三十二.戦争を前に戦女神が地上に降臨する












 ばたり、と倒れた勇者を見て、全員が血の色を変える。
「ガライ、あんた──」
「落ち着きなさい。これは儀式にしかすぎません。今は彼がデインの魔法を受け入れられるかどうか、戦っているだけです。それほど時間はかからないでしょう。彼には素質があります」
 ガライは平然とした様子だった。
「それよりも、あなたたちはやることがあるでしょう」
「やること?」
「はい。魔王城に行き、ウィルザに会うことです」
 そんなことは言われずとも分かっていることだ。
「問題は彼の元までたどり着けるかどうかです。敵は強い」
「それでも行かなければいけないわ」
 リザが決意に満ちた様子で答えた。
「ガライ。あなたは前に言った。移動するだけなら力を貸す、と。私たちを魔王の城まで連れていくことはできないの?」
「できます」
 静かに、だが強く答える。
「ですが、おそらくこのままではあなたたちに勝ち目はない。それでも行きますか?」
「いまさらだよ」
 グランが挑発するように言う。
「ミラーナを助けるんだ」
「ウィルザには会わなければいけないから」
 リザもグランの意見につく。
「一つ教えてほしい」
 クリスは刃のない柄だけの剣を示して言う。
「ガライはこの剣のことを知っているのかい?」
「知っています。三代前の魔王がアレフガルドに侵攻してきたときの勇者が使った『光の剣』ですね」
「これをアタシに使いこなすことができるだろうか」
 ガライは目を細めた。
 それは、否定、のサインだ。
「何故だ?」
「光の剣の刃は、回りの光を吸収して、戦う者の戦う意思を具現化されるものです。迷いがあるうちは使えません。また、使わない方が幸せでもあります」
「使わない方が幸せ?」
「精神力が高くなければ使えないということは、この剣を使うたびに精神力は削られていくのです。あなたが少し弱気になってしまっているのは、おそらくはこの剣を使ってしまったからでしょう」
 戦う意思を削り、かわりにウィルザとは戦いたくないという意識が表面化してきた。
 それが、現在のクリスだというのだ。
「もし本気で戦うつもりがあるのならこの剣を使ってもいいでしょう。ですが、あなたの精神力は勇者ほど強いものではない。おそらくあなたの精神は、もって三回といったところでしょう」
「三回……」
「その剣は今、刃がないですね。つけておきましょう」
 ガライはその剣に触れる。すると、瞬く間に刃が生まれ、元通りの剣に戻った。
「オルテガは勇者でした。紛うことなき勇者でした。この光の剣を使い続けて、一度も精神が衰えたことはありませんでした。ですが、この光の剣を彼はアレフガルドでは使えなかった。そのときのアレフガルドはまだ、夜の時代でしたから。だから彼は勝てなかった。最後まで勇者が持つにふさわしい剣にめぐり合えなかったから。本当ならば、王者の剣を彼は手にしていたはずだったのに」
「それをウィルザが手にした」
「そうです。オルテガももともと王者の剣を手に入れることは運が良ければ、程度にしか考えていなかった。オルテガがもう少し魔王との戦いを急がず、自分の武器を手にすることを考えていれば、ウィルザとも再会できたし、死ぬこともなかったかもしれません」
 と、そのとき。
「うう……」
 レオンがうめいて、意識を取り戻す。
「レオン」
「大丈夫かい?」
 リザとグランが彼を助け起こす。はい、と答えてレオンは立ち上がった。
「無事、魔法を手に入れたようですね」
 ガライは微笑んで言う。
「この力は、僕の……」
「ええ。あなた一人の力で使うことができるものではありません。リザの力をお借りなさい。彼女の魔力は今、無限にあるのだから」
「はい」
「それでは、覚悟はいいですか、皆さん」
 ガライはそこで話を区切った。
「これから皆さんをロンダルキアまで送り届けます。そこから先は、皆さん次第です。もちろんここで引き返すこともできますが……どうしますか?」
「行こう」
 レオンは力強く言う。
「私も」
「オイラも」
 クリスはしばし自分の剣を見つめていたが、やがて。
「行きます」
 そして、それに続いてマリアも頷いた。
「では──お行きなさい」
 ガライが竪琴をかきならすと、その場から五人の姿が消えた。
「さて……この戦いで魔王を食い止められるといいのですが」



 ──ガライは知らない。
 既に、魔王は城にいないのだ、ということを。






 ラダトーム城内は、完全にパニックと化していた。
 ムーンブルク、ラヴィアと強大な国が次々と滅ぼされ、さらにはマイラも襲撃され、そしてついに、このラダトームまで魔王の軍勢が攻め寄せてきたからだ。
 和睦はない。それが今までの人間と魔族との戦い。
 だが、この危機にあって勇敢に立ち向かおうとする者は決して多くなかった。
「戦うといっても、いったいどうすればいいものか」
「先のゾーマ戦で、名だたる武将はみな戦死しておるのだぞ」
「新生魔王軍はムーンブルクもラヴィアも落としているではないか」
「戦力差が違いすぎる。勝ち目はない」
「だが逃げ出すといっても、どこへ行けばよいものか」
 最初から戦う姿勢もないのであれば、勝ち目のあろうはずもない。
 そして国王ラルスが口を開く。
「逃げても無駄だろう。ムーンブルク、ラヴィアで魔王軍は兵士・民間人の種別なく、全ての人間を殺そうとしたということだ。だとすれば、魔王の目的はこの城を攻略することではない。この城とこの街に住む全ての人間の皆殺しだ」
 ラルスの現実を見据えた言葉に、全員が押し黙る。
「我々は命をかけて戦わなければ、生き残る術はないということだ。さらに言うならば、魔王軍と内通したところで結局は殺される。なにしろ、前例があるからな」
 びくっ、と何人かの大臣が身をすくませる。国を売って自分は安泰、などと考えていたのだろう。
「前例ですか?」
「ああ。説明しよう」
 ラルスが手を上げると、兵士が奥の扉をうやうやしく開ける。
 そこから現れたのは、珍しい紫色の髪と緑色の瞳を持った、見目麗しい女性であった。
 天上の女神がそこに現れたのか、と人々は一瞬思った。
 そう、まさに彼女の姿は、戦女神だった。
 長い髪を後ろで束ね、紅い鎧に身をつつみ、腰に長剣を差した女性。
「紹介しよう。ムーンブルクのフィオナ王女だ」
 おお、と声が上がる。現世の三大美女と名高い女性が目の前にいるのだ。
 フィオナの名はこの世界全てに及んでいる。もちろんその美しさも一つの理由ではあるが、それよりも彼女は非常に優れた外交官であり、同時に一流の剣士でもあった。
 全てに秀で、劣るところは何一つない、まさに女傑である。
「ムーンブルクには内通者がいました。その結果、正門を閉ざすこともできず、魔族が城へなだれ込んできました。私はその場にいました」
 フィオナのよく通る声が、全員の耳に届く。
「私の目の前で、恥知らずな者どもは魔族に媚いりました。約束どおり、命は助けてほしいと。ですが、結局その者たちは誰よりも早く殺されました。魔族は、人間との約束など約束とは思っていません。何しろ殺す相手なのですから」
 彼女の宣告は死刑に近いようなものだった。
「だから我々は戦わなければなりません。全員が意思を統一し、魔族に立ち向かわなければ人間の勝利はありません。そして、私フィオナが断言します。人間は魔族には負けません。この戦いは勝ちます」
 勝ちます。
 その言葉が全員に浸透していくことで、徐々に人々の顔に明るみが戻る。
「人間の力は魔族に劣るものではありません。違いはたった一つ、統制が取れているのが魔族で、そうでないのが人間だというだけのことです。だとするならば、我々は魔族以上の統制と秩序をもって戦えばいいのです。全員が同じ意思、同じ目的をもって行動すれば、必ず人間は勝利できます。そして、我々には希望があります」
 希望。
 その言葉に全員がさらに耳を傾ける。
「それは、勇者ロトがこの危機を見過ごすはずがないということです。ゾーマを倒した勇者ロトは健在です。新生魔王軍も必ずや蹴散らしてくれることでしょう。この危機に、勇者ロトは必ずやラダトームに戻ってきてくれることでしょう!」
 そうだ。
 勇者ロト。
 ロトが、我々にはいる。
 ロト。
 ロト。
 ロト!
「勇者ロト万歳!」
 一人が立ち上がって叫ぶ。すると、次々に歓呼の声が上がった。
「ラダトームに栄光あれ!」
「フィオナ殿下万歳!」
「ラルス陛下万歳!」
 それは、半ばやけ気味に叫ばせていただけなのかもしれない。
 だが、高揚することで恐怖を忘れることができるのも事実だ。
 そして、フィオナは微笑みながら、その歓声を聞いた。






 もちろん、彼女は知らない。知るはずがない。
 その勇者ロトこそが、魔王なのだということを。






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