三十九.消滅の閃光が戦場に輝く
ウィルザの過去を見たからこそ、レオンはウィルザになろうとは思わなくなった。
人間に対する怒り、憤りというものは確かに存在する。だが、それを形に現している姿を見たときに彼は思った。こうなってはならないのだ、と。
「あのウィルザの姿を知っている限り、僕は絶対に同じようにはなりません。魔王となっても、人間と戦うようなことはしたくない」
誰も、何も言えなかった。
ウィルザにレオン。
二人の男性にそこまで大きな影響を与えた人間の過去とは、いったいどのようなものだったのか。
「いずれにしても、ウィルザは止めなければいけない」
クリスが話をきりかえた。いずれにしてもここからの脱出が先だ。こうしてミラーナと出会えた以上、この城にいつまでもいるわけにはいかない。
「とはいっても、この城から脱出するためにはウィルザの力がいるんだよね」
グランが顔をしかめた。
宝箱の鍵は宝箱の中に。絶対に手に入れることができない矛盾。
「少し危険だけど……方法がないわけじゃない」
リザがつぶやく。ミラーナ以外の三人が期待に満ちた目で見つめる。
「私の指輪を使って魔力を限界まで引き出せば、封印を破ることもできると思う」
単純なパワーゲームにしてしまうということだ。魔王の力を上回れば封印も破ることができる。
「だが、危険じゃないのかい?」
魔王の力がどれほどのものかは分からない。だが、無限の魔力を持つルビスの指輪ならば可能性はある。
だが、それだけの魔力を放出したならばリザ自身がその魔力に耐え切れないかもしれない。
「待ってください」
意外な声は、ミラーナから上がった。
「リザ様は、ウィルザ様に会われて、どうなさるおつもりですか?」
ミラーナは真剣にリザを見つめている。
「みんなはウィルザを倒すことを考えているみたいだけど、私は違う。私はウィルザを最後まで信じ抜く。絶対にウィルザは戻ってきてくれるって」
彼女の立場は一貫している。それは仲間たちもよく分かっていた。
彼女は絶対にウィルザとは戦わない。ウィルザと戦うのではなく、ウィルザに説得を続けるのだ。
それは非常な精神力を必要とする。決して届かない相手に、届くことのない言葉を投げかけ続けるのだから。
「リザ様を信じて、よろしいでしょうか」
「信じるって?」
逆にミラーナに尋ね返す。
「私はただ、ウィルザが好きなだけだもの。ウィルザとは戦わない。ウィルザを取り戻す戦いなら、いくらでもするけれど」
「分かりました」
ミラーナはベッドの脇においてあった小箱を手に取る。そして、それをリザに渡した。
「ウィルザ様は、これを私に」
「?」
リザは小箱をあける。そこには、スイッチが一つ。
「これは」
「このお城の結界を解くスイッチです」
ミラーナの言葉に、グランとクリスが声を上げる。「どういうことだい?」とクリスが尋ねた。
「ウィルザ様が何を考えてこれを私にくださったのかは分かりません。ウィルザ様がおっしゃったことはこれだけです。『グランたちともし再会したとして、これを使うかどうかはミラーナに任せる。そして、使ったときは僕とグランたちが生きるか死ぬかの戦いを始めるときだ』と。だから私はそんなことにはなってほしくなかったから、この小箱を使うつもりはありませんでした。でも……」
「安心して、ミラーナ」
リザは小さな少女の頭を優しくなでた。
「あなたが思っているような悲劇にはならないから。私たちは誰も死なないし、ウィルザも死なない。みんなでまた、一緒になれるから」
「はい」
ミラーナは泣いていた。
彼女にとってはウィルザという存在は大きい。勇者に対する憧れというものに他ならないとしても、その勇者への思いというものの重みが違う。この世界を救った英雄の姿に影響を受けないものなど、このアレフガルドには存在しないのだから。
「グラン、ウィルザ様をお願い」
「うん。分かってる」
グランも頷く。彼にしても、別に何があってもウィルザを倒したいと考えているわけではない。
ウィルザが戻ってきてくれるのなら、それにこしたことはない。
「行きましょう」
レオンが言う。そして、リザがスイッチを押す。
そして──封印は解かれた。
「ひるむな! アレフガルドの英雄たちよ! 勝利の時は近い!」
たとえ嘘でも、指揮官たるものは部下たちを鼓舞するための言葉を常に言い続けなければならない。フィオナは最前線で戦いながら、凛とした声を戦場に響かせていた。
魔王ならずとも、敵の一角を確実に崩さなければならない。四方から詰め寄ってくる敵兵たちを率いる騎士。それをひとりでも倒すことができれば、人間側の士気は否応なしに高まるはずだ。
そして、騎士と戦うことができるのはただ一人、自分だけだ。
彼女はそう思いながら戦場で剣を振るい続ける。敵将の姿を求めて。
その時がやってきたのは、太陽が中天にさしかかるころであった。
「来たな、王女よ」
王女がついに発見した騎士。
それは、赤と黒の鎧を着た死神騎士であった。
「魔将!」
「シリウス、と呼ぶがいい」
死神騎士は禍々しい『死の剣』を抜く。
「王女よ。もし出会ったのが私ではなく、他の騎士たちであれば生き残ることも可能だったかもしれないが、相手が悪かったな」
「それはこちらの台詞です。騎士、シリウス。あなたの命は私がもらいうけます」
「それは不可能だ」
「やってみなければ分かりません!」
戦女神は剣を両手に握って間合いを詰める。
「やらずとも分かることが、世の中にはある」
王女の目には、何も映らなかった。
死神騎士は全く構えていない体勢だったというのに、気づけば両手に衝撃が走り、剣が弾き飛ばされていた。
(え?)
意識する暇もなく、彼女の喉元に剣が突きつけられる。
「これが実力の差というものだ」
クリアな声が戦場に響く。そして、戦女神は完全に凍り付いていた。
(負ける……)
ぼんやりと、そんなことを考えた。
魔王に再会することもできず、騎士を一人として倒すことも手傷を負わせることもできず。
このまま、殺される。
騎士が言った、明らかな実力差。それをまざまざと見せ付けられて、抵抗する気力さえ奪われて。
「見るがいい」
シリウスは城の方を見て言う。
「今日が、ラダトーム陥落の日だ」
主力部隊が戦場に出たところを見計らって、竜部隊がラダトームに攻撃をかける。街中は既に戦場と化していた。
ラダトームは、史上初めて外敵の侵入を許したのだ。
「お前の負けだ、王女。そして、人間の世界は今日をもって終わる」
「人間が、滅びる……」
「そうだ、罪深き者たちよ。お前たちの罪は、死しても許されることはない。地獄へ行ってもそれだけは忘れるな」
そして、死神騎士は剣を振り上げた。
(何故)
人間は滅びる。
それを目の前に突きつけられた王女は、もはや何をする気力もなかった。
人間を守るべき勇者はなく、自分が死ねばもはやラダトームを率いて戦うものは誰もいなくなる。
ガライとの約束、生き残るということも果たすことができないまま。
『抵抗はしないのか?』
ふと、魔王の声がよみがえる。
だが、抵抗がいったい何になるというのだろう。
(あなたはもう、味方ではないというのに……)
勇者ウィルザに恋焦がれたのは自分。
その結果として、全ての希望を失ったのもまた、自分なのだ。
(もう一度だけ会いたかった)
何を話せばいいのかは分からない。だが、ただ会いたかった。
ずっと焦がれていた、あなたに。
(さよなら)
剣が、振り下ろされる──
(あなたが助けてくれるのなら、どれほど幸せだろう……)
その王女の前に、一人の男が割って入る。
『死の剣』をその剣で受け止め、甲高い音を戦場に響かせた。
(ウィルザ様?)
彼女がそう錯覚するほど、絶妙のタイミングで割って入ったのは、まさに勇者であった。
だが、彼女は期待した人物とは異なっていたが。
「ご無事でしたか、王女殿下」
それは、かつてムーンブルクで王女に忠誠を誓った方の勇者であった。
「レオン! あなた、無事だったのですか!」
「ええ。そして──」
死神騎士を取り囲むように、四人の姿が現れる。
「帰還そうそう騎士との対面とは、なかなかハードだね」
クリスが剣を構えながら言う。
「でも、ひとりしかいないのなら好都合だよ」
グランが拳を握った。その後ろにはミラーナが恐怖をこらえている。
「先に──あれをどうにかしないといけないわね」
リザは城の方を見てつぶやく。空から攻撃する竜たち。このまま放っておけば、ムーンブルクの二の舞だ。
「悠久なる消滅の光よ、我が敵を滅せよ!」
そして、彼女のオリジナルマジックが戦場に放たれる──
『完全消滅魔法──デスレイン!』
宙に人の大きさよりも一回り大きい黒き球体が現れ、そこから空にいる竜たちに向かって雷撃のような光が発射される。
その光を浴びた竜たちは、ただの一撃で光の中に溶けて消えた。
この魔法はまだ、彼女自身使いこなせていないものだった。指輪の力でどうにか使えるようになったものの、コントロールすることもなかなか上手くいかない。そして使い勝手が悪い。というのも、人間ほどの大きさでは魔法の対象として認識できないのだ。それこそ、宙に浮く竜ほどの大きさがなければ、魔法を発動させることすらできない。
だが、対象を認識させることができれば──このように、竜部隊を一瞬で全滅させることも可能なのだ。
「す、すごい……」
それを見た味方であるグランの方が驚きを隠せなかった。
「まさにデモンスレイヤーの本領発揮ってとこだね」
クリスもリザだけは敵にしてはいけないと心に誓った。
「さあ、次はお前の番だ」
レオンは剣を相手に向けて言う。
そのときまで、死神騎士は全くと言っていいほど微動だにしていなかった。その様子が逆に人間たちに不安をかきたたせていたのも事実だ。
「……はどうした」
小さな声で、騎士は言った。
「なに?」
レオンが聞き返す。その瞬間──
「シャドウはどうしたと言っている!」
あふれる殺気が場を支配する。その強烈な気合だけで、勇者たちは完全に足がすくみ、動けなくなっていた。
(馬鹿な!)
脳から身体の各部位へと命令が伝達されるが、一向に動く気配がない。それほどに、目の前にいるこの騎士に威圧されている。
「シャドウを殺したのか」
怒っている。これ以上ないくらいに。
「シャドウを殺したのかっ!」
動きの止まったレオンの元へ一瞬で詰め寄ると、右手でその顎を殴り飛ばした。受身も取れずに、顔面からレオンは大地へとたたきつけられる。
「シャドウ……シャドウ、シャドウ!」
もはや騎士の周りを渦巻いていたのは気合や殺気などという生易しいものではなかった。
全てのものを破壊しつくしたとしてもありあまるほどの怒気。
理性のタガが外れたかのように、シリウスの闘気が戦場に満ち満ちていった。
「こっ……」
クリスは完全に足がすくんでいた。この騎士の力はあのフィードが竜体化したときよりもなお強いのではないか、と思わせるほどであった。
「お前たちに、生きる価値はない……全て、消えてなくなってしまうがいいっ!」
その破壊の力が、戦場を満たす──
「待て」
だが、その騎士を止める声が全員の耳に届く。
「お前の本気を一度は見てみたいものだが……その力を使えば魔王軍にも被害が出る。それは、やめておけ」
無論、騎士筆頭のシリウスをおさえることができるのはただひとり。
魔王、ウィルザだ。
「ウィルザ」
リザが口に出すが、ウィルザはかつての仲間たちの方などまるで見向きもしなかった。
「魔王陛下。シャドウが……」
「聞いた。俺は静止したのだが、あいつは人間への憎しみを抑えきることができなかったらしい……お前と同じでな」
「シャドウ……」
ウィルザはその騎士に近づくと、その仮面に手を置いて抱き寄せる。
「すまない。シャドウならば俺の命令をたがえないと思っていたが、あいつはやはり真からゾーマの配下だったのだな。ゾーマを殺した人間たちを許せなかったようだ。それならば最初から俺の命を取ればよかったものを」
「シャドウ、シャドウ……」
泣いているのか。
魔王に片手で抱かれながら嗚咽をもらす騎士、シリウス。その姿を見て勇者たちは不思議な感覚にとらわれる。
だが、あれは正々堂々の戦いだった。そしてこちらも仲間を一人失ったのだ。
「さて……どうやら無事に脱出することができたようだな」
魔王はかつての仲間たちを見つめる。そして、グランの後ろに控えていた小柄な少女の姿に目を留めた。
「どうやら、戦いの道を選んだようだな、ミラーナ」
「違います、ウィルザ様。私はあなたに、リザ様に会っていただきたく」
「かまわないさ。それが望みなら、そうしよう。でも、仕切りなおしをしたいところだな」
城に攻め込んだ竜部隊も先ほどのリザの魔法で一掃されてしまった。部隊の編成をしなおす必要があるし、何より戦いの場にふさわしくない。
「今度こそ、俺は城で待っている。人間を先に滅ぼすつもりだったが、もうやめだ。先にお前たちを全滅させる。その覚悟があるのなら、もう一度来るがいい。ロンダルキアへ。俺の新たな仲間たちとともに、お前たちを待ち受けよう」
「待って、ウィルザ」
リザが彼に歩み寄る。
「私は──」
「近づくな、リザ。お前たちも仲間を失ったのだろうが、俺も仲間を失っている。俺もまた仲間を失う悲しみと怒りがたぎっている。今は何を話しても逆効果だ。この場で戦闘に入りたくなければ何も言わない方がいい」
「いいえ。それでも私は言う。ウィルザ──私も、一言だけ」
魔王はもう何も言わなかった。そして彼女の言葉を待つ。
「愛しているわ」
「……」
「愛している、ウィルザ。私にも、あなただけだから」
だが、それに魔王は答えることなく、全軍に呼びかけた。
「撤退!」
そして、魔王軍は引き上げていった。
戦火に巻き込まれた街、失われた人命。被害は大きかった。
だが、最後はなんとか退けた。
それは、人間の未来にわずかながらに希望を残した形となったのだ。
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