三十七.命の灯火が人間の希望を繋ぐ












 それから半日。
 勇者一行は完全に疲弊しきっていた。一回攻撃をしかけてきた後は、完全に沈黙を守っていた。いつ襲い掛かられるか分からない恐怖が一行の体力を徐々に削っていた。一応交代で仮眠は取ったものの、この状況で満足に眠れるはずもない。全員の顔が疲労であふれていた。
 恐れていたことが現実になった。
 クリスはまだ焦ってはいなかった。グランやリザ、マリアがこの状況に必死になって耐えているのは分かる。自分が冷静さを失ったら終わりだ。
 考えているうちに、あの影を倒すたった一つの方法があることにクリスは気づいていた。
 だが、相手が出てこない以上はその方法も試すことはできない。それに、自分がそれを行う覚悟もまだ決まってはいなかった。だからその覚悟を持つまで影が現れないでくれたのは、彼女にとっては逆に気持ちを整理するためにもありがたかったといえる。
(光の剣だ)
 クリスは剣には触れずに思う。自分がそれに気づいていることを他のメンバーに気づかれるわけにはいかない。他のメンバーがそれに希望を持ちすぎるのは危険だ。それに誰かが口にすることで影に余計な警戒心をもたれてもまずい。
 光の剣は実体のない剣。従って、影のような実体のないものを斬ることもまたできるはずなのだ。むしろこの光の剣でなければ倒せないと言っても過言ではないだろう。
 だが、これを使うということは自分の精神力を削るということだ。もって三回。そうガライは言った。この剣を使うことができるのはあと三回だと。その一回をここで使ってしまってもいいのだろうか。
 この後にはまだ強敵が控えている。自分たちが束になってもかなわなかった竜騎士フィード、そのフィードを上回る力を持つとされる獣騎士ローディス。剣の腕は魔王より高い剣騎士ルティア。そして──魔王の背後に控えている不気味な騎士、シリウス。
 全員に使うわけにはいかない。魔王にたどりつくまでにこちらの身がもたなくなる。影を含めた五体の騎士の中から、二体まで。それが魔王にたどりつくための条件なのだ。
 だとすれば、簡単にこの剣を抜くわけにはいかない。こちらの攻撃が間違いなく通用するというのでない限り、無駄に使うわけにはいかないのだ。
 だからといって、このまま何もしないでいればなぶり殺されるだけだ。
(どうする)
 光の剣を発動させるのはいつでもできる。だが、発動した瞬間に影が逃げては使い損だ。使うならば確実にしとめなければならない。だが、影が現れる法則はどこにもない。
「そろそろ夜が明けますね」
 レオンが言った。体内時間は狂っているかもしれないが、それでも間違いなく朝日が出ている時間ではあるだろう。
「外に出た方が安全かい?」
「おそらくは。すくなくともここにいるよりは安全だと思います」
 そうとも言い切れない。外は外でまた危険なのだ。人工物でないばしょには簡単に影が生まれる。それこそ、地面に落ちている石一つからでも簡単に影は生まれるのだ。
 この広間は少なくとも床から影が生まれる心配はない。それだけ完全に磨き上げられている。
「それに、こちらが行動しなければ、おそらく影も行動しないでしょう。奴はこちらが痺れを切らすのを待っているんです」
「だろうね。それは分かるよ。だからあえて危険な場所に移動するっていうのかい?」
「今ならまだ僕たちは冷静な判断能力を持っています。最初からずっと考えていたんです。朝になったら外に出るべきだ、と。少なくともここにいても、1ミリも状況はよくならない。悪化するだけです」
 全くレオンの言う通りだった。そして、それくらいのことはクリスとて考えていたのだ。
 だが、外に出るということは通路を通っていくということだ。それは影の中を突き進むということと同義だ。
 その危険をどれだけカバーできるかどうか。
「壁のかがり火を全員が持ち歩きましょう。いつでも戦えるように、常に片手には武器を持って」
「OK。こうなったらやるしかないね」
 レオンの提案を断るようなら、明らかにグランとリザが不満を持っただろう。
(あと少し時間がほしかったかな)
 まだ覚悟は決まらない。だが、これはもう『諦める』しかないだろう。
 次に影が出たら、容赦なく光の剣を叩き込む。それしかない。
「よし、それじゃあかがり火を取りに行こう」
 壁際にあるかがり火を持ち出すことからして、一苦労だ。
 常に誰かが全員の背後を見ていなければならない。死角を作ってはならない。お互いが向き合う形を取らなければならない。
 かがり火を取るのはマリアになった。一番戦闘力が低い彼女が適任だった。他のメンバーはいざ影が現れたときに、すみやかに戦闘状態に入れるようにしなければならない。
 マリアがゆっくりとかがり火に近づき、それをレオンとクリスが見守る。その二人を挟むようにしてグランとリザが見張る。死角はない。リザの後ろはグランが、グランの後ろはリザがそれぞれ目が届く。
 そのとき──壁の上から落石があった。
「なにっ!」
 それらは全て小石にすぎない。だが、その小石が作る無数の影が──
「下がれっ!」
 何十という小石の影から、何十という影騎士が一斉に現れた。
「マリアっ!」
 マリアは咄嗟に防御魔法スカラを自らに唱えて、影騎士の剣を受けた。なんとか持ちこたえることはできたが、重傷だ。
 そして、その一瞬で全員の意識が『見張る』というところから『戦う』というところへ移ってしまっていた。『隙』が生まれたのだ。
 影は既に、リザの背後を取っていた。それが『本体』だった。
「危ない!」
 逆にそれを冷静に見ていたのはマリアだった。そこに本体がいる以上、自分の身がこれ以上危険であるはずがない。それを逆手にとってかがり火を手に取り、影めがけて投げつけたのだ。
 シャドウはかがり火によって作られたかがり火自体の影から再び消えた。
(これじゃあ、光の剣なんて使う暇がないじゃないか)
 相手は自在にこの空間を移動できる。自分の剣がまず相手に届かないのだ。
「クリス様」
 重傷を負ったマリアが真剣な表情でクリスを見つめた。
「後を、よろしくお願いします」
 マリアは流れる血もそのままに、壁に背を預けた。
「何を──」
 すると、その岩肌にあった無数の小さな影から、影騎士の姿が生まれ出る。
「マリアっ!」
 影のナイフが、彼女の胸を貫いた。
 だが逆に、マリアは影の体内にその右手を突き入れた。
(今行くよ、クロム)
 一瞬、自分の主を守って命を落とした相棒の姿が浮かぶ。
 こんな死に方なら、悪くない。
「メガンテ!」



 マリアには分かっていた。
 影に貫かれたときに、この影騎士という存在がどういうものなのか。
 それは負のエネルギーの集合体なのだ。
 意識だけが存在し、負のエネルギーによってその意識が具現化されているにすぎない。
 だからそのエネルギーを全て消滅させることができれば、意識自体を消え去ることはできないかもしれないが、この地上に実体化することは二度とできないはずだ。
 負のエネルギーを打ち消すための方策は、マリアの中には二つしかなかった。
 一つはクリスも考えていた光の剣だ。あの剣でならダメージを与えられる。影を打ち消す光のエネルギーならば致命傷を与えることも可能だ。だが、問題は奴が常に実体化していないということ。影の中に潜んでいるときはこちらから攻撃することは不可能だ。
 そしてもう一つが、命のエネルギーを用いて行う究極の消滅・破壊呪文。
 メガンテ。
 これを使うときは絶対にないと考えていた。何があっても最後まで自分はクリスの傍にいるのだと信じていた。
 だが、この段階にいたって、もはや自分の命を顧みないというわけにはいかない。
 光の剣を使ってしまえば、魔王と戦う前にクリスは力尽きてしまう。一回でも多く光の剣を使う回数が多い状態で魔王の元までたどりつかせなければならないのだ。
 だから、自分が犠牲となろう。
 少なくともこの中で、もっとも足手まといになるのは自分だ。それは分かっていた。
 だから、自分の命の上に、人間の未来が築かれるのなら、自分は喜んで人柱となろう。
 だから。
(どうか、魔王を倒してください)
 マリアは願った。
 この地上に、平和の訪れることを──



「マリアっ!」
 巨大な爆発に四人が押し飛ばされる。クリスはいち早く立ち上がって、その爆発の中心を見た。
 爆発の中心地は、完全な窪地となっていた。
 そして、そこに彼女のローブの切れ端だけが、爆風で汚れて落ちていた。
「マリア」
 クリスは涙を浮かべながらその窪地に足を踏み入れる。
 そっと、その切れ端を取ると、ついにはこらえきれなくなり、涙をこぼした。
(はじめまして、クリス様)
 マリアとクロムはメルキドについた最初にクリスの元を訪れた。そして一年間、ずっと自分のサポートに徹してくれた。メルキド所属でありながら、メルキドよりもクリス本人を優先することを二人はクリスの前で誓った。そんなものはいらない、と言いながらも今まで二人にはさんざん甘えてきたような気がする。自分は結局二人のサポートなしには何もできなかったのではないだろうか。
(私は、クリス様のお役にたちたいのです)
 真剣なまなざしで訴えかける彼女の気持ちを踏みにじったのも自分だ。
 クリス以上の存在をもたない彼らにとって、かつての仲間であったウィルザと戦うことを決め切れなかった自分はどう映ったのだろう。
 それでも二人は自分のために命をかけてくれた。この身勝手な自分のために。
「クロム……マリア……」
 強くその切れ端を握り締める。
 そして、彼女もまた誓った。
「私も決めたよ」
 この想いに、自分は応えなければならない。
「魔王と戦う──もう迷わない」
 あの大灯台からずっと自分は迷い続けていた。
 迷って、迷い続けたあげく、自分にとって大切なものを次々に失っていった。
 だが、今の自分にはまだ仲間がいる。グランが、リザが、レオンがいる。
 彼らを失うわけにはいかない。
 自分が彼らを守り、そして人間の世界を守るのだ。
「ウィルザを倒す。何があってもだ」






 ルティアは魔王陛下が眠っているテントに控えていた。
 今でもまだ半日近く眠り続ける習性は変わらない。もちろん、いざとなれば一日でも二日でも起きていられるが、魔王はどうも眠る時間帯をコントロールできるかのようだった。
 寝ている間に彼は魔王として成長する。
 彼女の望みどおりに。
(……望み?)
 そう。誰よりも強く、そして妥協を許さず、人間を憎む魔王がほしかった。ウィルザ個人そのものよりも、完全な魔王、それだけが彼女の望みだった。
 だが、今はそれが本当の望みなのかどうか、分からない。
 何故なら。
「リザ……」
 時折、彼の夢の中に出てくる女性の名前が口をつくたびに、自分の心は嫉妬と怒りで狂いそうになる。
 今までと違い、どうしてこうも感情に左右されるようになってしまったのだろうか。彼自身が誰を愛していようとかまわない。ただ自分が魔王陛下の傍にいられればそれで充分だった。それなのに、今はそれが充分ではなくなっている。
 彼に見てもらいたい。彼に愛されたい。彼にとって自分が一番なのだと、独占されたいのだと、支配されたいのだと。
 そう──魔族にとって最大の欲望である、誰かに支配されるという欲望、それに完全に取り付かれているのだ、自分は。
 それは彼が魔王だからだろうか、それとも──ウィルザ個人だからだろうか?
 彼女にはもう区別がつかなかった。
 そして、そのあまりにも巨大な嫉妬心に身を任せて、全てのものを切り刻みたい衝動にかられる。
「魔王陛下はまだお休みか」
 聞きなれた声が耳に届く。テントに入ってきたのは、赤と黒の鎧に全身を固めた死神騎士、シリウスであった。
「はい。よくお休みになられております」
「次の日の朝までに起きないようであれば攻撃を仕掛けてもかまわないとおっしゃられたが、さて」
 その仮面の奥の闇に、何か色が灯ったような気がした。
「ルティア」
「はい」
「それほどに、魔王陛下を愛しているのか?」
 突然の質問にルティアは戸惑った。
「──わかりません」
「なるほど、素直な答だ。だが、相手の納得を期待できる答というわけではない」
「はい」
「まあ、好きにするがいい。この魔王は人間を滅ぼす。お前の望み通りに。そして、気をつけることだ」
「気をつける、とは?」
 シリウスは身をひるがえしてから答えた。
「魔王に惚れても、良いことはない。魔王への恋がみのったことは、過去に一度もないからだ」
「……」
「話しすぎたな。今のことは忘れろ」
「はい」
「全軍、これより侵攻する。お前も準備を整えておくがいい──今日が、有史より一度もなしとげられたことのなかった記念すべき日、ラダトームの陥落の日だ」






次へ

もどる