうすぐグランたちがここにくる。そうしたら伝えてほしいことがあるんだ」
 おそらくシャドウがグランたちとミラーナを会わせないようにするだろう。だから、グランと再会できるとすれば、それはシャドウが敗れたときだ。
 その時すら考えて、事前に手を打つ必要がある。
「僕はもうここにはいない。ラダトームを滅ぼすために、この城は一時空にしておくよ、って。グランがここへ来たのなら、きっと騎士を倒した後のことだろう。悪いけど、それまでにラダトームは完全に滅ぼさせてもらうから」
「ま、待ってください」
 信じられない出来事が続きながらも、必死にミラーナは自分の置かれた立場、状況を理解しようとしてウィルザに尋ねた。
「どうして、私を捕らえたのですか?」
 ウィルザは微笑んだ。
「だから、保険だよ」
「私は、何に対する保険なのですか?」
「それはね、」
 魔王は自虐的に微笑みながら言った。






 崩壊したマイラの村には、もはや人影はなかった。
 騎士たちが去ったため、村人は皆殺しにされることはなかった。かろうじて生き残った人々はリムルダールへと足を向けた。
 だが、その村の中で唯一雨風をしのげる建物となった教会には、まだ勇者たちが残っていた。
 竜騎士フィードとの戦いで全滅状態となり、仲間であるデッドを失い、グランは目の前で獣騎士ローディスにミラーナを奪われた。
 魔導騎士ユリアさえ倒したものの、完敗としかいいようのない戦いだった。
 グランの意識はようやく戻っていたが、クリスも、リザも、レオンも、マリアも、皆一様に押し黙っていた。
 これからどうするのか。
 決まっている。魔王に会いに行かなければならない。だが、魔王に会いに行って、無事にたどりつけるのか。またあの、竜騎士が現れた時に自分たちは戦って倒すことができるのか。
 圧倒的な力の差。
 勇者たちは、その現実を前に完全に意気消沈していた。
 精霊ルビスによって得た新たな力も、騎士たちには通用しなかった。
 クリスは自分の折れた剣をじっと見つめていた。
 一つだけ望みがあるとすれば、この剣、光の刃を生み出したこの剣なら竜騎士にダメージを与えられる。
 だが、戦いの後に何度この剣から光を生もうとしても徒労に終わっていた。どうしてあの時、そんな力が手に入ったのか。デッドの件が引き金になったのは間違いないだろうが。
 グランも自分の両手をじっと見つめていた。
 最後にローディスに一撃を与えたとき、確かに手ごたえがあった。ただ殴るのではない、何か魔法的な力を両手に込めて、魔族の体内から破壊する──そう、ウィルザが使っていた仙気発徑のように。
 といっても、無意識に使った技だったので、どうすれば同じように戦えるのかが分からない。
 ローディスともフィードとも戦える技は自分たちの中にある。だが、それが今、完全に使いこなすことができていない。
 そして、最も意気消沈していたのは実はリザだった。
 自分の氷炎呪殺はユリアにもフィードにも通用しなかった。デモン・スレイヤーとして今まで魔族をなぎ倒してきた自分の最高傑作が全く通じなかったのだ。
 魔法の力というものが通用しない相手に、自分の力はどこまで通じるのだろうか。
「ですが、僕らは立ち止まるわけにはいかない」
 消沈している仲間たちに向かって、レオンが勇敢にも話しかけた。
 力が及ばなかったのはレオンも同じだ。自分が限界を超えて使ったギガデインも効かなかった。それでも勇者の仕事は魔王を倒すことだ。立ち止まるわけにはいかない。仲間たちが苦しんでいるときこそ、リーダーとしてみんなを引っ張らなくてはならない。
「レオン、勇気と無謀は違うんだよ」
 クリスがはき捨てるように言う。
「そうでしょうか。僕にはその勇気すら無くしているように見えます。圧倒的な力の前に挫けていては、最初から勝ち目はない。もともと僕らの方が弱いというのは目に見えていたはずです。力押しで勝てないのなら、こちらは知恵を使わなければいけない。勝つ方法を考えるんです。それともクリスさんは、魔王にあってまた自分が拒絶されることを怖がっているんですか」
「なんだって」
「はっきりとさせておきましょう。ウィルザは魔王なんです。確かにまだ人間の側に戻ってくることがあるのかもしれない。でも、ウィルザが魔王として君臨する気持ちに揺らぎがないというのであれば、僕たちの手で倒さなければいけない相手なんです」
「そんなことは分かっている!」
「分かっていても、それが実行できない、戸惑ってしまうというのであれば意味がありません。前回の戦いをお忘れですか。僕たちはウィルザにまるで歯がたたなかった。それは僕たちが弱すぎたからじゃない。相手がウィルザだということで力を出し切れなかった僕たちの心の問題です」
 クリスとレオンが激しく睨み合う。だが、これは明らかにレオンの方に分があった。
 少なくともずっとクリスを見てきたマリアにはそう思えた。マリアもまた、クリスが本気でウィルザと戦っていないことに歯がゆい思いをしつづけてきたからだ。
 相棒のクロムを失っても、クリスはそれよりもウィルザを優先してきた。
 不信感がおこるというわけではない。ただ、このままではクリスのためにならない、と思う。
 グランはある程度ウィルザと戦う覚悟はできているようだ。逆にリザのように絶対に倒すつもりがないという意識が出ているのもそれはそれでいいと思う。だが、クリスの場合は倒さなければいけないという気持ちと、倒したくないという気持ちが葛藤している。中途半端が一番よくない。いざというときにどうすることもできなくなってしまう。
「この段階にあって、僕はもう迷うことはできません。次にあの竜人と戦うことがあれば、僕は迷うことなくこの剣を使うつもりです」
 魔王殺しの剣、サタンキラー。
 あらゆる魔族に対して強力な力を示すが、逆に使う者の寿命を縮めるという呪いの魔剣。
「フィードも、そしてウィルザもこれで殺します。僕はためらうことはしない」
「待て。あいつはまだ、人間の側に戻ってくる可能性が──」
「待って、クリス」
 クリスがレオンに反論しようとしたところで、リザが割って入った。
「クリスはレオンの言っていることがまだよく分かっていないわ。レオンが言っているのは覚悟の問題──そうでしょう」
「はい」
 レオンは間髪入れずに答える。
「覚悟? ウィルザと戦う覚悟だっていうのか?」
「そう。私たちはこのままなら何度戦ってもウィルザに勝てないわ。だって、ウィルザは最悪私たちを殺してもかまわないという覚悟を決めてしまっているから。その差は大きいわ」
 そう。少なくともウィルザは本気でグランを殺そうとした。ローディスが止めなければ、本当に殺していたに違いない。
「じゃあ、リザはウィルザを本気で殺すっていうのか!」
 クリスは声を荒げる。だが、リザは首を振った。
「私は絶対に、ウィルザとは戦わない」
「な──」
 その返答は、逆にクリスを戸惑わせた。
「グランはもう、ウィルザと戦うことを決めてしまったみたいだけど、それなら私は絶対に戦わない。私はウィルザが人間の側に戻ってくるときの、その受け止める場所にならなければいけない。そう思っているの」
「じゃあ、ウィルザが戻ってこなかったら」
「そのときは、私がウィルザに殺されるまでね」
 そう言ってリザは微笑んだ。
 彼女も覚悟ができていた。自分だけは絶対にウィルザを最後まで信じぬくのだ、と。だから魔王ウィルザとは絶対に戦わないのだ、と。
 とにかくウィルザに会う。会わなければならない。そしてウィルザを自分たちの手に取り戻す。
 自分がデモン・スレイヤーで、ウィルザを倒す使命があるというのなら、その名前は捨てる。その名前で今まで生きてきたわけではない。
 あのイシスのピラミッドからずっと、自分はウィルザと共にいることだけを自分の拠り所としていたのだから。
 でも、人間を滅ぼさせるわけにはいかない。だからウィルザと共に歩むことはできない。
 何故なら、ウィルザに人間殺しの罪をきせることはできないと、リザは本気で考えているから。
「レオンがウィルザを殺すというのは私はかまわないことだと思う。ただ、私はウィルザを殺すための戦いには参加しない。それだけは言っておくから」
「分かっています」
 レオンは初めからそのつもりだった。
 リザは当然のこと、はじめからレオンはグランもクリスも力をあてにしているわけではない。
 自分はウィルザを倒し、自ら魔王となって、魔界へ行き、そして二度とこちらの世界に戻ってこない。
 その覚悟が、自分にもできたのだ。
「僕は自分一人ででもウィルザを倒します。それは僕の使命でもありますが、僕自身がそう望んでいるからです」
「オイラは──」
 そしてグランが発言する。
「オイラはウィルザのことが好きだけど、人間を滅ぼすことには賛成できない。だからオイラはウィルザと戦う」
 小柄な美少年はそう、はっきりと言った。
「破壊神の復活を阻止するからといって、人間を滅ぼすなんて本末転倒だと思う。確かに人間が死ぬことでこの星は守られるのかもしれないけれど」
「でも、破壊神を呼び出すのが人間なのだとしたら、その行為を止めることだって人間にはできると思うわ」
 反論したリザは一息つき、さらに続けて言う。
「ウィルザは今は信じられないのかもしれない。人間のことを。人間がおかしてしまう愚かさを。でも、私たちはそのおろかさを正していく力がある。人間にはその力があると、私は信じる。そして、ウィルザにももう一度、それを信じてもらう。それに──」
 一度言葉を区切る。それに、と続く言葉を誰もが待つ。
「気になったことがあるの。どうしてウィルザはミラーナを連れていったのかしら?」
 何故。
 そう、それは『魔王ウィルザ』らしからぬ行為だった。
 魔王となったウィルザは人間を殲滅するためには手段は選ばず、徹底的に滅ぼすことだけを考えているように感じられた。
 それは昔の自分と決別するためというのも、大きな理由の一つだろう。
 だとしたら何故、ミラーナだけは特別だったのだろうか。
 それには必ず理由がある。
「リザは何だと思うの?」
 グランはおそるおそる尋ねた。
「少なくとも、ミラーナを連れ去ったのならミラーナは殺されることはないわ」
「まさか」
「助けたのかもしれない」
 それは期待にすぎないのかもしれない。だが、リザはそう信じたかった。
 グランの恋人であるミラーナを守る。
 ウィルザがそうしてくれたのではないだろうか。
「でもそれは矛盾していませんか」
 レオンが尋ねる。その通りだ。ミラーナを生かしておいては人間を全滅させることはできないのだから。
「分からない。でも、たとえウィルザが魔王になったとしてもか弱い女の子に拷問したりすることはないと思う。死ぬか生きるか、それしかウィルザの中に選択肢はないんだと思う。だったら──」
「人質という可能性もあるのではありませんか?」
「ないわ。だってそれなら、あの竜騎士が本気で戦えば私たちに勝ち目がないのだから」
 そう。人質など取る必要はない。実力で魔王は自分たちを倒すことができるのだから。
「だから、ミラーナを助けたんだと思う」
「でもそれは、期待にすぎません」
「そう。でも、それを期待してはいけない?」
「裏切られたときに傷つきます」
「大丈夫。どんなことがあったとしても、私はウィルザを信じるから」
「もし魔王が僕たちの命を取ろうとしてきたら、リザさんは戦わないまま倒されてしまいます」
 レオンは苦しげに言う。
「それでリザさんはいいんですか?」
「ええ。そのときは私が死ぬだけ。仕方のないことだと割り切るしかないわね」
 レオンの言葉に平気な様子でリザは答える。
 三人の立場は出揃った。
 あとは──
「アタシには分からない」
 クリスは呟いた。
 勇者オルテガの息子。一緒に育った弟のような存在。
 自分にはウィルザの存在は大きすぎる。彼の存在を語らずして自分の存在は語れないほどに。
 戦うことはできない。でも、戦わずにいることもできない。
 どうしたらいいのか、分からない。
「駄目だ。今のアタシは、本当にみんなの足手まといになる」
 こんな中途半端な気持ちでは、進むことも引くこともできない。
「アタシには選べない。戦うことも戦わないことも。どうしたらいいのか分からないんだ」
「それで、いいのではないですか」
 年老いた声と共に、ポロン、という竪琴の音が響く。
「ガライ!」
 グランが声を上げた。その初老の男性はいつの間にか教会に入ってきており、パーティーのすぐ近くまで来ていた。
「魔王ウィルザを倒すも倒さぬも人間の決めること。勇者さえしっかりとまっすぐ前を向いていれば問題などありません」
 ガライはレオンに近づき、じっと顔を覗き込む。
「ギガデインを使えるようになりましたか。なるほど、素質は充分にあるようですね」
「素質ですか」
「ええ。勇者にのみ使えるデインの魔法の最高位、ミナデインを使える素質です」
「ミナ……デイン?」
 聞いたことのない魔法だった。誰もが首をかしげる。
「あなたが真の勇者ならば」
 ガライは手をレオンの額にあてた。
「これで、あなたは最強の魔法の使い手となるでしょう」
 直後、

「があああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!」

 教会が震えるほどの叫び声が、レオンの喉からほとばしっていた。






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