四十七.生きる












「やったか?」
 勇者が閃光に目を細めて魔王の様子をうかがう。
 手応えはあった。これで倒せなければ、魔王を倒す手段はないと言っていい。
 切り札は勇者の力であり、破壊神の力であるデインそのもの。それも、味方の力を上乗せして自分の魔法力以上の力を放つことができる、勇者の究極奥義である。
 サタンキラーとミナデイン。ここまで一度も使わず、魔王のところまで温存していた二つの切り札である。魔王の言う通り、切り札は先に見せなかった。一つの切り札を見せておいて、別の切り札を隠す。
 これで倒せなければ、魔王は倒せない。
 最初から、勇者はそれしか考えていなかった。
 だが。
「……なかなかやるな、勇者よ」
 勇者の心に、焦燥が生まれる。
 閃光が収まったところには、魔王が悠然と立っていた。いや、決して無傷というわけではない。だが、致命傷にはほど遠いということだけは理解できた。
「ミナデインか。まさかデインの力に他者の魔力を上乗せすることができるとはな、正直、驚いた」
 魔王は言いながらまだ刺さったままの魔王殺しの剣を手にする。
「リザの力を上乗せすれば俺を倒すこともできたかもしれないな。だが、リザにはその気がない。つまり、ここまでだ。駒が動かぬのでは、お前に勝ち目はない。ましてや武器もないのでは、な」
「武器?」
「ああ、今、なくなる」
 魔王がその剣に力をこめると、根元から剣先まで一気に亀裂がはしる。そして、魔王殺しの剣は二つに裂けた。
「ああ……」
 愕然とする勇者の前に、魔王の声が冷たく響いた。
「魔王殺しの剣にミナデイン。いずれも使えなくなった今のお前に勝ち目などない」
 魔王の剣が一閃する。もはやそれを防ぐ術のないレオンは胸部に裂傷を負い、後方に吹き飛ばされる。
 致命傷だ。
「レオン!」
 その間にルティアが割って入る。だが、力の差は歴然としていた。ルティアひとりで魔王にかなうはずがない。
「あくまでも俺に逆らうか、ルティア」
「はい。私は決めましたから。魔王陛下を私のものにすると」
「無理だな」
 魔王が間合いを詰める。
 仮にも自分は剣騎士として魔王に認められた存在。剣での勝負なら負けない。その自負はあった。
 素早くステップを踏み、最速で魔王を下段から斬りつける。剣閃が弧を描いて魔王に迫るが、魔王は一歩下がってその軌跡から回避すると、逆にゼロ距離に間合いを詰め、空いている左手でルティアの喉を捕らえた。
「かっ……」
「俺を手に入れるという望みは叶えてやることはできない。だが、俺に殺されるという願いは叶えてやろう」
 そのまま、後ろで倒れていたレオンの上に重なるように押し倒す。
「へい、か」
 白い顔に苦悶の色が浮かぶ。だが、その様子を見ても魔王の顔色は少しも変わらなかった。
「さらばだ、ルティア。お前は俺にとって、本当に大切な存在だったよ」
 最後に彼女に微笑みかけると、魔王は剣を繰り出した。
 その剣は正確にルティアの心臓を貫き、そのまま下にいたレオンの心臓をも貫いていた。
 がふっ、とふたりが同時に吐血する。
「へ、陛下……」
「ルティア。これがお前の望んだ結末だ。俺の下を離れれば、こういうことになると分かっていたはずなのにな。だが、これでお前はもう悩み苦しむことはない。ゆっくりと眠るがいい。今までずっと苦しめて、すまなかったな、ルティア」
 その言葉を聞いたルティアは、最後の力で弱々しく首を横に振った。
「あなたの……」
 優しさと愛情は、きちんと伝わっていた。
 それがたとえ、自分のことを一番に想っていたのではなくても、魔王はずっと自分を愛してくれていた。それは彼女にもよく分かっていたのだ。
 だから、もういい。
 最後に魔王に救ってもらったから。
「ルティ、ア」
 彼女の下から、さらに声が聞こえてきた。
「ごめん、力が、足りなくて」
 はるか高き天井を見上げている彼女の目に勇者の姿は映らなかったが、耳元にささやかれる声は非常にクリアに聞こえた。
「でも、最後に、君と一緒に、戦えた。僕は、それが、嬉しかった」
 自分が魔王に愛され、愛していたとしたら。
 彼はいったい自分にとって、どういう存在だったのだろう。
「ごめん、なさい」
 そんな気持ちが、彼女にその言葉を言わせた。
 勇者のことを全く気にかけていないというわけではなかった。ただ、自分が大切だったのは魔王だったというだけ。
「いいよ。僕は、これでも、幸せだから」
 彼は最後の力で、彼女の体に腕を回す。
 最後は、幸せだったのかもしれない。
 魔王と勇者。これほど素敵な、ふたりの男性から愛されたのだから。
(──悔いはない)
 彼女は薄れゆく意識の中、ふたりの愛情を最後まで感じていた。






「逝ったか」
 魔王は感動もなく呟く。
 亡くなった彼女を抱きしめたまま勇者も死んだ。
 魔王を倒すことができる力を持った唯一の存在。自分と同じ破壊の力を兼ね備えた存在。
 魔王にとって勇者に会う時というのは、この呪われた自分の存在を実感する時なのかもしれない。
「そんな……レオン」
 呆然とした様子で、リザがその場に崩れ落ちた。
 彼女のその姿を見て、魔王は息をついた。
「ふたりきりに、なってしまったな」
 静かに、そして寂しそうに魔王が言う。
「ウィルザ」
「俺の仲間も、お前の仲間も、全てがいなくなった。俺は──何をしたかったんだろうな。ただ、みんなでいつまでも仲良く幸せに暮らすことができればいいと、それを願っただけだったんだが」
「それなのに、戦う道を選んだの?」
「ああ。永遠を望むなら、人間の存在はどうしても邪魔だったからな」
「人間を信じることはできなかったの?」
「ああ」
「私も?」
 近づく魔王を見上げ、リザは小さく尋ねる。
「いや。お前のことは信じるとか信じないとかの問題じゃない。俺にとっては、お前が俺の仲間を殺そうが何をしようが、リザ以外の何者でもなかった。俺の愛する、ただひとりの女性。あのピラミッドで会ってから今日まで、お前への気持ちが変わったことなどない」
 言い切ってから、しかし魔王はゆっくりと首を振る。
「いや、変わり続けていると言った方がいい。一緒にいるときも、そうでないときも、お前への気持ちは強まる一方だった」
「ウィルザ」
「お前への気持ちを吹っ切るために、そしてお前を俺の手で殺した時に自分が傷つかないように、別の女性を愛することもした。だが、何をしても俺の心は変わることはなかった。お前がほしいという、この気持ちはな」
「それなのに、あなたは私を殺すの?」
 素朴な疑問が彼女の口をついていた。
 彼女の目からは涙がこぼれ、その理由も分からないままに、ただ目の前の現実をつきつけられている。
 魔王は苦笑しながら、それには答えなかった。
「俺はお前を失っても平気だと思っていた。もちろん、苦しいことには違いない。だが、俺には新たに手に入れた仲間たちがいた。新たな仲間と共に動くのは楽しかった。それが人間を滅ぼすということであったとしても。その先に、この新たな仲間たちと永遠を生きることができるのならそれでいいと思っていた。だが」
「もう、あなたの仲間はいないわ」
「そうだ。俺の仲間は一人もいなくなってしまった。ルシェルをはじめ、ユリアも、シャドウも、フィードも、ローディスも、シリウスも、そしてルティアも。全員がいなくなってしまった。そして、お前たちもだ。クリスもグランもいなくなった。俺のところにいるのはもう、お前だけだ。リザ」
 魔王は剣を落とした。
「──俺にはまだ戦う理由があった。たとえルティアひとりだとしても、俺のことを必要とし、俺のために生きてくれる者がいる限り、俺は魔王として人間を滅ぼすために活動するはずだった。だが……」
「ウィルザ」
「おかしなものだな。全てをなくして、心の中がぽっかりと抜け落ちた気分だ」
 魔王は自らの両手を見つめた。
「俺はどうしてしまったのだろう。これが完全な魔王になるということなんだろうか。俺の中にはもう何もない。人間を滅ぼすなどという気持ちは、これっぽっちもなくなってしまった。今まで自分のしてきたことを考えれば、それは手ひどい裏切りであり、信念など何もあったものではない。だが、仲間を失った俺にとっては、もう人間が滅びることも世界が滅びることも同じことだ。好きにすればいい。もう俺は、お前を殺すことはできない」
「ウィルザ」
「お前を殺せば、俺は本当に孤独になってしまう」
 そう呟いてから、魔王は苦笑した。
「──そんなことを言っては、今まで俺のために命をかけてくれた者たちに申し訳が立たないな。もちろん、それはお前たちにしても同じだろう。クリスもグランも、俺を説得し、または倒すために命をかけた。それなのに、誰もいなくなってからそれが叶うなど、そんなものは死者に対する冒涜だ。仲間を殺す覚悟はあったくせに、孤独を背負う覚悟はしていなかったのか」
「違うわ」
 座って、涙を流したままリザは魔王を見上げる。
「みんなは、あなたをこうして目覚めさせるためにその命をかけたのよ」
「──ああ、そうか」
 なるほど、と魔王は納得した。
「そうかもしれない。結局、みんなの命でしか俺は人間を殺すことをやめるということを選ぶことはできなかった。誰もいなくなれば、それは俺も存在していないのと同じだ。こんなことを俺は望んでいたはずじゃない。俺の望みはただ、みんなでいつまでも暮らしていたかっただけなのに」
「ねえ、ウィルザ」
 彼女は立ち上がり、ゆっくりと近づいてその手を彼の頬にあてる。
「そんなに、人間は許せなかったの?」
「許すとか、そういう問題じゃない。ただ、あの何もない空間で俺は何万年の時を感じたのか。はっきり言ってしまうと、ルビスの塔で過去と未来を見せられた時、みんなにはほんの一瞬の出来事だったのかもしれないけれど、俺の中では確かに何千年、何万年という時間が流れていたんだ。何の変化もない闇の世界で、ただ俺の意識だけがあった。あれを人間の罪というのなら、破壊神に罰せられる前にその罪を浄化させなければ、と思った。ルビスの塔に意識が戻ってきた時、あまりの時の長さに、俺は君の顔すら思い出すのに時間がかかったくらいなんだよ、リザ」
「人間を殺す以外に道はあったわ、きっと。破壊神が現れるというのなら、その破壊神を封じる方法だってあるはずなのよ」
「だが、虞は残る。破壊神が復活する虞。それはあの世界を知る者にとっては切り離せないことなんだ。だから俺は、この世界で最も大切な仲間を犠牲にしてでも未来を変えたかった。でも、仲間を殺すことができるほど俺には勇気がなかった」
「だから、新しく仲間を作ったのね」
「そうだ。だからみんなに来てもらうわけにはいかなかった。本当に魔王になれるのかも分からなかったし、失敗すればそれまでのことだったし、本当に自分が魔王として活動する覚悟があるのか自分にも分からなかった。でも、仲間ができて、魔王として扱われているうちに、これでいいのだという気持ちが自分の中で高まった。それなのに、ここにはもう誰もいない」
 魔王は彼女がそえてきた手を取る。
「俺は──こんな結果を望んでいたわけじゃない。俺は、どうすればいい?」
 リザは、はっきりと答えた。
「今からでも、何も遅いことなんてないわ。私と、一緒にいきましょう」
「一緒に?」
「そうよ。私はあなたの最後の仲間。あなたが犯した罪は、私も一緒に償ってあげる。でもそのかわり、もう一生私の傍から離れないで。私だけを見て」
 リザはそう言って、笑った。
「それだけを、あなたに伝えたかったのよ、ウィルザ」
「そうだね。俺も、全く同感だ」
「ウィルザ。一緒に、いきましょう」
 魔王は、ついにそれに同意して頷いた。
 その、瞬間だった。

 ひゅっ、と空を切る音。

 何が起こったのか、全くわからなかった。
 ただ、目の前で。
 彼女の首が、ゆっくりとずれて。
 地面に、落ちた。
「……リザ?」
 そこにはもう、彼女の体しかなくて。首から上はどこにもなくて。
 切断面から、とめどなく赤い液体が流れ出して。
「この時を待っていたのさ」
 別の声が、そこに割り込んできた。
「……アタシのこと、忘れた、なんて言わないでしょうね。ウィルザ」
 彼女の体の向こうにいたのは、サキュバス。
「ユリア?」
「そう。アタシはずっとそうなると分かっていたのさ。ウィルザが魔王としての責務を捨て、こいつの下に戻るっていうことはね」
 つまり。
 彼女を。
 リザを。
 殺したのは、ユリア──
「きさ──」
「まだだよ、ウィルザ」
 ユリアは笑うと、動こうとする魔王を手で制した。
「アタシはそこの冷たい剣女みたいに、アンタを殺して自分のものにするなんて、そんなことは考えなかった。アタシは、アンタの心の中にアタシの存在を根付かせることの方が大事だったのさ。それはもう完成した。アンタはもう、アタシを忘れない。アンタの最愛の女を殺したこの魔導騎士ユリアの名と姿を! はははははっ! そして悪いけど、アンタには復讐する権利すらやらないよ。最愛の女性を殺した女悪魔サキュバスの姿を、その脳裏に永遠に焼きつかせてやるんだ」
 にやり、と笑って彼女は自分の首に手を運んだ。
「さよなら、ウィルザ。これでもう、アンタの仲間は本当にひとりもいなくなったよ」
 ひゅっ、と再び音がして、ユリアの首もまた真空の刃によって大地に落ちた。
 次々に失われた命を前に、魔王は何も声が出ない。
 やがて。
 ゆっくりと、彼女の体が自分の方に倒れてきた。
「リザ……」
 彼女の血が、自分の体をぬらしていく。

「う、う……あああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」

 全てのものがなくなっていく。
 あらゆる感情と、あらゆる希望。
 そして、彼女への想い。
 全ては無に帰す。

『破壊せよ』

 その中で、彼は一つの真理を見出す。

『この世界に絶望したのなら──全てを、破壊せよ』

 彼の背に。
 邪神、シドーの姿があった。






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