三十八.虚無の中で魔王が生まれる












 勇者たちはこのロンダルキアの城をくまなく探検していた。
 あの影騎士以上の敵はいない。そう予測したのは正しかった。あの騎士はこの城の守り番だったのだ。そして侵入者を人知れず消すという役割だったのだろう。
 四人となった一行に会話はなかった。確かにあまり自分から発言することもなかったが、今までずっと一緒に行動してきた者が一人ずつ亡くなっていくことが、彼らの気を重くしていたのだ。
 敵の姿のないロンダルキア城には静寂しかなかった。
 だがここにはきっと、ミラーナがいるのだ。少なくとも魔王はそう言っていた。
「本当にいるのかな」
 ぽつりとグランが呟く。
 確かにその疑問は全員にあった。いくら魔王が言ったとはいえ、それが真実である保証はどこにもないのだ。
「信じましょう、グラン」
 リザが言い、グランがうなずく。
 そう、結局のところ、一行にできることなどそれほど多くはない。まずはミラーナを見つけ、その上でこの城からの脱出方法を探す。
 それだけだ。
「にしても、広い城だね」
 クリスがため息をつく。延々と歩き回っているが、なかなか全容がつかめない。
 やがて再び大きなホールに出る。それすらももう、三つ目なのだが。
「なんだか同じところをぐるぐる回っているだけのような気がします」
「同意見だね。でも、マップ上では間違いなく移動しているよ」
 地図をこまめに描いていたのは無論リザの役割だ。
「地下への階段があるよ。それから扉が二つ」
「さて、こういう場合、とらわれのお姫様はどこにいるものかな?」
 クリスが茶化し、グランが顔を赤らめる。
「では、地下からいきましょう」
 レオンが先頭に立って降りていく。それに三人も続いた。
 そこは牢屋とも、客室ともいえる場所であった。廊下の左右には等間隔で扉が並んでおり、中を確認するとそこそこしっかりとしたつくりの部屋になっている。ベッドもあればクローゼットも食糧も備わっている。この部屋の中で暮らしていくには充分だ。
「シャワーまであるよ。随分豪華な客室だね」
「人間用の食料があるって言ってたのはこれのことだね」
 とりあえず城の中で飢えて死ぬようなことはなくなった。これはこれで一つの不安は取り除かれた。
「ミラーナももしかしたらこのどこかにいるのかもしれない」
「そうだね。まずはここの部屋を全部探して、それから食事にしようか」
 シャドウとの戦いで全員が疲労しきっていた。少しは体力を回復することも必要だ。
 一行は次々に扉の中を確認していく。
 何十という扉を開けていった、その最奥の部屋。ひときわ豪華な扉が最後に正面に控えていた。
 グランが代表して、その扉を開ける。
 中から灯りが漏れ、次第に部屋の中が浮き彫りにされる。
 そして──見つけた。
「ミラーナ」
 グランの顔が上気する。
 そして、部屋の中にいた少女もまた。
「……グラン?」
「ミラーナっ!」
 駆け寄り、その少女の体を抱く。
 あのルビス神殿で守れなかった少女の姿がここにある。
「グラン、本当に、グランなの? 生きてたの?」
「そうだよ、ミラーナ。君を助けに来たんだ」
「よかった。私、あなたがもう、助かっていないものだと……」
 グランにすがりつき、ついにはしゃくりあげてしまったミラーナを優しく抱きしめたグランは、その手で彼女の頭を優しくなでる。
「もう大丈夫。オイラたちが今度こそミラーナを守るから」
 その言葉に、はっ、とミラーナは顔を上げる。
 そして、真剣な表情で尋ねた。
「ウィルザ様と戦うの?」
 その言葉で、ミラーナが真相を全て知っていることを悟る。
「ああ。オイラたちじゃなければ、誰もウィルザを止める人がいないからね」
「でも、もうラダトームは……」
 そう。ここに勇者たちを閉じ込め、その間にラダトームを落とす。それがウィルザの考えだ。
「まだ滅びたと決まったわけじゃないさ」
 クリスが言う。
「クリス様」
「様、はやめてくれないかな。私なんかにそんな呼称はおそれおおいよ。とにかく、ウィルザを倒すために、まずはこの城を出ないとね」
「待ってください」
 ミラーナはそのクリスにすがりつくように言う。
「ウィルザ様を倒すなんて、駄目です」
「ミラーナ」
「ウィルザ様は必ずしも人間を滅ぼしたいなんて考えているわけではありません。説得することができるはずです」
「落ち着いて、ミラーナ」
 グランは興奮した彼女をベッドに座らせる。
「オイラたちもさんざんウィルザとはもう話したんだ。でも、ウィルザは全く自分の意思を変えようとはしなかった。もう倒すしかない、そういうところまで来てしまってるんだよ」
「違うの。だって、ウィルザ様はおっしゃったわ」
 そして。
 ミラーナの口から、あの日の会話が一行に語られることとなった。





『どうして、私を捕らえたのですか?』
 ウィルザは微笑んだ。
『だから、保険だよ』
『私は、何に対する保険なのですか?』
『それはね、』
 魔王は自虐的に微笑みながら言った。
『もしも僕が失敗したときに、生き残ったグランたちが少しでも幸せになるために、だよ』
『失敗?』
『そう。僕は人間を滅ぼす。それを止めることができるのはグランたちだけなんだ。壮絶な殺し合いになる。僕が勝てば人間は滅びる。それで世界は救われる。でも、僕が死んだときには人間は生き残り……そして世界は滅びる。遠い未来に』
 ぞく、と背筋が震えた。
『でも、滅びが決定したといっても、その滅びの時までくらい、僕の知っている人たちくらい、幸せに生きてもらいたいと思うんだ。ミラーナはグランの恋人だろう? だから、死んでほしくない』
『ウィルザ様……』
『でももし僕が勝って、人間が滅びるとしたら、そのときは僕は君を殺すよ。ミラーナはグランたちが少しでも幸せになるための保険なんだ。だから、この城から出てはいけない。ここにいる限り君は絶対に安全だから』
『どうしてですか』
 ミラーナの詰問には多少、棘があった。
『どうしてそんなに、結論を急がれるんですか。世界が滅びるなんて、そんな、止められないんですか』
『止められないよ。それは決まりきった運命だから』
 魔王は首を振って答える。
『全部決まっているんだ。人間が生き残った時に、必ず滅びが起こる。アレフガルドで破壊神に魅入られた一人の神官が、この世界に破壊神を呼び寄せる。破壊神はこの世界の全てを滅ぼす。だからそれを止めるために魔王たちは常に人間を滅ぼそうとしてきたんだ。いや、魔王ももとは人間だからね。人間を信じて、何もしなかった魔王だっている。また、アレフガルドと外の世界とを遮断して破壊神の降臨を阻もうとしたゾーマのような魔王もいる』
 そう、ゾーマの人間支配は非常に矛盾に満ちていた。
 何故アレフガルドだけを闇の世界に閉ざしたのか。支配したアレフガルドで人間をいつまでも滅ぼさなかったのか。
 それは、魔王ゾーマに人間を滅ぼす意思がなかった、ということの裏返しであった。破壊神を降臨させるためのアイテムをアレフガルドの外に置き、破壊神を降臨させることになる神官が生まれるアレフガルドと完全に隔てた。それを永久に続けることで、破壊神の降臨を永久に未来に先送りした。
 決してゾーマは人間を滅ぼすつもりなどなかった。アレフガルドと外とを遮断した結果、日の光すら届かない夜の世界に変貌を遂げた『だけ』のことだったのだ。
 それでも人間は生きていけた。魔王軍は無闇やたらに町村を滅ぼしたわけではない。閉ざされた世界の中で生きていくのなら、ゾーマはそれを滅ぼすつもりなどなかったのだ。
『どうして人間が信じられないのですか?』
 それを聞いたウィルザは苦笑で答えるしかなかった。
『人間が過去に何をしてきたか、知っているからかな』
 ルビスの塔で過去と未来の全てを見た魔王には、人間が過去に何をしてきたのか、全てを知っている。
 どれだけの暴行を魔族に加えてきたのか、全てを知っている。
 古き魔王の子孫がどのような仕打ちを受けたのかも、魔王を愛した少女がどのような仕打ちを受けたのかも、魔族の姉弟が魔族の解放を願う理由も、全てを知っているのだ。
『人間は、どこまでも愚かな行為ができる唯一の種族だ。信じることはできないさ』
『ですが、ウィルザ様は魔王を倒し、人間の世界に光を取り戻してくれました』
『そうだよ、それが僕が魔王になるための条件だったからね』
『ウィルザ様は、卑怯です』
 ミラーナは泣きながら詰め寄る。
『卑怯?』
『そうです。ウィルザ様は心からそんなことを言いたいわけじゃないのに、無理してそんなことを言わないでください』
『どうしてそう思うんだい?』
『だったらどうしてそんな悲しそうな顔をするんですか!』
 魔王は首を振った。
『そうだね』
『ウィルザ様は人間を信じているんです。でも、ただウィルザ様が素直になれないだけなんです』
『そうかもしれない』
『これだけのことをして、引き返せない気になっているだけなんです。引き返せるのに、いつだってグランたちは待っているのに!』
『その通りだ』
『ウィルザ様!』
『でも、駄目だよミラーナ。僕は引き返さない。そう決めたんだ』
 話は終わりだ、と言わんばかりに魔王は瞳を閉じた。





「オイラたちが、幸せに……?」
 確かに決心したとはいえ、魔王が自分たちのことを気にしていたのは確かだ。グランを殺すときも涙を流したほどだ。
「ウィルザ様を説得することは不可能ではないと思う。グラン、ウィルザ様をどうか」
「分かってる。でも、いずれにしても──」
 戦いは避けられない。
 相手を殺すかどうかという段階でどうするかはともかく、ウィルザはまず戦うことを望んでいるのだ。
「ウィルザはさ」
 クリスが言う。
「自分の運命と世界の運命を、秤にかけてるんだね」
「だと思うよ。ウィルザはきっと、自分が成功するも失敗するも、どちらでもかまわないと思っているんだ。成功すれば世界は守れる、失敗すれば自分の仲間を守れる。いずれにしても何かを失うんだ」
 その二人の考えは間違っていないだろう。だが、それだけではない。
 敏感にそれを悟っていたのはやはり、リザであった。
「レオン」
 リザは黙っていた勇者に尋ねる。
「教えて。人間は過去に、何をしたのかを」
 レオンは顔をしかめた。
 ウィルザが人間を信じきれないのは、そこに理由があるはずだった。
「言えません」
 だが、かえってきた答は拒絶だった。
「どうして」
「人間がそれを知れば、人間を許せなくなるからです」
 レオンも、ウィルザと同じものを見ていた。
 ウィルザが何を見て何を考えたのか、それと同じことをレオンもまた思った。
 人間が自らの快楽のために、魔族をどのように扱ってきたか。
「レオンも人間を許せないと思うの?」
「いいえ」
 だが、すぐにレオンは首を振る。
「どうして?」
「それはきっと、ウィルザには見えなかったけれど、僕には見えたものがたった一つだけあるからです」
「それは?」
「ウィルザ自身の姿です」
 レオンは確かに見た。
 魔族の悲劇を目にした先代の勇者ウィルザがどのような行動をしてきたのか。





『何故こんなにも、人間は醜い?』
 全てが破壊されたあとの、何もない虚の空間にウィルザはいた。
 真実を知ったものは、この人間という器がどれほど罪深いものであるかが分かる。およそ人間くらいであろう、理由もなく他者の存在を滅することができるのは。
 この何もない空間、ただ思考だけが永遠に存在する空間。そこにとらわれたものは永劫を意識しなければならない。レオンは狂った。だが、ウィルザは狂わなかった。
『人間は過去に罪を犯し、未来に新たな罪をきせていく。人間という存在が、どれほど罪深いものなのか、誰も知らない──そう、人間がいることでこの世界が滅びをむかえることになるのだとしたら、はじめから人間がいなければいい。そうすればこの世界は救われるのだから』
 何故、人間は破壊神を呼び出そうとしたのか。
 それはアレフガルドにいた一人の神官が、自分の娘を殺されたから。
 殺したのは──同じ人間。
 そして世界に絶望した神官は、この世界の破壊を祈った。
 この世界を呪った。
『そう、人間はどのような愚かなこともできる』
 娘を殺された神官には同情する。世界を呪った感情も理解できる。
 だが、破壊神は駄目だ。全てのものを破壊する。
『ならば──人間を滅ぼそう』
 かつて、どの魔王も成し遂げられなかったことを成し遂げる。
 完全な魔王になれず、不完全なままで終わった先代たちの魔王。
 人間の世界に干渉せず魔界で一生を終えた魔王がいた。
 アレフガルドを隔離することで破壊を防ごうとした魔王がいた。
 だが、自分は。
『人間を滅ぼせば、未来の破壊はなくなる』
(やめろ!)
 その姿を見たレオンは彼を止めようとする。
 だが、これは過去の事象。レオンが見ているのは実際にあった過去。
 どれほど語りかけても、声が届くことはない。
『リザ……お前はどう思うだろうな? 俺のことを愚かだと言うだろうか。きっとそうなのだろう。だが、俺は……この世界を守りたい』





 ──この永劫の虚無の世界で。
 一人の魔王が、生まれた。






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