四十六.破壊する
レオンとルティアが同時に攻撃をするのは久しぶりのことだったが、それでもふたりの攻撃は完全に連携が取れていた。並の相手ならば完全に圧倒できていただろう。
だが、今回の相手はただものではない。かつてこの地上に存在することがなかったもの、魔族としての力を完全に手に入れた魔王ウィルザ。彼が相手となると、このふたりでも分が悪いように見えた。
以前、ルティアは魔王と剣を交えたことがある。だが、その時はルティアの方が優勢だった。少なくとも剣という攻撃手段においては自分の方がはるかに技量が上だったのだ。
だが今はどうだろう。魔王に攻撃をしかけているのは自分だけではない。それなのに魔王は一歩も退くことなく、ふたりの攻撃を受け流し、まるで怯む様子を見せない。
魔王の強さに、ほんの少しだけ畏怖を覚えた瞬間であった。
魔王の剣が、鋭く閃く。
咄嗟に体を開いて回避し、間合いを取る。
危なかった。
今のは油断というものではない。魔王から注意を離したわけではない。それなのに、かすかに別のことを考えただけで、逆撃が来た。
もちろん、自分の動揺を見逃すような魔王ではない。明らかに分かっていて攻撃をしかけてきたのだろう。
「ルティア」
レオンが心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫」
彼女は毅然と言い、その剣を構える。
「何が大丈夫なものか。今の攻防で能力の差がはっきりしたことが分かっただろうに」
魔王は悠然と立って冷たく言い放つ。確かに魔王の言うとおり、目覚める前と後とでは魔王の力は全く異なっていた。今までは剣でならいくらでも魔王を凌駕できる自信があったのに、今のたった一撃だけで魔王の力が自分には届かないはるか遠くへ行ってしまったのだということが分かった。
「たとえそうだとしても、私はあなたを倒します。私自身のために」
ルティアは攻撃をしかける。魔王もいつまでも受けに回っているというつもりもないだろう。一層慎重に魔王の攻撃に注意を傾けながら全力で剣を薙ぐ。
同時に勇者が動いた。レオンが大きく回りこみ、時間差をつけて魔王の右側から攻撃に入る。
「甘いな」
魔王は左手から迫る剣を左手で受け止める。そして勇者の剣を魔王の剣で受け流し、足で蹴りつける。
「ぐっ」
「レオン!」
ルティアが叫ぶが、彼女もまた動けなかった。魔王がその剣先をしっかりと握り締めていたからだ。
「成長がないな。この間の戦いでもこうしてお前の攻撃を防いだのを忘れたのか」
そう。魔王の本質は戦士でも魔法使いでも僧侶でもない。あくまでも自分の肉体で攻撃する武闘家なのだ。
「硬気孔。この力をまだ理解していないようだな」
あらゆる武器を受け止めることができる最強の盾。それは魔王の身体そのものなのだ。
「陛下」
「今さら、命乞いをするお前とは思わないが」
そのまま魔王は力任せに剣を引く。その力に負けたルティアの身体が魔王へと引き寄せられる。
彼女の身体は、魔王の腕の中に収まっていた。
「何故俺を裏切った。確かに俺はまだお前のことを愛することができていない。だが、それでも俺たちには無限の時間があったはずだ。未来永劫、俺はお前と共にいるつもりだったのに」
「そして私は未来永劫苦しむのですか、陛下」
無表情な彼女にしては珍しく泣きそうな表情で訴えかける。
「陛下の傍にいることは私にとって至福であると同時に、苦痛なのです。陛下の目は私を見ていない」
「時が過ぎれば、それも──」
「変わりません。何故なら、陛下の想いは永遠ですから」
泣きながら彼女は笑った。そして、言葉にならぬ想いが伝わってきた。
そのようなあなたであっても、私は愛しているのです、と。
「だから、私はあなたを倒します。あなたの心が得られないのなら、せめてあなたの身体だけでも手に入れるために」
「ルティア──」
「魔王っ!」
そこへ、先ほど弾き飛ばされていたレオンが再び突進した。魔王は咄嗟に彼女を突き飛ばすと、魔王の剣でその剣を受けた。
「勇者レオン。嫉妬は見苦しいぞ」
「黙れっ!」
レオンは渾身の力を込めて剣を振り下ろす。それを魔王は左手で受け止めようとした。
「切り裂け、サタンキラー!」
そのとき、勇者が持っていた剣はいつもとは異なっていた。
それは、魔王と戦う時まで決して使ってはならないとされた、魔王殺しの剣『サタンキラー』。
鋭く振り下ろされた剣は、魔王の硬気孔を貫き、魔王の左手に裂傷を与えた。
「なっ」
「死ね、魔王っ!」
そのまま胴に切り込む。だが、ここで初めて魔王は飛び退った。そして切り裂かれた左手を見る。呪いでもかかっているのか、その傷は一向に治る気配を見せなかった。どうやら自然治癒を待つしかないようであった。
「驚いたな。この俺が手傷を負うとは」
魔王は自分の傷口から流れ出てくる血を舐めた。鉄分の味が口の中に広がる。
「魔王殺しの剣か。ルビスも余計なものを用意してくれる」
魔王は呟きながら苦笑をもらした。かつての自分には必要なかったもの。不完全なゾーマを倒すためには必要なかったものだ。それが、完全な魔王である自分に対しては必要な武器としてレオンに与えられている。
「だが、それが切り札だとしたら出すのが早すぎたな。俺は全くその存在に気付いていなかった。それを隠したまま、最後の一撃まで取っておくべきだった。俺を殺すことができる力がその剣にあるとしても、当たらない攻撃に意味はない。俺がかつてゾーマと戦った時は、最後の最後まで切り札は見せなかった」
まだ未熟だ、と言外にそう示している。
「黙れ。たとえこの命を犠牲にしてでもお前だけは倒してみせる」
「ほう」
それを聞いて、魔王は楽しそうに唇をほころばせた。
「当の『お前』がそれを言うのか。『勇者』レオンよ」
さっ、とレオンの表情が変化する。
「言うな、魔王。たとえどんな運命であっても、僕はただ魔王を倒す。それを選んだにすぎない」
「だが、人間を助けることにどのような意味がある? お前が命をかけるほど、人間に価値はあるのか?」
「僕はただ、僕の知っている人たちを助けたいだけだ。人間全てを助けるなんて大それたことは考えていない」
「真理だが。だが、同時に逆説的でもある。人間が生きている限り、滅びは免れん。人間がどれほど愚かで、醜い存在か。お前は見たはずだ。その『ルビスの守り』を手にした時に」
勇者の動きが固まる。
「人間は自らのためだけに同胞を傷つけ、力のない魔族を犯し、略奪し、殺害し、あまつさえ──」
「言うな、魔王っ!」
レオンの叫びは、無常にも届かなかった。
「破壊神などという存在を自らの手で『造り上げた』人間たちに何の価値がある?」
その言葉は真実を知らないふたりの女性──リザとルティアに衝撃を与えていた。
「に、人間が、造った……?」
リザの声はかすれていた。その言葉の意味が分からない彼女ではない。つまり、破壊神とは最初からこの世界に存在していた自然神ではないということだ。
「そうだ。人間が同じ人間の国を攻め込む時に、敵国を完全に滅ぼすために創り上げた不死の人造生命体。それが破壊神シドーの正体だ。その力は敵兵のみならず、城も国も、自らの国を含めた大地すらも完全に消滅させ、海底に沈んだ。シドーの降臨を行った神殿もろともな」
シドーは人間による創作物。ルビスのような自然神とは違う、ただ破壊を行うことを目的に作られた機械のような存在。
「完成したシドーはまさに『最初の魔王』となった。もちろん、知性など欠片もない、ただ形あるもの全てを破壊するだけの存在だ。もっとも、神としての力など当時のシドーにはないに等しい。ただの人間が造った不老不死の生命体にすぎないからな。もっとも完全に神へと昇華した現状のシドーが降臨すれば、奴はこの星の全てを破壊するまで止まることはないだろう」
そのあまりの強大な力について聞かされ、ルティアまでが恐怖で身体を震わせた。
だが、リザの明晰な頭脳は恐怖で麻痺するというようなことはなかった。恐怖は覚えたが、同時に今の魔王の言い方に別の真実を見出していた。
最初の魔王。ウィルザはシドーをしてそう呼称したのだ。
「ま、まさか、魔王が人工物だというのなら……」
その魔王を倒す力は。
「そうだ。リザが考えている通り、この世界に存在する『勇者』もまた、人間が破壊神=魔王を倒すために、その破壊神の力を模造して完成させた『システム』だ」
「破壊神の力を模造?」
次々と明かされる真実に、リザは必死にパニックにならないように自分を落ち着ける。
「そう。破壊神を倒すために人間たちは初めて団結することが可能となった。その人間たちが考えたことは、毒をもって毒を制す、破壊神の力に対抗するためには破壊神の力しかない、ということだった。そして破壊神の力の一部を抽出し、人間に埋め込むこととなった。それが『最初の勇者デイン』だ」
最初の勇者、デイン。
「彼の持つ力──もう言うまでもないだろう。ライデインやギガデインのような魔法は、もともと魔王ことシドーが使う破壊の力を源流としている。だから、そのデインの魔法を使えば使うほど、その体内に破壊の力が満ちていく。蓄積される力には限界がある。もしもその限界を超えたとき、一つの人間という器に入っていた破壊の力は、一つの国を焦土と化すほど。だから俺は、ルビスの守りをはじめて手にしたあの時からデインの魔法は自らに禁じた。あの魔法は勇者の証にして、破壊神の化身であるということの証なのだ」
リザは動揺しながらもレオンを睨む。当然、現在の勇者であるレオンはそのことを知っていたはずだ。それを彼はずっと隠していたのだ。
「すみません。ただ、このことはあくまで自分自身のことだったので、話すことはしなかったんです。それに、自分が破壊神と同じような存在だと見られるのは嫌だったんです」
その気持ちは分からないでもない。だが、仲間として信頼してくれてもよかったのではないか、とも思う。
「だが、二つの問題が生まれた。一つは勇者が魔王を倒したとしても、その勇者はいつか必ず限界がきてしまうということだ。だから勇者たちは自ら命を断つか、それとも別の方法を選ばなければならなかった。少なくとも、俺が知りうる限りでは命を断った勇者はいなかったな」
「その方法が──」
「そう、魔族になることだ。人間の器で破壊の力を抑えきれないのだから、もっと強靭な身体、すなわち魔族という器を手に入れればその問題は解決した。だが、同時に二つ目の問題が起こった」
「それは?」
ルティアもリザも、初めて明かされる事実を少しも聞き逃すまいと、取り憑かれたように魔王の言葉を待つ。
「魔王を倒した勇者が魔族となる。それは、最強の魔族が誕生するということに他ならない。すなわち、新たな魔王の誕生だ。しかも新たな魔王は破壊神の力を持っていることになる。魔王がおとなしく魔界にいるならばよし。だがそうでないならば、新たな勇者をもって魔王と対峙させなければならない。だから人間たちは『勇者』の力をこの世界に『システム』として成立させた」
「システム?」
「そうだ。魔王が人間を攻め込もうとしたとき、必ず世界がそれを察知して新たな勇者をこの世界に誕生させるというシステムだ。そこまで充分に検討された後に『勇者システム』の最初の被験者となったデインは、まだ赤子に過ぎなかった」
それが事実ならば、デインという最初の勇者は自分で勇者となることを選んだのではなく。
「そう。彼は彼自身の意思など生じる前から勇者としての宿命を負わされた。そして同時にこの世界は『勇者システム』が完全に定着することとなった。勇者は無事に魔王を倒したが、デインは──人間を憎んだ。だから新たな魔族を率いて逆に人間を滅ぼそうとした。そして新たな勇者が誕生し、魔王を倒し、新たな勇者が誕生し……」
あとはその繰り返しが続いた。もちろん、魔王の中には人間の世界へ侵攻しなかった者もいる。だがそうした魔王はやがて下克上によって生粋の魔族にとってかわられ、結局人間の世界へと侵攻することとなった。
「魔王も破壊神も、全ては人間が生み出した罪の結晶にすぎん。分からないのか、勇者よ。人間は滅びるべき種族なのだ。いや、違うな。魔王や破壊神などを生み出せるのだ、人間は自ら滅びたがっている種族なのだ」
「それは違う!」
勇者は大きな声で魔王の言葉をさえぎる。
「僕は見た。その事実を知り、その上でこの人間の世界の未来を見たときのウィルザの姿を」
魔王は目を細めた。
「見たのか」
「見た。全てが破壊され、何もなくなった虚無の空間で、僕がたったの一日もかからずに神経が焼ききれたにも関わらず、ウィルザはその永劫の未来に耐えた」
何も無かった。
周りを見回す、という行為にすら意味がなかった。自分の身体すらなかった。
ただ意識だけがそこにあり、永劫の虚無を味わった。
ある時、何もすることがなく数を数えてみた。
九九九九九九九九九九九九九九九九まで数えて意味がないことに気付いてやめた。
ある時、昔の仲間たちの顔を思い出すことにした。
一人目で無性に会いたくなり、心がかきたてられることに気付いたのでそこでやめた。
ある時、どうして世界がこうなってしまったのかを考えた。
──やめろ。
人間たちが破壊神を造らなければ、こんなことにはならなかった。
──考えるな!
人間たちが破壊神を降臨させなければ、こんなことにはならなかった。
──やめるんだ!
もう、破壊神は生まれてしまっている。だが、降臨させなければ世界はこうなることはない。
降臨させないためにどうすればいいのだろうか。
ゾーマのようにアレフガルドを世界から切り離せばそれでいいのか。
いや、それでは限界がある。
いつか魔王を倒す勇者が現れ、魔王は必ず倒される。
自分も、そうだ。
だとすれば。
──それ以上、考えてはいけない!
人間を、滅ぼすしかない──
「あの永劫の虚無の中で、未来を取り戻すための方法にウィルザは気がついてしまった。だから魔王となり、人間を滅ぼすことを決断した」
「あの世界を見れば、誰でも何かを感じずにはいられない。ただ意識だけがあるという状態。自分が何者で、何のために存在しているのかも分からなくなるあの恐怖。俺は、あんな未来を迎えるくらいなら、人間を滅ぼす方を選ぶ」
「その選択する場面を見たからこそ、僕はその間違いを正す方向に動かなければならなかった」
レオンは初めて、魔王に向けて微笑んだ。
「間違いを正す?」
「そう。ウィルザの考えは僕にも分かるんだ。いかに人間が救われない存在なのか、そして破壊神を呼び起こすようなことがあればあの世界が現実になるんだって。でも」
表情が切り替わる。
そして、サタンキラーを魔王に向かって突きつけた。
「僕が生きている限り、破壊神の降臨は必ず防いでみせる。そして僕の意思を継いだ者が同じように破壊神の降臨を防いでいく。その時その時の『現在』の人たちが破壊神の降臨を防いでいけば、破壊神の降臨は無限の未来へと先送りされる。無限ということは、それは永遠に来ないということと同じなんだ!」
破壊神の降臨は必ず起こる。
だが、いつ降臨が行われるのか分からないのなら、それは先送りすることができるはずなのだ。
今日の先送りとしての明日、明日の先送りとしての明後日……そうして永遠に先送りすれば、破壊神の降臨は永遠に先送りされるのだ。
「それは理想だ」
「理想を実現するのが勇者だ」
「なるほど。お前の言い分は正しい」
魔王は苦笑したが、すぐに厳しい表情に戻る。
「だが、あの終わらぬ虚無を体感した者として、可能性がたとえわずかにでもあるのなら、人間を許すことはできない! どれだけ人間が醜く、歪んでいるか、人間の過去をも見せられた今、人間を信じることなどできない!」
「お前は安易な道へと逃げたがっている! 僕ら人間には、破壊神が降臨することに対する戦いを永遠に続けることができるはずだ!」
「そこまでだ『勇者』」
魔王もまた、剣を構えた。
「話はこれ以上、どこまでいっても平行線だろう。結局人間を信じられるかどうかの勝負だというのなら、当初の通り、力で決着をつけよう」
「望むところだ『魔王』。僕は負けない」
この時、魔王ウィルザは目の前の勇者が確実に自分と同じところまで昇ってきていることを自覚した。確かに力では自分のはるか下だ。だが、勇者としては──
(おそらく、俺が勇者だったときよりも心構えは強いだろう)
それはウィルザという個人がはじめて他人を認めた瞬間であった。
「行くぞ、勇者!」
「来い、魔王!」
そのふたりが放つ闘気に、リザもルティアも完全に呑まれていた。
静寂。
そして、動いた。
魔王の持つ『魔王の剣』がうなりをあげて勇者の身体に迫る。勇者は盾でそれを受け止めたが、盾ごと勇者の左腕が切り飛ばされた。
「腕一本の犠牲ですむなら安いこと!」
逆に、勇者の持つ『サタンキラー』による会心の一撃が魔王の身体を打つ。魔王は硬気孔で受け止めたが、わき腹に深く剣が突き刺さった。
同時に、勇者は飛び退った。
「ルティア! 力を貸してくれ!」
勇者は彼女の手を取ると、最後の魔法を唱えた。
「全ての力を注がん!」
「まずい!」
魔王の顔に初めて焦燥の色が浮かぶ。
「──ミナデイン!」
破壊の力が、魔王の身体に降り注いだ──
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