四十三.闇の中に溶ける












「それで、あたしの相手はアンタ、ってわけかい」
 礼拝堂にたどりついたクリスを待っていたのは、七騎士の総括たるシリウスであった。
 最後まで残ったフィードやローディス、ルティアらと比べても、おそらくこのシリウスが最強の騎士であるのは間違いない。その強さは最初から桁が一つ違う。
 ましてや、あのときの殺気。
 この騎士から発せられる気迫が、自分たち全員を金縛りにしたのは記憶に新しい。
「まさか、一人で騎士と戦って勝てると思っているわけではないでしょう」
 考えてみれば、クリスが最初に出会った騎士がこのシリウスであった。大灯台。メルキドの南で、彼女は付き合っていた恋人と、そしてたくさんの部下を失った。
 思えば、随分と長い戦いになったような気がする。
「なに、それはこっちの台詞だよ。アンタこそ、あたしを相手に勝つつもりが、まさかあるとは言わないだろうね」
 それは強がりというものだったのかもしれない。だが、それくらいの口がきける方が、相手にとっては好ましいようであった。
「この礼拝堂が、何をする場所か分かりますか?」
 シリウスはそう言って礼拝堂を見回す。
 もちろんだが、ルビス信仰に使うようなものは一切置かれていない。ただ一つ、禍々しい像が台座の上に載っている。この礼拝堂にあるのはそれだけであった。
「それは?」
「これは、ウィルザ様がシャドウに命じて持ってこさせた宝具。邪神の像」
「邪神──まさか、シドー、とかいう奴かい?」
 その名を呼んだとき、かすかに礼拝堂自体が震えたような気がした。
「あまりその名を呼ばないように。名前には力があります。あなたとて、破壊神の復活は好ましくないでしょう」
「でも、いったいどうしてここにそんなものがあるっていうんだい」
「さあ。あの方の考えていることは私には分かりません。ゾーマと違って、なんともつかみ所のない方ですから」
「答えな。アンタはその答を知っているんだろう?」
「ええ、知っています」
 ゆうゆうと騎士が答える。
「この像を未来永劫、封印するためです」
「封印?」
「ええ。破壊神の降臨に使う祭具なのですよ、これは。私も後から知った話ですが、ウィルザはこの城を浮上させ、この祭具ごと宇宙の彼方に葬るつもりだったようです。地上ではいつか誰かが手にすることになると考えていたのでしょう。なかなか奥の深い方です」
 さすがにそれを聞いてクリスの顔がこわばる。
「それなら、ウィルザが人間を殺す必要は──」
「あります。あくまでもこの祭具は降臨の手助けをする道具ですが、なくても別に降臨事態が不可能となるわけではありません。まあ、その辺りは私も魔王ではないからよく分かりませんが。それにあなたたちのおかげで、もうこの城が浮上することはないでしょう。全く、よくもここまで私たちを追い詰めてくれたものです」
 ふう、と息をつく。
「それに、私も本気で『死神』としての仕事をしなければならなくなりましたしね」
 仮面の奥から冷たい光がクリスに向かう。
「なんだいその『仕事』っていうのは」
「組織にとって、必要のないものを切り捨てるということです」
 やれやれ、と愚痴る。
「どういう意味だい?」
「あなたに関係するわけではありません。分かりやすく言うと、裏切り者が出た場合には抹殺する、というところでしょうか。もちろんそれとは別に、あなたのことは私が遠慮なく殺させていただきますが」
 シリウスは腰から『死の剣』を抜く。
「お互いに時間は貴重です。始めましょうか」
 仮面の奥の顔が笑ったように、クリスには感じられた。






 赤褐色の体毛に真紅の鬣。
 獅子を二回りも大きくしたようなその魔獣が、四本足でグランを睨みつけた。
『ローディスに気をつけることだ。私の竜は後天性のものだが、奴は……』
 フィードが亡くなる直前に言い残したことが頭をよぎる。そうだ、フィードが竜に変化するのならば、このローディスだって変化してもおかしくはない。
「気をつけろよ、坊や」
 ローディスは苦笑した。
「この格好だと、手加減できねえからよ」
 目の前の魔獣が消える。
 気配すら感じなかったが、それでもこの場所に留まることが危険だということは分かった。
 だから、回避しようとした。
 そう反応するより早く、魔獣の爪が背後からグランの左腕を切り飛ばしていた。
「があああああああああああああああああっ!」
 右手で左肩を押さえる。もうそこには左腕がない。五歩先を、びくん、と痙攣している。
「ありゃ、随分あっけねえな、こりゃ」
 こふ、と獣の口から息がもれる。苦笑したのかもしれない。
(怪物)
 よろめく体で自分の腕を拾いに行く。切断面に腕をあてて、急いで回復魔法を唱える。
 ベホマを三回使って、ようやく繋ぎ合わせることができた。だが、左腕はしびれてよく動かない。自然回復するまでにまだ時間がかかるだろう。
「準備はいいかい?」
 ローディスの体がまた消える。今度こそ回避しようとしたが、既に遅い。
 獣は、消えたときには攻撃を終了しているのだから。
「くうっ!」
 獣の牙がグランの左足に深く刺さっている。噛み付いたまま獣は遠くへ放り投げる。
 受け身も取れずにグランは床に転がる。左足を確認すると、そこには指が通るくらい、ぽっかりと大きな穴が開いて、血がだらだらと流れ出ていた。
「うぐっ」
 痛みよりも吐き気がこみ上げる。自分の体がこうもいいようにされるとは思わなかった。
 確かに、最強だ。この騎士に勝てるという気持ちすら抱いてこない。
「終わりか、坊や。なんだ、案外たいしたことねえな。せっかくこの先で魔王っちが完全バージョンで待ってるってのによ」
 その言葉を聞いて、再びグランの体に勇気が灯る。
「そうは、させない」
 痛みと恐怖で震える体を叱咤し、なんとか立ち上がる。
 がくがくと震えて、今にも膝をつきそうだった。
「そんな格好で、あんまり説得力ないねえ」
「うるさいっ」
 一歩足を踏み出すが、左足に力が入らずバランスを崩す。
 それを見た獣が、また、消えた。
「バギクロス!」
 瞬間、グランはバギクロスを自分の周囲に発生させる。
 左後方。そこで、真空の刃に自ら飛び込んできた獣を足止めする。
「やるな」
「死角から来るのは分かっていたさ!」
 バギクロスを連射する。今度は敵めがけて、全ての刃で斬り裂くつもりで放つ。
 だが、その程度の魔法で騎士が怯むはずもなかった。
 フーッ、と鼻息を荒くした獣はその真空の刃を全てその身に受けながらも、そのままグランに噛み付こうと大きな口を開いてきた。
「腕の一本くらい!」
 よく動かない左腕を全力で動かし、その口内に左腕をねじ込む。まさに、捨て身だ。
「くらえ!」
 左腕を噛み潰されながらも、右手でローディスに『破邪の一撃』を叩き込む。ごぼっ、と口内の左腕に魔獣の血液がかかる。
 だが、獣は必死になってその左腕を食いちぎった。先ほど切断された場所がまた悲鳴を上げる。
「くそおっ! くそおっ! くそおおおおっ!」
 その激痛を、叫ぶことで無理やり誤魔化し、もう一撃右手を、今度は敵の頭部に叩き込む。
 だが今度は魔獣の左前足の爪が、深く、グランのわき腹から食い込んでいった。
(まずい)
 唯一残っていた冷静な思考が、その一撃が危険であることを悟った。
 今のは、心臓から全身に血液を流し込む大動脈に傷をつけた。
 このままでは、死ぬ。
(早かったな)
 もちろん、諦めたりはしない。
 自分の命はあと数分は持つ。その間にこの騎士と心中する。
(ごめん、みんな。あとは任せた。ウィルザをよろしく)
 右手で、その左前足を握る。強く、強く握る。
 そして左前足を握りつぶした。これも、破邪の力、神の力の一端だろうか。
「があっ!」
 獣の口から激痛の声がもれる。
「倒す」
 ルビス神の加護を最後に願う。
 最後の力を振り絞っていることが分かったのか、ローディスは一端離れようとした。だが、左足がつぶされているのでうまく逃げられない。
「逃がさない」
 その巨大な獣にグランは組み付いた。
 もはや血と汗と涙でどろどろの体だったが、もうそんなこともどうでもいい。
 この一撃で、終わりだ。
 パラディン、最高の奥義。
「グランドクロス!」
 全ての神霊力を敵の体に注ぎ込む。
「まさか、この俺っちがやられる?」
 逃げることすらかなわず、巨大な力が自分の体内で暴発しようとするのがローディスにも分かった。
「やれやれ……こいつはつまんねえことになったなあ」
 この少年を追い詰めすぎてしまったらしい。まさか、ここまでのことをしてくるとは思わなかった。
 だが、これでいいのかもしれない。
 ミラーナがこの世界からいなくなって、彼女が遺したフィードも消えた。
 自分がこの世界にいる理由はもうどこにもなかったのだ。
(ま、いいか)
 魔王への義理も果たしたし、ある意味、穏やかな気持ちだった。
 死にたくないという気持ちはなかったし、後悔するようなこともどこにもなかった。
「坊やと心中ってのはよくなかったけどな。せめて、キレイな姉ちゃんの方がよかったんだが」
 そんなことを言っても仕方がないだろう。
 自分の体が爆発する最後の数秒。
 騎士は、かつて失った自分のマスターのことを思い浮かべていた。

 そうして、獣は粉々に砕けた。

 全ての神霊力を使い果たし、また体中の怪我で大量出血していたグランは、もはや生き延びる見込みはなかった。
 もちろん、自分を回復するための魔法力すらない。騎士を一体倒せるとはいえ、必ず戻るというミラーナとの約束が果たせないのは残念だった。
(いつまでも、ミラーナと一緒にいたかった)
 どうしてこんなにも惹かれたのかは分からない。
 だが、何度出会っても彼女のことを一番に愛することができる自信が自分にはある。
(もう一度会いたかったな)
 徐々に意識が薄れていく。
(ミラーナ……ウィルザ……みんな……)
 そうして。
 グランの意識は、闇に溶けた。






 レオンとリザはようやく、最後の間へとたどりついていた。
 大理石が床に敷き詰められた広い空間の最奥、神への生贄かと思わせるような作りの台座に、魔王ウィルザが横になっている。
 その前にいるのは、親衛隊の長、剣騎士ルティア。
 彼女はいつもの無表情で、入ってきた二人を見つめた。
「レオン」
 ルティアが悲しそうに呟く。こうなってしまってはもう、戦う他に道はない。
「ルティア。そこを退いてくれ。僕たちはウィルザに話がある」
「話。話というの、レオン。あなたは何を話すというの」
「この世界の未来についてだ。人間を滅ぼさなくても築ける、永遠の未来について」
 その返事を受け取ったルティアはいっそう悲しそうにうつむく。
「レオン。私が人間を憎んでいるというのは、知ってる?」
 勇者は答えない。だが、驚いている様子がないということは、以前に話を聞いていたか気づいていたかしているのだろう。
「人間は私たち魔族を魔界へと追いやった。私はそれを許すつもりはないの」
「ルティア」
「でも」
 病的なまでに白い肌の彼女は、さらに青ざめたようにレオンの隣に立つ女性を見る。
(リザさん)
 何度も、魔王の夢に出てきている女性。
 誰よりも一番大切だと言ってはばかることのない相手。
(許せないのは人間じゃない)
 許せないのは彼女だ。
 魔王のことが好きで、魔王だけを追い求めているというのに、この方は決して私のことを見てはくださらない。
(疲れた)
 そう、素直に思う。
 この感情はどうすればいいのだろう。恋と嫉妬と、自分でも整理のつかない思いの束。
「ねえ、レオン。あなたには分からないと思う。魔族にとって一番の欲望は、自分よりも強い相手に仕えること。でも私にはその機会が与えられなかった。ゾーマは私を敬遠したし、サラマンダー陛下は……」
 彼女は首を振った。そんなことはここで口にしても仕方のないことだと割り切ったようだった。
「この方に出会って、ようやく私は帰るべき場所を手に入れたのよ。それをあなたは、奪うというの」
「僕が、君にとって帰る場所になるよ」
 勇者は強く断言した。
「話し合いで解決できるならそれにこしたことはない。でももし、魔王ウィルザと戦うことになって、僕がウィルザを殺したら、今度は僕が魔王になるんだ。僕は決して人間とは戦わない。だから、魔界で僕と一緒に暮らしてくれないか、ルティア」
 レオンはこれ以上ないほどに、誠実に彼女を求めた。
 ルティアはじっと勇者を見ている。
(……私は、この方の傍で)
 今の自分には被支配欲だけではなく、恋愛感情もきちんとあることは自覚している。
 レオンの提案は魅力的だ。だが、自分がそれを受けることはできないように思えた。
 その時であった。
「あ……」
 リザの目が大きく見開かれる。
 その視線の先は、ルティアの背後だった。
 ゆっくりと、その体が起き上がる。
 禍々しい邪悪な波動とともに。
「へい、か」
 彼女は小さく呟く。
「起き上がってみれば……随分と苦しそうな戦況だな」
 魔王ウィルザが、目覚めた。






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