四十.最終決戦の準備が整う
魔王軍をからくも撃退したフィオナたちは残兵たちをまとめてラダトームに凱旋した。無論、城下町は竜部隊による攻撃でかなりの被害が出てしまっている。だが、それでもこの苦難を乗り切った英雄フィオナ王女を一目見ようと、町衆や兵士たちが街道を埋め尽くしていた。
「フィオナ王女殿下、万歳!」
最初にフィオナが現れたときには既にラダトームの全てが彼女を称える声で埋め尽くされていた。王女は少しだけ安心したように微笑み、手を振り返す。それだけでまたにぎわった。
だが、ここで思いもよらなかったことが──誰もそのことに考えつかなかったことが起こった。
「勇者ロト、万歳!」
フィオナに続いて入ってきたレオンがきょとんと目を見開く。そして、二秒してから自分のことだと気づく。
困ったようにレオンは仲間たちを見つめた。クリスは苦笑するばかりであった。グランとリザは困ったように首をかしげる。
「答えてあげなさい」
声をかけたのは王女であった。そして、誰にも聞こえないように彼に囁く。
「彼らは、勇者ロトという名前がほしいのです。この苦難を救ってくれた勇者として。そのように振るまいなさい」
「御意」
やむなく、レオンは手を上げて民衆に答えた。
民衆の声はいっそう大きくなるばかりで、とどまることを知らないように思えた。
(やれやれ、レオンが勇者ロトとはね)
ウィルザは勇者ロトという名声をいただいたものの、このラダトームではほとんど顔が割れていない。何故なら、ロトという名はウィルザが魔王ゾーマを倒した後にいただいた称号だからだ。
そして勇者『ロト』ことウィルザは姿を消した。だから『ロト』の顔を知っている者は宮廷の者を除けば街中にいるはずがない。
だからこそ、このからくりは通用するのだ。
そして同時に、本物の『ロト』が『ロト』としてこの街に帰ってくることは不可能になったのだ。
「みなさん」
民衆たちの歓呼の中、フィオナがレオンたちに話しかける。
「いつまでもこうして士気を高めたいところですが、みなさんにはすぐに来ていただかなければならない場所があります。いえ、会っていただかなければならない人がいます」
真剣な表情に四人の顔が強張る。
「誰だい?」
クリスが代表して尋ねた。
「ガライです」
聞き知った名前が出てきて安堵すると同時に、四人の中に焦燥感もまた生まれた。
その情報を自分たちに教えたということは、何か理由があるはずなのだ。
「会わなければいけないって、どういうことだい?」
クリスが尋ねる。
王女は目を伏せて答えた。
「ガライは、契約を解きました。今のガライは余命いくばくもない老人なのです」
四人の体に電流が走った。
あのガライに、いったい何があったというのか。契約を解かなければならなかった理由は何だというのか。
「おそらくもって、今日明日といったところ。急いでガライに会いにいきましょう」
四人は頷く。
民衆の声がひどく遠くに感じられた。
シャドウを失った魔王軍は、今までにないほど消沈していた。
肝心の魔王がショックを受けているというのもあるが、今まで冷静沈着だったシリウスが明らかに動揺していた。確かに現魔王軍でウィルザに最も古くから仕えていたのはこの二名だ。何か特別な関係があるのは分かりきっている。
「どうにも、妙な雰囲気だねえ」
ローディスはフィードの部屋でぼやいていた。この男は特別用事がないとこうして同僚の部屋に遊びに来てはあれこれ口にしていく。フィードとしてはうんざりするところもあるが、それが同時に気に入っていることも否定はできない。
「お前んとこの竜部隊も、今回全滅に等しいんだろ?」
「お前の策に乗ったばかりにな」
「おいおい、俺のせいかよ」
さすがのローディスも、あのリザの消滅魔法には驚かされた。まさかあれほどの力を持っているとは予測の範疇をこえていた。これはローディスが責められるべきではないだろう。
「陛下はここで迎え撃つ気なのだろう」
「じゃねえのか? ま、魔王っちが何しようが、やることは変わらねえからよ。奴らをたたきつぶすだけさ。今度こそ、命がけの真剣勝負だ」
マイラでは魔王の命令があったため、勇者たちを殺すことができなかった。グランも助けたし、クリスも間一髪で救っていた。
「お前の出番は後だ」
フィードは槍を握って言う。
「私が一番手だ。誰にもそれは譲るつもりはない」
「死ぬつもりか?」
その言葉にフィードは答えない。かわりに、こう言った。
「お前とミラーナの関係が、少し見えた気がする」
今度はローディスが黙る番であった。
「たとえミラーナが何を考えていようとも、私はミラーナを殺した人間を許すつもりはない。だから、安心してみているがいい」
それは、死ぬつもりか、という言葉に対する返答のようにも思えた。
だが、もし、全てを分かっていてそう言ったのだとしたら──それは、フィードが成長したということなのかもしれない。
「ま、がんばりな」
「ああ」
その部屋にいた皮と骨だけの老人を見たとき、それがまさかガライだなどとは夢にも思わなかった。これが何かの冗談ではないのか、と改めて思わざるをえなかった。
「──まに、あったか」
かすれた声が、耳にざらりと残った。
「ガライ様」
「王女──無事だったか」
「はい。勇者たちをお連れいたしました」
「ああ──お久しぶりです、リザ」
ガライはリムルダールで再会したときのように言う。
「ガライ」
「ふふ、世界との契約の代償、です。これでもまだ、弟子たちの苦しみに比べれば安いものですよ。そんなことより、大事な話があります。いいですか、あなたは、決して」
ガライの目から、赤い涙が零れていた。もはや、体の中に残っている体液は、血液しかないのではないか、という様子で。
「死んでは、いけない」
当たり前のことなのに、それが非常に重く感じる。
「いつか、この世界に破壊の神が降臨する。そのとき、あなたと、ロトの──ウィルザの血を引く者が、破壊神の降臨を防ぐ」
「私と、ウィルザの」
「そうです。だから、あなたは決して死んではならない──ああ、もう、目も見えなくなってきた」
震える手が、完全に肉が削ぎ落ちてしまった手が、差し出される。リザは優しくその手を取った。
「それだけは、忘れないでください。いいですか、この世界を救いたければ、絶対に死んではならない。そのことだけは、忘れないで……」
そして──
ガライはそれから意識を失った。
永久に、目覚めることはなかった。
魔王の部屋にはそのとき、魔王の他にはルティアしかいなかった。その二人がいるところにやってきたのは、騎士筆頭のシリウスであった。
ルティアにはどこか精彩がないような様子もあったが、入ってきた騎士筆頭にはそんなことにかまっている余裕などなかった。
「シャドウを殺したのは、あなただ」
開口一番、そのように死神が言う。
「おかしなことを言うのだな、シリウス。俺はずっとラダトームを攻めていた」
「だが、シャドウは奴らと戦い、そして亡くなった。この城の結界を解くことができるのはあなただけだ」
「確かに。だが、俺はシャドウにはこのようにしか言っていない。ミラーナと勇者たちを会わせるな、と。ミラーナには結界を解くためのスイッチを渡している。だから会わせるな、と。シャドウならばその技でミラーナがいた部屋の扉を封鎖してしまえばいい。それで事足りる。そして、さらに俺は言った。勇者たちと戦う必要はない、と。この城で一年でも二年でも勇者たちが足止めできていれば問題なかった。だがあいつは戦った。ゾーマを殺した相手を憎んでいたからだろう」
「ゾーマ様を殺したのは、あなただ」
最初の言葉と、目的語を変えただけの言葉が死神から伝えられる。
「そうだな。お前が俺を恨んでいるのは最初から分かっている。お前には俺を殺す権利と力がある」
シリウスは剣を抜く。そして、一瞬で魔王の懐に入った。
傍にいたルティアが驚くほどの速さだった。
そして、魔王は全く身じろぎもしなかった。
「死ぬおつもりですか?」
「いや、お前がまだ俺を殺す気はないという方に賭けているだけだ」
「あなたは、矛盾の塊だ」
シリウスは剣を収める。
仮面の奥の瞳が輝いているのが見える。
「どうしてシャドウが死ななければならないのですか」
「おそらくはそれを、シャドウ自身が望んだからだろうな」
「あなたはそれを止めることもできたはず」
「お前もあいつも、想いは同じだ。ゾーマを殺した人間を憎み、ゾーマを殺した人間を滅ぼす。もともとお前たちはその目的で俺に近づいてきたのではなかったか?」
「ですが、あなたの指示に従った騎士たちがこれでもう三名も亡くなっている」
シリウスは仮面の奥から睨みつける。
「まさか──私たちよりも、敵である人間の方を愛しておられるのではないでしょうね?」
「愚問だ」
魔王は平然と答えた。
「俺は人間だ。人間を愛さないはずがない。だが、それとこれとは別問題だ。たとえ俺自身が人間をどう思っていようと、リザやクリス、グランのことがどれだけ大切だとしても、俺は次の戦いで三人を殺す。そう決めた」
「あなたにとって、何よりも大切な存在は──リザ、ですか」
「そうだ」
隣にいたルティアがぶるっと震える。
「何よりも大切な存在を殺し、あなたは何を得ようとしているのですか?」
「この世界の永遠の存続を」
「それがあなたの信念ですか」
最後の質問に魔王は答えなかった。
その沈黙を返答として受け取ったシリウスは、そのまま魔王の部屋を辞した。
「……陛下」
しばらくして、隣にいたルティアが声をかける。
その声に魔王は答えず、右手を差し出す。
ルティアはその手を取った。その次の瞬間、体がぐいと引き寄せられる。
彼女の体は、魔王の腕の中に収まっていた。
「すまない。まだ俺は、リザのことを忘れられない」
その一言が胸を抉った。
「だが、俺はリザを殺す。最初に言ったとおりだ。そのとき、お前には傍にいてほしい」
「はい」
「誰もいない世界は、あまりに寂しすぎる」
彼女はそのまま、魔王の胸の中で目を閉じた。
だが、その心の中は、嫉妬という感情で満たされていた。
(あなたにとって、私の存在はいったい何なのでしょう)
行き場のない思いが錯綜する。
(私はもう、あなたを魔王ではなく、ひとりの男性として見ているのに)
だが、魔王は自分のことを女性としては見てくれないのか。
魔王にとって女性とは、たった一人だけなのか。
「ルティア」
優しい声が、彼女の耳朶を打つ。
「俺はこれから、最後の瞑想に入る。おそらくしばらくは目覚めないだろう。リザたちがここに来るかどうかはシリウスたち次第だが、もしものときは俺が目覚めるまで、お前が防いでくれ」
「はい」
「そして」
魔王は徐々に睡魔に襲われていった。
次に目覚めたとき、自分は完全な魔王となっているだろうか。
感情に支配されない、純粋な魔王に。
「全てが終わったら、みんなで……」
そのまま、魔王は眠りについた。
勇者たちが、再びロンダルキアへとやってくる。
最終決戦になるのは間違いない。魔王はこの戦いで引く気は全くない。そして、自分たちも全く引く気はない。
魔王を倒すか、こちらが倒されるか、そのいずれかだ。
問題は魔王の下までたどりつくのが辛いということだろう。何しろ、まだ五体満足の騎士がここには四名もいる。
いずれも強敵だ。倒すことができるかどうかは分からない。
それでも──引くわけにはいかない。
この戦いには、人間の運命がかかっているのだから。
「行くよ」
クリスが言って、門から中へと入っていく。
前回と同じように、門が後ろでしまる。
そしてこれも前回と同じように、そこで誰かが待っていた。
もちろん、ウィルザではない。
「まいったね。あんたが一番手か」
そこにいたのは、仮面を外した竜騎士、フィードであった。
次へ
もどる