外伝八.魔王に捧げる剣












 魔王サラマンダーは、先代の魔王ロトを倒して成り上がった下克上の魔王である。生粋の魔族が魔王となる例は決して多くないが、先例がないわけではない。
 そもそも勇者として生きておらず、未来のことも知らない魔王では、破壊神に対する考えなど持ちようもない。従って、サラマンダーは魔王として、人間界への侵攻を始めた。
 それまで穏健派であったロトは、決して人間界へ攻め込むということはしなかった。破壊神のことも、全ては人間任せということで二度と人間界と関わろうとしなかったのだ。こうした態度は魔界に住む魔族たちの不評をかった。逆に言うならば、サラマンダーへの期待というものは非常に高まっていた。
 人間界を支配する。そうした欲望は魔族の中では強い。かつて人間界から追われ、日のあたらない魔界へと追いやられた魔族たちにとって、人間を倒すというのは悲願に近い。
 サラマンダーが魔王となって十六年、人間界への侵攻を始めて十六年という歳月が流れた。
 そして、この年十六歳となる勇者ゾーマはそのサラマンダーを倒すために、わざわざ世界を超えて魔界までやってきたのだった。
 ゾーマが魔界へと渡る手助けをしたのは、魔族の中でも劣等種族にあたるバラモス族の指導者。この一族は各々個体名はつけられているものの、指導者については一族の名であるバラモスと呼ばれる。
 そしてゾーマはこの魔界の森で、新たな出会いを持つことになる。
 それは、魔族の姉弟であった。






「──どうして、人間がこんなところに?」



 姉は驚きを隠せないでいる。だが、勇者の方も同じく驚いていた。
「それはこちらの台詞だな。何故魔族がこの森にいる? ここは魔族食らいが徘徊する場。普通の魔族ならば、ここで長く生きることはできまい」
 しかも、その人間はあまりに状況を理解しすぎていた。自ら望んでこの森に入ってきたことが分かる。いや、自ら望んでこの魔界にやってきたことが分かる。
「ゾーマ様。こやつらは『剣の一族』に連なる者たちですな」
 バラモスが口を挟んでくる。この中で唯一、人間体ではないモンスターの格好をしている男は、凛々しいゾーマの傍ではひどく醜悪に見えた。
「剣の一族?」
「はい。魔族の中でも剣を扱わせては天下一品、その一族には剣を使う遺伝子が組み込まれているとされています。魔族個体で考えれば、おそらくはあらゆる魔族の中でも最強の部類に入るでしょう。ただいかんせん、個体数が少ないことが一族としての欠点で、先のロト・サラマンダー戦でも先王ロトについたために、一族全て皆殺しにされたと聞き及んでおります」
 姉の視線が険しくなる。弟は逆に驚いているようだった。
「そうなの、ルティア」
「ルシェル。あなたの生まれたばかりの頃の話よ。私にしても物心ついたばかりの頃。詳しいことは知らないわ」
「そんな、それじゃあ──」
 姉には弟が何を言いたいのか分かった。
 彼女の目的は、最強の存在である魔王に支配されること。
 だが、その魔王はふたりにとって仇とも呼べる存在だということ。
 そのようなことを、この姉が知らなかったはずはない。
「黙っていなさい、ルシェル。私は、私が強くなることにしか興味はない」
 その表情は剣の一族に相応しい、鋭利な切っ先。視線だけで相手を切り刻むことができるのではないか、というほど鋭いものであった。
「あなたは、魔王を倒すつもり?」
「そのために魔界まで来た。お前の望みは?」
「私は魔王に仕え、さらに強くなることが望み。だから、サラマンダー陛下のところまで行くつもり」
「なるほど、敵というわけか。ならば──」
 ふっ、とゾーマは笑う。
 戦う。それしか選択肢はない。
 姉はそう考え、剣に手を置いた。
「──共に、行かないか?」
 再び、彼女の顔が驚愕に満ちた。
「な、どういうことですか、ゾーマ様」
 ゾーマに忠誠を誓っているらしいバラモスも驚いて尋ねる。
「目的地が同じならば、行動を共にしてもかまわないだろう、ということだ。それに私は将来の魔王だ。魔族の娘、サラマンダーではなく、私に支配されるつもりはないか?」
 姉は逡巡した。おそろしく頭が働く彼女であっても、この誘いの裏に何があるのか読みきることができなかったのだ。
 だが、目の前の人間は強く、今の自分ではおそらくかなわないということも分かる。
 ならば、利用した方がいい。
「いいでしょう。この森から抜けられる道を知っているというのなら」
 そうして、信頼のない同盟が結ばれることとなった。






 勇者ゾーマは、二体の魔族と一体のモンスターを率いて魔王の城へと乗り込む。そこまでにかかった月日は、半年という時間であった。
 その間に、姉はひたすらこの勇者の性質をつぶさに見ていた。
 勇者は将来、魔王となる。
 そして、この勇者は人間という弱き存在でありながら、他の魔族たちよりもはるかに強かった。そう、彼女自身よりも強かった。
 誰にも支配されていない彼女は、誰かに支配されることによってさらなる力を得る。そうすれば、この勇者を抜くことができるだろうか、と考えた。
 だが、もしも魔王サラマンダーよりこの勇者の方が強いのだとしたら。
 自分は、どちらに付くべきなのだろう。
「ルティア」
 決戦前、彼の優しい言葉が耳朶をつく。
「覚悟は決まったのか?」
「はい」
 彼女は素直に答えた。
「魔王様にお会いします。会って、その力を見てから決めようと思います」
「そうか。ならば、戦うことになるかもしれないな」
「はい」
「ならば、最後に」
「はい」
 彼女の体がベッドに押し倒される。
 この半年。
 ふたりはお互い、信頼のない同盟相手であり、同時に一時の恋人同士であった。
 勇者は執着しない。おそらく、たとえ敵同士になったとしても、サラマンダーさえ倒してしまえば、彼女を自分の味方にできると考えているのだろう。
 だが、自分は。
(もっと強くなりたい。支配されたい)
 強さに惹かれる。誰よりも強くなりたい、と。
(だから、ごめんなさい)
 魔王以上に強い存在などない。
 子供の頃にあこがれた、魔王ロト。
 それを打ち破った魔王サラマンダーは、自分の中では既に神々をも越える力の持ち主として君臨していたのだ。






 そして、魔王と出会う時が来る。
 かつて剣の一族を滅ぼした魔王と、自らの一族を滅ぼされた娘。
 勇者に先行して進んだ彼女は、誰よりも早く魔王の間へとやってきていた。
「あなたが、魔王サラマンダー」
 そうだ、と威厳のある声がした。
 人間体である魔王が本気を出すとき、その姿は九本の首を持つキングヒドラへと変貌する。それがこの魔王の本性。
 だが。
 見た瞬間に分かった。
(ああ)
 この、魔王は。

 ──なんと、弱いのだろう。

「結論は出たのか、ルティア」
 やがて、遅れてきた勇者が彼女に声をかける。
「──はい」
「ならば、私に力を貸してくれ。あの魔王を倒し、魔界に新たな秩序を築くために」
「──はい」
 迷いは、なかった。
 ふたりの息の合った攻撃は魔王を圧倒した。キングヒドラとなっても苦しむことはなかった。完全に打ちのめし、逆に勇者は魔王サラマンダーを屈服させた。相手を殺すことすらせず、自らの配下になるように命令した。
 こうして、魔王ゾーマは誕生した。
 その配下には協力したバラモス族の王バラモスと、その腹心であるバラモスブロス、そして先代のサラマンダーを三魔将として仕えさせた。






 だが、その魔将の中に、ルティアとルシェルの名はなかった。






「何故、支配してくださらないのですか?」
 彼女は組み伏せられた相手に尋ねる。
 この勇者のことを愛しているとは思っていない。だが、嫌っているわけでもなかった。
 そして、この魔王の元でなら、自分の力をさらに高めることができると思っていた。自分が剣を捧げる相手だと思っていた。
 それなのに。
「お前とは」
 元勇者の魔王は切ない表情で言った。
「主君と部下ではなく、恋人同士でありたいと思ったからだ」
 それは、彼の精一杯のプロポーズだったのだろう。
 だが、彼女はたとえ相手が恋人であったとしても、魔王としての存在以上に彼を思ったことはなかった。彼女が彼と共にいるのは、彼が魔王となる存在であり、魔王となったからである。
 魔王でないのなら、自分を支配してくれないのなら。
 彼に、用はない。
「私は、あなたを男性としてみることはできません。私にはそのような感情はありませんから。私が望むのは、あなたに支配されることだけです」
 きっぱりとそう答えた。それを聞いて、魔王は残念そうに微笑む。
「そうか。なら、もうこの城にいる必要はない。ここから出ていくがいい。バラモスブロスにお前のことを頼んである。あいつも今では私の力を受けて魔王級の力を持っている。お前の眼鏡にもかなうだろう」
「分かりました。今までいろいろと、ありがとうございました」
 そうして、ふたりは別れた。
 その後、一度もふたりが顔をあわせる機会はなかった。






 だから、魔王の本質を見極めなければいけない。
 ムーンブルクに迫る魔王軍を見て、彼女は決意を固める。
 ルシェルは、愛しい弟は魔王の支配を受け入れたらしい。いいことだと思う。より強くなるために、最高の相手に支配されるのだから。
 だが、もう自分は自分より弱い相手に焦がれたくない。
 誰よりも強く、誰よりも気高い相手にのみ支配されたい。
 そして──
(あのとき、私はゾーマの求婚を断った)
 もし自分がそれを受け入れていれば、今ごろはどうなっていただろうか。
 もし、魔王という存在ではなく、ひとりの男性として見られるのならば。
(……私に感情があるのかどうか、それを見極めたい)






 そして、邂逅の時がくる。






「お前が、ルティアか」
 重く響く声。
 かつてのロトより、サラマンダーより、ゾーマより強く、気高いその姿!
 あなただ。
 彼女の心は、歓喜で打ち震えた。
 私が一生ついていくのは、あなたの傍なのだ──






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