四十二.魔獣の罠に落ちる












「フィードが、死んだ」
 ぽつり、とルティアが呟く。
 彼女はその気配だけで敏感に悟っていた。戦いが終わった。そして、人間たちはまだここを目指してやってくる。
 勇者たちと魔王陛下が出会うまでの障害は、あと二つ。
 ──いや。
(そう、私もそろそろ決断をしなければならない)
 魔王は、今も眠る。
 目の前で。
 私の目の前で。
「リザ……」
 ──彼女の名を呼びながら。
(私は──)
 もう、このような思いにとらわれることのないように。
 魔王陛下を、自分だけのものにするために。





「逝ったか」
 ローディスの表情は複雑を極めた。長年の相棒がいなくなるときというのは、えてしてそういうものなのだろうか。
 少なくとも自分の時は違った──と、傍で見ていたシリウスは思う。
「よく冷静でいられるのだな」
「ま、こう見えても感情のないのが取り柄でね」
「嘘をつけ。お前ほど感情に振り回されている男も、そうはいないだろう」
 ぴくり、と獣騎士が反応する。
「お前にあるのは、支配欲でも破壊欲でもない。ただ、好きな女のために何かしてやりたいという、その気持ちで動いているにすぎない」
「そんなことまでお見通しかよ」
「シャドウに教えてもらっただけだ。あいつは、全てのことを知っていたからな」
 そのシャドウがいなくなった今のシリウスは、抜け殻に近い状態だ。
 はたしてこれで勇者たちと戦うことができるのかと不安になるほどに。
「大丈夫なのかい?」
「私か? それならば心配は無用だ」
 仮面の奥で死神が笑う。
「何よりも憎らしいのは、ゾーマ様を殺したあの人間たちなのだから。ついに復讐することができるのかと思うと、しかもこの手で奴らを殺せるのかと思うと、これほどの喜びはない」
「あんたは一番に魔王っちを殺したかったんじゃなかったのかい?」
「確かに」
「だがまあ、今回ばっかりは俺っちに従ってもらうぜ。こう見えてもこの戦いに勝つための最善の方策って奴を考えてあるんだからよ」
「ほう?」
 シリウスは少し楽しそうに尋ね返す。
「罠をしかけてある。あんたの相手は礼拝堂だ。俺っちは地下の闘技場」
「──奴らを分断する、と?」
 その言葉の意味を正確に読み取ったシリウスが再度尋ねなおす。
「まあな。どうしたって魔族って奴は協力して戦うってことができねえ連中ばかりだからよ。だったら敵の数を減らす方が有効だろ。一対四をやるんじゃなくて、一対一の状況を作ればこっちもんだ」
 どこまでもこのローディスという男は戦略家だ。
 自分たちの弱点を逆にプラスに転じる。そんなことを思いつく者は多くない。
「不思議なものだな。お前のような奴がどうして」
 シリウスは仮面の奥から彼の様子を伺うが、その先の言葉はなかった。そして立ち上がる。
「まあいい。もはやこの状況で、私もどうこうするつもりはない。策士であるお前に期待するとしよう。そして、死神である私の役目を果たすことにする」
「ま、がんばれ。俺っちもやれる限りのことはするさ」
 ローディスは人懐こい笑みを浮かべた。
「なあ、一つだけ聞きたいんだけどよ」
 出て行こうとするシリウスに向かって、ローディスが尋ねた。
「あんた、アリシアがどうなったか知ってるのかい?」
 ぴたり、とその足が止まる。
「知っている」
 そう答えた。
「だが、ゾーマ様にしろアリシアにしろ、もはやこの世には存在しているわけではない。今さらその話をしたところで、何も得るものはないだろう」
「そうだな」
「では、な。縁があればまた会おう」
 そうして、ふたりは別れた。
 お互いの敵と、戦うために。





 勇者たちは城の奥へとやってきた。
 そこにあった一つの旅の扉。
 明らかにそれは、誘いをかけているに違いなかった。
「怪しいね」
 クリスが言う。それはもう、これ以上ないくらいに怪しかった。
 城の最奥。そこにある旅の扉。もちろんこれが魔王へと通じる道に違いない。
 だがそこにあるのはきっと、罠。
『れっでぃ〜すえんどじぇんとぅるめんっ!』
 どこからか、あのひょうきんな声が聞こえてくる。
「どこだ!」
『慌てない慌てない。ここに俺っちがいないことくらい分かるだろ? 安心していいぜ、この旅の扉の向こうさ』
 四人の間に緊張が走る。
「罠か」
『ま、罠には違いないぜ。まあどんな罠かっていうのは教えられないけどな。けど、安心していいぜ。飛び込んだ瞬間に死んじまうようなそんな姑息な罠じゃねえよ。純粋に勝負してもらうための罠さ』
 純粋な勝負。
「あんたと戦う、ってことかい?」
『そういうこと。それに、これは俺っちの名誉にかけるぜ。その旅の扉に入る以外、魔王っちの所に行く方法はない。その扉に入って、俺っちを倒していかないかぎり、道は拓けない。つまり、お前さんたちはいずれにしてもそこに入る他はねえんだよ。それに時間もねえしな。魔王っちが人間に戻るラストチャンスだ。さ、どうする?』
「行くわ」
 答えたのはリザであった。
「私はウィルザに会うためだけにここまで来たの。罠だってかまわない。ウィルザに会えるなら」
「ま、仕方がないか」
 クリスはやれやれと頭をかいた。
「ここで黙ってるわけにもいかないしね」
「うん、オイラも行くよ」
 三人が頷きあう。だがただ一人、勇者だけが賛同しなかった。
「虎穴に入らずば虎子を得ず、ですか」
 レオンは険しい表情だった。
 あのローディスという騎士は嘘をつかない。それは、このごく短期間とはいえ何故か信じられるものであった。
 だがそのローディスが言った。これは、罠だ、と。魔王に通じる道であるのは間違いない。だが、何かの罠であることには違いないことなのだ。
(考えられるのは二つ)
 罠に飛び込ませるためか、さもなくばこれが罠だと逡巡させて時間を稼ぐことか、だ。
(おそらくは、両方)
 問題は、その罠の正体がつかめないということだ。
 おそらくあの騎士の資質からして、姑息な罠ということではないと思うが。
「なら、僕が先に行きます」
 意を決してレオンが言う。そう、ここはどのような罠なのか、自分がかいくぐって行かなければならない。
 この仲間たちをむざむざと殺させはしない。
「罠の正体を確かめてきます。少しだけ待っていてください」
 その罠の正体が分からなければどうしようもない。ここでひとまず三人に待っていてもらって、罠の正体を確かめてから戻ってくる。
 それが一番理想的だ。
 そう考えて、自らその旅の扉に入る。
「レオン!」
 その時。
 リザが、その服の裾を握った。
 彼女は何か、えも知れぬ不安に突然かられた。
 この旅の扉をくぐってしまっては、もう二度と会えないような。
 レオンと共に、その旅の扉をくぐる。
 そして後ろを振り返る。
 クリスとグランに向かって手を伸ばしたが、それは届かなかった。
 二人は、旅の扉の中へと消えた。





 そして現れたところは、ただの通路だった。
「ここは?」
 レオンが素早く剣に手を回し、周囲を確認する。リザは彼に背を合わせ、反対側を確認する。
 そこには、旅の扉がなかった。
「レオン! 扉が!」
 レオンも扉がなくなっていることを確認する。
「なるほど。こちらを孤立させるための罠か」
 最初から入ってしまっては意味がなかったのだ。それを考えれば、旅の扉に入る瞬間、リザだけでも一緒に来てくれたのは助かる。
 だが、置いてきたクリスとグランは、おそらく完全に孤立させられるだろう。
「どうする?」
 リザが尋ねる。だが答は決まっている。
「進むしかないよ。ローディスはこの先に魔王がいると言っていた。みんなを信じて、魔王のところで会おう」
 リザも頷く。結局、それしか道はない。
 二人は自然と、駆け足になって通路を進んだ。





 グランは旅の扉の先に誰もいないことと、そして旅の扉がなくなっていることを見て全てを理解した。
 ここが自分の死に場所であるということ。
 そして、目の前の敵は、ただ自分を待っていたのだということを。
「俺っちの相手はお前さんか。ま、狙ってた通りだけどな」
 獣騎士、ローディス。
「ここは?」
「地下の闘技場だ。ま、俺っちはこうした広々としたところじゃないとやる気にならないんでね。決着をつける場所としては、なかなかのモンだろ?」
 ただただ広い闘技場にはローディスの他には誰もいないようだった。
「みんなは?」
「もう分かってんだろ。他の騎士が相手してるさ。さ、そろそろ始めようぜ。戦いたくてうずうずしてるんだからよ」
 そういうローディスはいつものように素手だ。そしてグランも素手で拳を握る。
 あのマイラの村で、かすかに掴んだ手ごたえ。そう、自分は武闘家としての素質があるのだと気づいたのはあの戦いからだ。
 戦場ではそれからも積極的に素手で戦うように心がけた。少しでもローディスに一撃を加えた時の感触を掴みたかったからだ。
 だが、それはまだ完成には至っていない。
 自分の小柄な体では、完全に相手を叩きのめすことができるような力はない。だが、魔族相手には有効な攻撃方法がある。
 それは神の力だ。
 自分の僧侶としての属性を利用して、神の力を拳に込めて直接相手の体にダメージを与える。
 この間、無意識に自分が行ったのはおそらくそういうことなのだろう。そうでなければ鋼の体を持つローディスにダメージを与えられるはずがない。
「やる気になったみてえだな」
 ローディスが一歩踏み込んでくる。
 そこを目掛けて、グランは全ての力を拳に溜めて突進した。
 獣騎士の左腕がうなりをあげる。その拳に狙いを定めて、グランも右手を繰り出す。
 拳同士が衝突する。もちろん、弾き飛ばされたのはグランの方であった。
「ぐっ!」
 拳の骨が粉々に砕かれる。素早く回復魔法を唱えて治癒する。
 さすがに騎士だ。力は桁はずれだ。
 だが、当の本人は左手を見て首をかしげ、一度大きく腕を回した。
「俺っちの体が鈍ってるわけじゃなさそうだ。どうやらお前さん、予想をはるかに超えて強くなってるみてえだな。本当なら今の一撃でお前さんの体を粉々にするつもりだったんだが、拳程度かよ」
 どうやら、自分の破壊力の低さに戸惑っていたらしい。
(一撃で殺すつもりだったのか)
 あのマイラの村の時の自分ならそうだったかもしれない。だがあれからもシャドウやシリウス、フィードと対峙し、少しずつ自分の武闘家としてのスキルが上がってきたからこそ今の一撃を堪えることができたのだ。
(力はついてる)
 それはわずかだが、彼の心に自信を与えた。
「まあいいさ。力の差は明らかだからな」
 獰猛な笑みを浮かべたローディスはゆったりとした歩調で近づいてくる。
 何をしても無駄だといわんばかりに隙だらけだった。
 だが、何をしてもかなわないという迫力がそこにはある。
 負けられない。
 怯える心を切り捨て、グランは再び突進する。
 うなりを上げる右手を回避し、捕まえようとする左手からもかいくぐり、相手の後ろに回る。
 だが、的確にローディスの左足がグランを捕らえてきた。
「がはっ!」
 肺を強く打ち、床に転がる。今度は回復魔法を唱えるまでに少し時間がかかった。
「甘いぜ、坊や。俺っちの武器は全身なんだからよ」
 見た通り、まさに大人と子供の戦いだった。
(負けるか!)
 心の中で自分を叱咤して立ち上がる。
「そうこなくちゃ」
 ローディスは嬉しそうにして近づいてくる。
 もう、この騎士に勝つためには手段など選んではいられない。
 自分の身の安全まで考えていては、絶対に勝ち目などない。
 捨て身だ。
 自分の命を犠牲にしてでも、刺し違えてでもこの怪物を倒す。
「うあああああああっ!」
 叫んだ。
 そして、馳せた。
 今までよりもずっと早く、そして力強く。
「甘い──?」
 だが、その捨て身の攻撃はローディスが予期していたものをはるかに上回っていた。
 懐に入っても攻撃態勢に入らない。懐に入りながら拳を繰り出してくる。
 ヤバイ。
 咄嗟にローディスは防御に専念しようとした。だが、遅い。
 グランの右拳がローディスのみぞおちに入る。
 それは体内の臓器を破壊する神の力。
 鋼の肉体を通りぬけて、グランの拳はローディスの体内を破壊していた。
「ごはっ」
 内臓が破裂したのが分かる。この感触は、前にこの少年に一撃を受けたのと全く同じだ。
「てめえ、どこまで強くなりやがる」
 この成長力は脅威だ。勇者の成長力を凌ぐのではないだろうか。
「クラスチェンジしやがったのか。伝説の上級職、パラディンによ」
 パラディン。神の力を拳に込めて戦う神官騎士。古来、パラディンとなったものは指折り数えるほどしか存在しないということだったが。
「そんなことは知らない」
 グランは捨て身の攻撃が一撃を与えられたことに少しだけ安堵して答える。
「オイラは、何があってもウィルザを魔王にさせない。言って分からないなら、倒してでも止めてみせる。それだけだ」
「ふん、所詮は無理だっつってんのによ。まあ、いいさ」
 ローディスは丸太のような腕を振り回してグランを弾き飛ばす。
「一対一なら俺ら騎士は絶対に負けねえ。そう宣言した手前、本気でやらせてもらうぜ」
 もちろん今までのローディスが本気で戦っていたなどとは思わない。隙だらけの構えで本気を感じるはずがない。
 だが、獣騎士が言ったのはそういうことではなかったらしい。
「この姿になるのは、本当、あの村が滅びて以来だぜ……!」



 獣騎士の体が激しい熱を帯びる。
 そして、変身した。
 巨大な、獣。
 魔獣。
「さ、やろうぜ」
 その口から、いつもの緊張感のない声が聞こえた。






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