三十四.未来の歴史を築くために戦いを望む
「陛下」
押しのけられたルティアが声を上げる。
「下がっていろ、ルティア。お前にはこの相手は倒せないのだろう」
「ですが──」
「同じことを二度言わせるな」
魔王は既に『魔王の剣』を抜いている。まだ魔王はこの剣を使いこなせていないはずだった。だが、クリスたちよりはずっと力の劣るフィオナ相手によもや負けるはずもない。
「王女は俺が殺す」
冷めた瞳で、王女は射抜かれる。
喉が鳴った。
そして、涙がこぼれそうになる。
あの日の、どこか暗い翳。
それは、このときのことを考えてのものだったのだろうか。
「何故」
フィオナは愕然として全く動けずにいる。
「何故も何もない」
だが、その翳はもうどこにもない。あるのはただ、殺気だけ。
「抵抗はしないのか?」
すう、と魔王の剣が振りかぶられる。
はっ、と気づいたフィオナは慌てて横によける。わざと速度を緩めていたのか、その剣は簡単に回避できた。
大地に突き刺さった剣が、五メートル以上もひび割れを生じさせる。
(魔王の力、ですね)
現世の戦女神は気持ちを切り替える。
目の前にいるのは敵だ。
──敵だ。
「勇者、ロト」
体が震える。
「あなたが何故魔王となったのか、私には分かりません。分かりませんが、人間の敵だというのなら」
震える体で、必死に剣をかまえる。
「あなたを倒します」
「その体でか」
震えている体を差して魔王が言う。
「勇者が魔王になることがそれほど不思議か?」
「あなたはアレフガルドを救った勇者ではありませんか」
「そうとも。ゾーマのやり方と俺のやり方は違うからな」
悪魔の鎧が、血のように赤黒く光る。
「ゾーマはこのアレフガルドを閉ざし、支配するのが目的だった。だが俺は、このアレフガルドのみならず、全ての人間を滅ぼすのが目的だ。そのためにはゾーマが邪魔だっただけのことだ」
フィオナは初めて会った日のことを思い出す。
『これは、アレフガルドのみんなの勝利です。僕の勝利ではありません』
それは、どういう意味だったのか。
「あなたは、あの時既に──」
「そうだ。お前が俺に話しかけてきた時、既に心は決まっていた」
「どうして」
「理由などない。強いて言うなら」
すう、と目が細まる。
「人間を滅ぼすためだ」
そして動いた。
鋭い斬撃が、一度、二度と放たれる。
王女は二度まで交わしたが、三度目までは回避しきれずに剣で受け流す──が、その剣を弾き飛ばされていた。
(強い)
これが勇者の力。
いや、魔王の力。
「さらばだ」
魔王は剣を振り下ろす。
(そんな──)
王女は、絶望と共に死を覚悟した。
(あなたが、魔王だなどと)
涙が落ちそうになる。
認めない。認めたくない。
あんなに翳を持ちながらも、誰よりも輝いていた勇者。
何が彼をこうさせてしまったのか。
(認めない──)
目の前に落ちてくる剣を、王女は睨みつけていた。
ギィン!
その間に、一人の人間が割って入った。
詩人の姿で、長剣を握っている。その姿には王女も見覚えがあった。何度かこの人物とは話をしたことがある。世界と契約した詩人。
「ガライ?」
「久しぶりだの、ウィルザ。剣を手にするとき以来か」
二人の間で火花が散ったように、王女には見受けられた。そして、ガライから「下がっていなさい」と言われておとなしく引き下がる。
「何故お前がここに?」
「決まっておる。お前を止めるためだよ」
詩人のローブの中の顔は若く、その口調はあまりにも年老いている。
「ほう?」
ウィルザが顔をしかめる。
「世界との『契約』はどうするつもりだ?」
「この際、いたしかたあるまい。破壊神が復活する『最後の時』までは生きていたかったが、ここで希望の灯を消させるわけにはいかん。それに、お主がこのような方法でラダトームを攻めてくるとは思わなんでな。そうと知っておれば、勇者たちをロンダルキアへ行かせたりはしなかったものを」
「お前ほどの男を騙せるのだから、ローディスの策はレベルが高いことを認めなければなるまいな」
魔王は苦笑する。
ガライが結んだ世界との『契約』。それは、自らの肉体の老化を止め、全ての真実を知り、最後の時に破壊神と自ら戦うというものだ。
破壊神と戦うためだけに、ガライはずっと生き延びることを選んだ。そして、破壊神と戦うために必要な要素を少しずつ増やしていった。
「手段は違えど、お前と俺とは破壊神がこの世界を壊すことを止めるという目的においては同じはずなんだがな」
魔王にしても不思議な気持ちだった。この詩人とだけは戦うことがないだろうと考えていた。
「世界との契約は破棄か?」
「そうだ。魔王よ」
ガライはローブを脱いだ。
その下には、光輝く鎧を着込んだ若き青年の姿があった。
「この時点で私は世界との契約を破棄し、再び時間の流れに身をゆだねる。そして、お主が人間を滅ぼすのを止めてみせる」
「お前には無理だ、ガライ」
「試してみなければ、分かるまい」
詩人が動き、剣が奔る。
魔王は予想もしていなかったスピードに対処しきれず、その赤黒い鎧に亀裂が入る。
「な」
「この私が対破壊神の最終兵器であること、忘れたわけではあるまいな」
ガライが続けざまに攻撃する。魔王は完全に防戦一方となった。
回りこんで放たれる斬撃を、魔王はただ逃げ回るだけで攻勢に回ることはなかった。
それだけ、詩人の攻撃には隙がなかった。あの魔王に攻撃すらさせていない。
そのスピードはルティアより速く、そのパワーはローディスよりも強い。
まさに『切り札』にたがわぬ強さだった。
「いつまでもかわし続けられると思うな!」
円を描きながら攻撃していた詩人は、突如逆回転を描く。
本来なら、剣の軌跡から逃れる方向へ動くのが普通だが、この意表をついた動きは逆に魔王の行動に制限をかけた。
詩人の剣が、魔王の喉下めがけて繰り出される。
魔王は自らの剣で防ごうとするが『魔王の剣』はガライの攻撃で弾き飛ばされてしまった。
「くらえっ!」
ガライが渾身の力を込めて魔王に斬りかかる。
「硬気孔!」
魔王は左手で、その剣を止めた。
二人の体に衝撃が走る。
詩人の剣は止まっていた。だが、魔王の左手にも傷が走っていた。
左手から手首まで、剣が食い込んでいる。
「まさか、ここまでの強さとは」
魔王がうめくように言う。
「お主に負けたりはせぬよ。私はお主の倍は強い」
詩人は剣を引き、さらに鋭く突き崩していく。
「イオラ!」
魔王は爆発の魔法を放ち、なんとか距離を置こうとする。だが、それより早く詩人は動いて背後に回り込もうとする。
「バギクロス!」
その詩人から魔法が放たれた。魔法で足が止まり、詩人の間合いから離れられない。
「くらえっ!」
詩人の攻撃が繰り出され、魔王は装備していた『死神の盾』で防ぐ。だが、硬気孔ですら貫いた詩人の剣を盾で止められるはずもない。あっさりとその盾が二つに割れる。
「くっ」
「追い込んだぞ、魔王!」
ガライがベギラゴンを放ち、魔王の行動を封じておいて上から斬りかかる。
だが魔王も黙ってやられるわけにはいかない。意表をついた体当たりで剣の間合いよりも中に入り、詩人のバランスを崩す。
「仙気発徑!」
魔王の右手が詩人に触れる。
だが、その衝撃が詩人を弾き飛ばすことはなかった。
「なっ」
「甘いぞ、魔王。私が何も対策を講じてないと思ったか」
詩人の肘打ちが魔王の横面を痛烈に打つ。
「お主の仙気発徑は、体内で練った気を相手に放つ技。であれば、同程度の気を体内で練り、技が放たれる瞬間に内側から放てば技の効果は防げる」
「そこまでの力を持っているというのか」
魔王は泥だらけになりながら立ち上がる。
「そうとも。こんなことになるのなら、最初から私が立ち上がっていればよかったのだ」
ガライは幾分哀しげな表情を浮かべた。
「私のわがままで、私の最後の弟子たち、ゼフォンもデッドも亡くしてしまった。あの者たちはこれからを生きる者たちであったのに」
「そんな奴はこの世界にいくらでもいる。二人が特別だなどとまさか思っているわけでもあるまい」
「そうとも。だが、私には最初からお主を倒すだけの力があった。こうして時間の流れに身を任せることになるということが分かっていたのなら、お主が剣を手にする前から倒していたものを」
「お前に俺を倒すことはできない。魔王を倒すのは勇者の役目だ」
「その歴史も今日で終わる。魔族が絶え、人間の世界が来る」
「そして破壊神の力で世界の全てが滅ぼされるというのか。本末転倒だな」
「人間は強い。必ずや破壊神の復活も食い止めてくれるだろう」
「無理だな。その破壊神を呼び出すのも人間だ。人間同士の戦いに勝ち負けなどない。あるのは事実だけだ。破壊神が降臨されるという、たった一つの事実。それをお前は知りながら、今この時間を無駄に過ごしている。いつか来る破壊神の降臨という事態に対処することを捨て、目先の人間の滅亡という事態を回避することしか考えていない。結局はお前も、その程度の男だったか」
「何とでも言うがいい、魔王よ。破壊神の降臨の前に人間が滅びてしまえば全てが終わりなのだ」
「人間が滅びてもこの世界は滅ぼさせない。それが俺の考えだ」
「ならば私はあくまでも人間の味方だ。魔王にも、破壊神にもこの世界を壊させはしない」
二人は睨み合う。いつしか魔王の左手は回復魔法でふさがっていた。
「滅びよ、魔王!」
ガライが突進する。ウィルザは武器も防具もない状態で戦わなければならなかった。
ルティアが一瞬、剣を差し出そうとしていたのには気づいていたが、魔王は目線だけでそれを拒否した。
詩人の攻撃を回避し、間合いを取ろうとする。ベギラマやイオラの魔法を使いながら、たくみに距離を計る。
何か、狙っている。
その戦いを見ていたルティアもフィオナも、そして当のガライですらもそれを感じていた。
だが詩人は攻撃をやめない。休ませたらそれだけ魔王は策をめぐらせてくる。
「メラゾーマ!」
詩人は火球の魔法を放ち、魔王の意識を少しでもひきつけようとする。だが魔王はそれを片手で消し去り、意識はガライから決して外そうとしなかった。
「バギクロス!」
さらに真空魔法で詩人は攻撃し、間合いを詰める。魔王はその魔法から身を守り、ガライの攻撃を待ち構える。
(何をするつもりだ、魔王)
一抹の不安が頭をよぎる。
そして、その正体に詩人は思い至る。
(ならば!)
さらにスピードを上げた。そして、ぎりぎりの間合いで魔王は『その魔法』を唱えた。
「パルス!」
それは魔王にのみ使える『破壊』の魔法。
対象を完全に破壊し、消滅させる禁断の魔法だ。
「見切ったぞ、魔王!」
詩人は懐から取り出した『命の石』を魔王に向かって放つ。それが身代わりとなり、破壊の魔法が命の石を粉々にくだいた。
「なにっ」
「とどめだ、魔王!」
完全に体勢を崩していた魔王はその詩人の攻撃をついにその身に受ける。
裂傷から血が吹き出た。
赤い、人間の血が。
「死ねっ!」
その心臓めがけて、ガライの剣が繰り出される。
「硬気孔!」
魔王は渾身の力で左手を繰り出す。
「その左手ごと、貫いてくれるわ!」
そして、魔王の左手と、詩人の剣が交差する──
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