四十五.幕を下ろす












「もっとも、その名はとうに捨てましたが」
 シリウスは端整な顔立ちをクリスに向ける。
 自分よりもはるかに強いと思っていた相手が、全身鎧を来た重装騎士が。
 女性。それも、その顔立ちから想像するに、明らかに自分よりも華奢だ。背は同じほどだろうが、おそらく腕回りなどは自分の方が大きいに違いない。
「ゾーマの家族か。つまり、あたしたちを恨んでるってことだね」
「恨む?」
 ふ、と彼女は笑う。
「それではまるで、私が間違っているようではありませんか。私は恨んでもいますし、憎んでもいます。ですが、もしあなたが自分を正しいと思っているのなら、早急に考えなおした方がいい」
「なに?」
「ゾーマが何をしましたか?」
 それは、今までに考えたこともない質問だった。
「何を」
「ゾーマがアレフガルドを夜に閉ざした理由など、もう知っているのでしょう。世界を守るため。そのためにアレフガルドの大地には太陽の光は届かなくなりました。ですが、それによって誰が死にましたか? 逆にゾーマを倒すことであなたがたは世界を危機に陥れた。罪を言うのであれば、あなたがた人間こそが罪の塊でしょう」
 それはクリスがあえて考えなかったことだ。
 ゾーマの理想は分かる。だが、それでも光を奪うのはやりすぎではないのか。
 世界を守るために何をしてもいいというのなら、ゾーマもウィルザも当たり前に許される。だが、そのために今ここで暮らしている人たちの生活を脅かしてもいいのか。
「魔王ウィルザは、そのような人間をこそ滅ぼそうとしているのです」
「ふざけるな! そんなのはあんた方の理屈だろ! あんたたちだって人間を襲っているじゃないか!」
「お互い様です。それに、ゾーマがそのような魔族を野放しにすると思っているのですか? 魔族に抵抗した街や村は滅びしました。ですが、それは正々堂々とした戦いです。それ以外での略奪、暴行についてゾーマは一切を禁止しました。禁を犯した魔族はゾーマによって消されました。人間はそれがしっかりとできているのですか? 魔族と見れば狩り、敵と見れば倒す。それが人間でしょう。ゾーマは決して人間を滅ぼそうとはしませんでした」
「魔族みたいに、人間が酷いことをするわけがないだろ!」
 シリウスの顔から微笑みが消える。
 そして、恐ろしいまでの殺気が彼女に満ちた。
(なっ)
 そしてまた、恐怖で体が震える。
「……何も知らない、というのは罪であるということも分からないようですね。いえ、知ろうとする努力もなしに、自分の憶測を押し付ける。人間とは──」
「何を」
「私は、人間に蹂躙されました」
 その告白に、クリスが凍りつく。
「何人もの男たちに犯されました。あの頃の私には、何の力もなかった。この体は、人間の欲望によって穢されたのです」
「そんな」
「あなたがゾーマを倒した後に、あの城でたくさんの魔族女性が同じ目にあいました」
「馬鹿な。ラルス王はあのとき軍なんて派遣してない!」
「ですが現実に人間たちはいた。今まで自分たちが守られているとも知らずに、ゾーマとその部下たちを皆殺しにするために。そして、略奪し、暴行し、自分たちの憂さを晴らすためだけに。私はそのために犠牲となったのです」
 先程から受けていた怖れの正体が見えたような気がした。
 彼女は、絶対の真実を持っている。
 その真実を知らされた時、自分は彼女の『正義』を認めなければならない。彼女は絶対の『正義』の下で活動している。
 そんな気持ちが、彼女と対面していて少しずつ伝わってきていたからだ。
「くっ」
 ただでさえ、自分の戦闘意欲は奪われてしまっている。こんな気持ちのまま戦っても勝てるはずがない。相手は自分よりはるかに強く、それでいて自分とは違い気持ちに全く揺らぎがない。
「私は人間を許さない。確かに、私は復讐のために動いています。穢された恨み、ゾーマを奪われた恨み。そんなことはこの地上にどれほど多くあるかなど、私には分かりません。ですが、私にとってそれは、人間を滅ぼすに値するということです」
 だが、勇気を振り絞らなければならない。かなわないことが分かっていても、自分よりも相手の方が正しいのだとしても、それでも自分は人間のために戦うことを決めたのだから。
 自分の弱さは、捨てる。
 そして、戦うための鬼になる。
「恨みなら、あたしにもある。あんたたちは私から恋人を奪い、仲間を奪った。あんたにしてみればそれは正当な復讐なのかもしれないけれど、私だってあんたたちを許すつもりはないよ」
 言葉にして自分に言い聞かせる。
 迷いを捨てる。
 そして、戦いに集中する。
「いいでしょう」
 シリウスもまた、剣を構えた。
「魔王軍最強の力、心ゆくまでご覧ください。もっとも」
 死神の姿が消える。
(後ろだ!)
 前に飛ぶ。彼女が立っていた場所を、死神の持つ剣が通り過ぎていく。
「力の差は歴然ですが」
 次の瞬間、まだ体勢を整えていない彼女の『目の前』に死神がいた。そして、足で蹴り上げてくる。
「がはっ!」
 五メートル後方に飛ばされる。すぐに立ち上がろうとするが、既に目の前には死神が間を詰めている。
 咄嗟に剣を出して、振り下ろされる剣を受け止めた。だが、その体勢のまま死神が彼女の胸をけり倒し、踏みつけてくる。
「あああああっ!」
 死神の右足が、彼女の左の乳房を強く踏みつける。そして死神の剣先が彼女の喉に狙いを定めた。
「もう終わりですか? それでも剣技において魔王陛下と同格の力を持つと言わせたほどの戦士ですか。せめて、私の復讐心を少しくらい醒ませてくれてもいいのではないですか?」
 嬲っている。死神は簡単に自分を殺すつもりはないらしい。それは死神の油断だ。油断している相手になら、つけこむ隙はいくらでもある。
 死神は今自分を殺すべきだった。必ずそう思わせてみせる。
「戦いは、必ずしも強い者が勝つというわけじゃない」
 彼女の口からその言葉が放たれるのと同時に、覇者の剣をかざして強烈な『光』を生む。
「くっ?」
 足が緩んだところを、体を回転させて逃れ、立ち上がる。
 今のは覇者の剣の特殊効果で、光の剣を生み出したわけではない。本来覇者の剣にはベギラマと同様の効果が眠っているが、そのダメージ分を全て光量につぎ込み、強烈なフラッシュに変化させたのだ。
「悪いけど、この戦いで必ずあんたを倒すよ」
 覚悟は決まった。必ず死神を倒す。
 そして、魔王に文句を言うのだ。
「あたしはウィルザに言ってやらなきゃならないことがあるんだ。あんたの戯言に付き合っている暇はないんだよ」
「それは無理です。あなたでは私に勝てない。それに、私も魔王陛下のところへ戻らなければならない。裏切り者のあの娘を殺さなければならないから」
 その言葉に一瞬意識を奪われるが、彼女は無視した。
 それは向こうの都合だ。自分は自分の都合で相手を倒す。
(こんなことを許すわけにはいかないよ)
 人間を滅ぼすとか、アレフガルドを夜に閉ざすとか。
 どうして魔王になるものは、こうも諦めが早いのだろう。
 破壊神が降臨するなら、その破壊神を倒してやろうとは思わないのか。
「かなわないなら、最後まであがくだけさ」
 彼女は攻勢に転じた。
 守勢のままではかなわない。こちらから打って出る。そうしなければこの最強の騎士にはかなわないだろう。
 素早く剣を一度、二度と振るが、死神は全く意に介さずという感じで体を開いてかわしていく。
 鋭い突きも、横に飛んで回避される。
 すぐに逆撃が来るが、それこそ彼女の狙い通りだった。
 死神の持つ『死の剣』は自分の盾では防ぎ切れない。だとしたら、もう一度頼るしかない。
 ルビスの鎧に。
『死の剣』が彼女の心臓を狙ってくるが、幸い『ルビスの鎧』は発動した。緑色の燐光が『死の剣』を弾く。
 その隙をついて、彼女の剣がはじめて死神に届いた。
 死神の鎧を裂き、腹部に裂傷を与える。
「──なるほど。あなたが力のある戦士だということは認めましょう」
 死神は間合いを取り、一度剣をおろした。
「ですが、その鎧に頼っているようでは、私の相手にはなりません」
 そうすると、死神は自分のまとっている鎧を次々に脱ぎ始めた。
 鎧の中から出てきた体は、思っていたとおり、華奢なものであった。胸などほとんどない。痩せこけている、という表現が正しいかもしれない。
「これが、死神の正体です。あまり驚かれてはいないようですね。ゾーマが倒れてからというもの、私はもう食事というものをしなくなりましたから、こんなに痩せこけてしまっていますが、少し前は結構女らしい体をしていたのですけれどね」
「食事をしない?」
「ゾーマを失ったショックで、何も喉を通らないのですよ。今でも。私に定期的に栄養を送ってくれていたシャドウも死にました。もう私の命はそれほど長くありません。その前に人間だけは必ず滅ぼしますが」
 まさに、死神というところか。
 それでもなお、最強の力を誇っている辺り、人間への憎しみの強さというものが分かる。
「まずは、その邪魔な鎧を外しましょう」
 痩せこけた死神はそう言うなり姿を消した。
「なっ」
 スピードが、先程とは桁違いに早い。彼女の目では追いきれないほどに。
「私の鎧は、何も身を守るためにつけているのではありません」
 彼女の後ろから、死神の声がした。
「あの鎧は、私の行動を遅くするためのハンディキャップです」
 クリスが何か行動を起こすより早く、シリウスは鎧の留め金を外していく。
 外れてしまった留め金を元に戻す暇はない。そんなことをしていてはシリウスのされるがままだ。
 だからといって、鎧がきちんと止まっていない状態で戦うのは自殺行為だ。
「脱ぐ時間をあげましょう」
 離れた死神がそう言った。
「そうでないのなら、もう決着をつけましょう」
 ふう、とクリスはため息をついた。
 死神は本気だ。もし自分が留め金を直そうとするのなら、瞬時に自分の顔を『死の剣』が貫くだろう。
 だからといって、この鎧を外して勝ち目はあるのか。
 答は、ゼロだ。
(仕方がないね)
 だからといって、このままで勝つ見込みがあるのかといえば、それもない。
 だとすればあとは、起死回生の逆転技に頼るだけだ。
「分かった。少し時間をもらうよ」
 彼女はそう言って、鎧を外した。
 丁寧に、すねあても全てはずし、鎧の下に着るレザーウェアのみとなる。
「待たせたね」
「いいえ。これであなたを殺せるのかと思うと、たいした時間ではありません。覚悟はよろしいですか」
 もちろん、こちらの都合など考えてくれる相手ではない。
 彼女は覇者の剣を構えた。
 その覇者の剣から光の剣を発動する準備を整える。
 勝負は、一撃。倒せるか、倒せないかは、おそらく五分。
 そして、死神の姿が消えた──
「光よ!」
 覇者の剣から、強烈な燐光が発せられる。そして、彼女は剣を高く振り上げた。
 直後。
「無駄です」
 背後からの声と同時に、体を貫く『死の剣』の感触。
「あなたには、私は倒せません」
「倒せるさ。あたしの命を餌にすればね!」
 その、振りかぶった剣を、クリスは自分の胸に突き刺す。
「届け!」
 光が伸び、クリスの胸を貫いたまま。
「馬鹿な」
 光が、死神の心臓を捕らえていた。
「自分の体ごと、私の体を貫くとは……」
 ごふっ、と死神が赤い血を吐いた。
「急所を貫いたみたいだね。これで、相打ち、さ」
 と、クリスもまた血を吐く。
 彼女の背には『死の剣』、彼女の胸には『光の剣』。
 二本の剣が、彼女の命を絶つべく、体に突き刺さったままとなっていた。
「まさか、この私が倒れるとは思いませんでした。やはり、人間をあなどることはできないようですね。一つだけ、教えていただけますか」
「なんだい?」
「あなたは魔王ウィルザに会いたいのではなかったのですか?」
「ああ、そうだったね。でも、もういいさ」
 彼女は笑った。
「後は、リザに任せた」
「リザに……なるほど」
 ふっ、と死神が笑った。
「それが人間の強さですか。自分が倒れても、仲間が後を継いでくれると。信じるものの強さ……しばらく忘れていました」
 力を失った死神が、ゆっくりと倒れた。だが、それでもまだクリスは倒れなかった。
「あんた、そんなにゾーマのことが好きだったのかい?」
 最後に、そう尋ねた。
「ええ。私に全てのものを与えてくれたのは、あの方だけだもの。ああ、ゾーマ……」





 ようやく、会えるね。





 そうして、七騎士の筆頭は命を落とした。
「やれやれ。後味の悪い戦いだったね」
 クリスはそう言うと、ぐらり、と体が揺れるのを感じた。
「ここまでか……ま、悔いはない、かな。あとは任せたよ、みんな」
 倒れて、そして自分の体が冷たくなっていくのを感じた。
「絶対に、ウィルザを……」

 私にとって、弟のような存在。
 彼を、どうか助けて。

 そうして、彼女は意識を閉ざした。






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