三十五.閉鎖された空間に未来がたゆたう
「言っただろう、ガライ」
二人の視線が交差した。
完全に冷静な表情をした魔王と、驚愕で目を見開いている詩人。
剣は、魔王の手にかすり傷すら与えることはできなかった。
「俺を殺すことはできない、と」
「まさか」
詩人は自分の手を見る。
かすかに震えていたが、それは単に驚いているからだけではない。
「それが世界と『契約』したものの運命。お前が『契約』を破棄してから、既に二十分が経過している。もう少しかかるかとも思ったが、案外早かったな。それで本当に破壊神と戦うつもりだったのか?」
魔王はそのまま、詩人の剣を握り折る。
「対破壊神用の『切り札』とやらも、たいしたことはないな」
「ま、まさか、こんな……これほど早くとは」
「どうやら、自分の体を正確に理解できていないようだな。今まで何百年という時間を世界と契約することで老化をおしとどめていたが、契約が切れた今、本来あるべき時間がお前の体に帰ってきているのだ。長く生きすぎたな、ガライ。もはやお前は、全盛期の力を使うことは二度とできん」
魔王は気を練る。
ガライが回避しようとしたが、遅かった。
「仙気発徑!」
魔王の手が詩人の左胸に当たる。そして、もはや詩人にそれを防ぐだけの力はなかった。
「がはっ!」
詩人の体が吹き飛ぶ。
「これで、人間の味方はいなくなる」
魔王は取り落としていた『魔王の剣』を手に取る。
「さらばだ、ガライッ!」
その両手剣を、魔王は片手で振り上げる。
そして、一気に詰め寄ってその剣を振り下ろした。
ギィン!
だが、その剣は詩人の体にはとどかなかった。
今度は、その二人の間にまた別の人物が割り込んでいた。
「今度はお前か」
割り込んでいたのはフィオナだった。
剣の握りと刀身に手を置き、上から振り下ろされてくる『魔王の剣』を受け止めていた。
王女の剣に皹が入り、両肩に負担がかかる。
「引き上げる!」
王女の凛とした声が戦場に響いた。そして王女は剣を捨て、詩人の体を抱きかかえる。
「ルーラ!」
そして、彼女は詩人を連れて城へと逃げ込んだ。
「やはり、あの王女は厄介だな」
逃げ去った方角を見て、魔王がいまいましげに顔をしかめる。
「追撃します」
「無用だ。それより軍を再編する。一度引き上げろ」
「了解いたしました」
ルティアが神妙な様子で指示を出す。
その彼女を、魔王は後ろから優しく抱きしめた。
「へ、陛下」
「あまり考えすぎるな。誰にでも、譲れないものはある。今回のことは気にしなくていい」
その言葉が、感情のなかった彼女の心を揺さぶる。
「はい。ありがとうございます、陛下」
「後は頼む」
魔王は戦場を剣騎士に託すと、その場を下がった。
(フィオナ王女か)
やはり、ただものではない。
彼女が自分に好意を抱いていたのは、あの一年前の日から知っていたことだ。
何かを成し遂げた者への強い憧れ。
それは何も成しえない彼女自身の裏返しだ。
その彼女の国を滅ぼしたのは自分だ。裏切り者を出すという、卑劣な方法でムーンブルクを落とした。
彼女はそれを知っている。だから、ラダトームの高官に接触しようとしても、全て彼女によってさえぎられた。
(どうすれば彼女を殺すことができるかだな)
戦場におびき出すしかないが、力の差を知ってしまった以上、簡単に乱戦にはならないだろう。
さて、どうしたものだろうか。
とはいうものの、ウィルザは全く焦りなどはなかった。このまま戦いを続けていれば、最終的に勝てるのは分かっている。
そして。
(勇者は来ない)
彼らはもう、魔王城の中に捕らわれているのだから。
「大丈夫ですか、ガライ様」
フィオナはガライをベッドに寝かせると、温かい茶を出す。
「ふふ、すっかり年寄り扱いだな」
既に詩人の顔には皺が出てきている。老化は急激に彼の体を蝕んでいた。
「申し訳ありません」
「いや、かまわんよ。おそらく私の命はそう長くあるまい。もって数日、といったところかな。それは分かっていたことだ。老化を止めてはいても、実際に時間は流れている。本来私の体に流れるはずだった時間が帰ってくる。それは分かっていた。ただ、こんなにも早いとは思っていなかったが……あと少し時間があれば、魔王を倒すこともできたのだが」
「どうぞご無理はなさらないでください」
「なに、この老体、どのみち死ぬのなら多少の無理は問題ない。それより、無理をしてはならぬのはそなただよ、フィオナ王女」
フィオナは顔をしかめる。
「よいか、たとえ何があってもそなただけは死んではならぬ。そなたはこの戦いの後、ムーンブルク王家を再興する義務がある」
「それはもちろんです」
王族としてそれは当然のことだ。
「そうではない。そうではないのだよ、王女」
ガライは真剣な表情を浮かべる。
「彼を憎んではならぬよ、王女」
「彼とは、勇者ロトのことですか」
ガライは強く頷く。
「何故ですか。彼は魔王となったのです。魔王を倒さなければ人間は」
「魔王が行動するのはその個体の意思だ。今まで人間と戦わなかった魔王はいくらでもいる。だが、問題はそんなところにはないのだよ、王女」
「それはいったい」
「はるかな未来」
ガライは遠くを見つめた。
彼は全ての真実を知った。そして、遠い未来に破壊神がよみがえることも知ったし、その復活を阻止することができる可能性のある者がいることも分かった。
「そなたの血を引く者と、ロトの血を引く者が結ばれる」
「なん……」
「その子は、この地上で唯一破壊神の復活を止めることができる。だから、王女、そなたは死んではならぬし、魔王が死んでもならないのだよ」
ガライにしてみると、それは当然の帰結だ。だからこそムーンブルクの血を引く王女をこの戦いで死なせるわけにはいかなかった。
自分が破壊神を倒すことができるという可能性がどれだけあるかは知らない。だが、ロトの血を引く者とムーンブルクの血を引く者の子は間違いなく破壊神を封印する力があるということは知っている。
ならば、どちらが優先されるかは言わずとも知れたことだ。たとえ自分はここで死んだとしても、ムーンブルクの王女だけは助けなければならない。
そして、もう一人も。
「よいか、決してそなたは己が子を生すまで死んではならん。もしそうなった時は──人間の世が終わるときだ」
ドクン、とフィオナの体が脈打つ。
それを確認したガライは満足そうにまたベッドに横たわった。
「さて……あと一人、告げなければならない相手がいるのだが、はたして彼女は私が死ぬまでに間に合うだろうか……」
そして、しばしの眠りについた。
──ロンダルキア。
ガライによって決戦の地へとやってきた勇者たち一行は、ついに魔王の住む城までやってきていた。
ラダトームが決戦場となっていることなど知らない彼らは、ただ魔王に会うことだけを考えてここまできた。
舞い落ちる雪と、日の光を浴びていながらもどこか瘴気を感じる城。白と黒の織り成すコントラスト。瘴気にあてられた雪すら悪意を持っているかのように感じる。
パーティメンバーは五人。
勇者レオンを筆頭に、クリス、リザ、グラン。そしてマリアも同行していた。
マリアについては、レオンから同行を控えるように一度話があった。
「今までもデッドさんやクロムさんが亡くなっています。次の戦いも命がけになるのは間違いない。どうか自分の命を大切にされてください」
遠まわしに戦力外通告をしたわけだが、マリアは頑として聞き入れなかった。
「もしグランさんが倒れてしまったとき、回復魔法を使えるのは私だけになります。それこそ命をかけてでも、私はみなさんの命を助けます」
彼女にも意地というものがある。クリスをサポートしながらやってきて、相棒のクロムを失って、その上で『ここまででいい』などと見切りをつけられるのは我慢がならない。
それに、不安定なクリスを支えてやることができるのは自分しかいない。クロムは既に亡く、彼女の心を占めるウィルザは傍にいてくれることはない。
だからせめて、自分がいることで少しはクリスの支えになれれば、と考えているのだ。
クリスからも、決して無理はしないようにと念を押されたが、既にマリアはそんなことは気になどしていなかった。
マリアはこの戦いに命をかけるつもりだった。魔王との戦いで、きっとクリスは全力を出せない。だから、クロムがやろうとしていたことを今度は自分がやらなければならない。
「門が開いていますね」
岩陰からロンダルキアの城を見る。見張りはない。ただ門だけが侵入者を拒まないように大きく開かれている。
「当然、見張られていると考えるべきだね。ウィルザが何の理由もなく開けっ放しにしているとは思えない。誘っているのか、それとも牽制か。そうだね、あたしなら──やはり罠の方かな」
「同感です。このまま突撃するのは無謀です」
クリスとレオンが慎重論を唱える。だが、反抗したのはリザだった。
「じゃあ、どうすれば城の様子が分かるの?」
二人はそれに答えることができなかった。
「いずれにしても城には入らなければならない。だとしたらたとえ罠でも突入しなければ状況は変わらないわ」
「オイラもそう思う。それにウィルザならオイラたちのことを罠で殺そうとはしないよ。殺すときは必ず自分で来るか、騎士が来るかのどっちかだと思う」
その意見は正鵠を得ている。仕方がない、とレオンも頷く。
「現実問題として、突入しないわけにはいかないですからね」
最終的にクリスも頷き、当然マリアもそれに従う。
「じゃあ、行きましょう」
突入するといっても、全力で駆け込むというわけではない。待ち伏せを警戒しながら、慎重に近づく。
そして、大きく開いた門に背を預けながら、中の様子を伺う。
「誰もいないね」
グランがつぶやく。だからこそ余計に何が待ち構えているのか、警戒心が増す。
「行きましょう」
レオンが先頭で門の内側に入る。何も起こらない。続けてクリスたちも全員中に入った。
「誰もいないですね」
「ここまで何もないと、逆に不安だな……」
ここは敵の総本山だ。何もないということの方がおかしい。
「何もないのはきっと、たとえ雑魚モンスターをどれだけあてがっても僕たちには無駄だと考えているからでしょう。少なくとも体力は疲弊しますが」
レオンは冷静に分析する。つまり、その結果として考えられることは。
「おそらく、騎士が待ち構えているのでしょう」
すると──
後ろで、ゆっくりと門が閉じた。
「退室はお断りってわけかい」
クリスは鼻で笑った。無論、自分たちとてただで帰るつもりはさらさらない。
ここを出るときは、ミラーナを連れ、そして──魔王ウィルザと何らかの決着がついてからだ。
少なくとも、このときの彼らはそう考えていた。
そして、その想いはそれほど時を空けずに打ち砕かれることになる。
「おやおや」
クリスが身構える。
レオンは戦闘態勢を取り、グランも両拳を握る。リザも魔法の杖を構える。
「やあ、みんな」
そこにいたのは、魔王。
悪魔の鎧を身に着けた魔王がそこにいた。
「ウィルザ。まさかあんたが直々にお出ましとはね。さすがに驚いたよ」
「申し訳ないけど、みんなには俺の言葉だけしかかけてあげることはできない。それでも俺のメッセージを受け取ってもらえると嬉しい」
クリスの声などまるで聞こえないかのように、ウィルザは話し続けていく。
何か様子がおかしい。五人ともそれは感じていた。
「この城、いろいろと細工をしてあるんだ。本当はこの城は浮上するシステムを取り入れている。飛行石というのがあってね、それの加工に成功しているんだ。ただ、まだこの城ほど大きいものを浮上させるにはしばらく時間がかかる。だから現状でこの城を起動させることはできない」
「ウィルザ?」
彼の視線は、自分たちの誰も見ていなかった。ただまっすぐ前だけを見ている。
「そのかわり、もう一つのシステムは完成した。絶対障壁。つまり、この城の外側からは一切入ってくることができなくなるというシステムなんだ」
五人の頭に疑問符が浮かぶ。その話はおかしい。何故なら自分たちはここにいる。
「逆を言うなら、城の内側から外へ出ることもできないということだ。この絶対障壁を起動させたとき、この城は完全に『異空間』となる。外と中とは完全に切り離される形になるわけだ」
グランが何かを感じ、すぐに後ろに戻って門を開けようとする。が、びくともしない。
「オイラたちを閉じ込めてどうするつもりだい、ウィルザ?」
「既にこの絶対障壁は展開されている。つまり、みんなはもうこの城から出ることはできない」
グランの声などまるで聞こえていないかのようにウィルザは続ける。
いや、これはウィルザではない。
「そろそろ気づいているだろう。ここにいる俺は俺じゃない。ここにいるのはただの記録だ。みんなに直接伝えたいことがあったから、俺の姿でこうして伝える」
ウィルザ──いや『ウィルザの形をしたもの』は、五人のことを全く見ようともせずに、淡々と言葉を続けた。
「俺は今、この城の中にはいない。悪いが、全軍を率いてラダトームを攻略中だ。そして絶対障壁を展開した以上、みんなはラダトームに来ることはできない。何があっても、絶対にだ。俺が人間を滅ぼすまで、みんなにはずっとそこにいてもらうよ」
本当に申し訳なさそうに、ウィルザは笑った。
そして、五人の顔が驚愕と絶望で、完全に青ざめていた。
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