四十八.死ぬ
ここは……どこ?
暗くて……。
寒くて……。
心細くて……。
何も、ない。
誰も、いない。
大切な……。
私の、弟。
ウィルザ。
あんたは……。
どこに……。
「……さん……」
声が聞こえる。
自分を呼ぶ声。
あの声のところまで行けば、会えるだろうか。
大切な弟に。
私が、自分の全てをかけられると思った存在に。
でも。
こんな、死の世界では無理だろうか。
「クリスさん!」
呼んでいる。
もう、起きなければ。
起きて。
今度こそ──
「今度こそ?」
ゆっくりと目を覚ましたクリスは、そこに見知った顔を確認した。
三つの顔。いつもと同じ数。
それなのに、確認した顔はいつもと違っていて。
「意識は大丈夫ですか? 私がわかりますか?」
この、神々しいまでに輝ける女性は。
「フィオナ殿下? 殿下が、なぜこのようなところへ」
「どうやら、意識はしっかりしているようですね。ケガは、まだ完治というわけではないようですが」
紫の髪をした王女は手を彼女の胸にあてると最大回復呪文──ベホマを唱える。それで彼女の怪我は完璧に回復した。もっとも、回復呪文では怪我は治癒できても、失われた血液は回復しないし、体力が元通りになるわけでもない。怪我は治っていても、いつも通りに動けるというわけではないのだ。
「危なかったね、クリス」
そう言う少年はグランであった。
「グラン。あんた、無事だったのか」
「ううん、死ぬ直前だったよ。ほら」
グランは失われた左腕の辺りを見せる。
「ローディスっていう騎士を倒した代償。オイラも完全に気を失って死ぬところだった」
「そうか、アンタもフィオナ王女に助けてもらったってクチか」
うなずくグランに、クリスは最後の一人を確認する。
「そして、ここまでフィオナ王女を連れてきてくれたのがミラーナってこと?」
「はい」
小柄な少女がしっかりと頷いた。
彼女は以前、この島へ来ている。その場所のイメージさえできれば、あとはフィオナのルーラを使って来ることはいくらでも可能なのだ。
「最初は失敗しちゃったんですけど、なんとか来ることができました」
ミラーナは安心したかのように微笑を浮かべる。
「いや、冗談抜きで助かったよ。あたしとグランが助かったのはミラーナと殿下のおかげさ」
「そんなことはありません。生き残ったのはクリス様がそれだけ強かったということの証なんですから」
「そう言ってくれると嬉しいけどね」
彼女は倒れている死神騎士を見やる。既に完全に意識など残っておらず、ただの抜け殻となってしまっている。
シリウス=アリシアは強かった。自分などその足元にも及ばない。だが、だからこそ人間は知恵を絞る。自分の身を捨ててでも相手を倒そうとする。
今回自分が助かったのは運の要素が強いが、それにしても相手を先に倒したから言えることであって、先に相手のとどめをさしたのは自分の方なのだ。
「ま、いいさ。こうして生き残ったことだし、それに光の剣の使用期限もあと一回だ。最後の戦いに行くとしようか」
彼女は気楽な様子でいった。
「クリスさん」
だが、それに対して王女は真剣な目をして言う。
「なりません。あなたの体は半死の状態をぎりぎり救い出したにすぎません。一ヶ月は様子を見なければ駄目です。グランさんもです。あなたがたをここで死なせるわけにはいきません」
「ですが、殿下。この奥にはあたしたちの仲間がまだ三人いるんです」
三人。
リザと、レオンと、そしてもう一人。
「三人とも連れて帰ってこないことには、あたしたちだけ生き残っても何も意味のないことですから」
「ですが」
「申し訳ないですけど、殿下。こればかりは譲ることはできません。ウィルザはあたしの弟同然の奴ですから。身内の不始末は自分でつけます」
すると、その彼女の隣にグランが立つ。
「オイラのこと、忘れてないよね、クリス」
少し非難するように言う。クリスは笑って「もちろん」と答えた。
「あたしたちのパーティにあんたは不可欠だよ。きっちり最後まで働いてもらうからね」
「もちろん」
グランは残った右手をぐっと握り締める。
「オイラ、ローディスとの戦いで完全に掴んだんだ。もう右手一本だって前のオイラよりずっと強いよ。この右手で魔王の目を覚ますんだ」
「期待してるよ。というわけで、ミラーナ。悪いけど、こんな目にあってて悪いんだけど、もう少しだけあんたの相方を借りるよ」
ミラーナは悲しそうな顔をしながら頷く。既に止めることはできないとわかっていた表情だった。
「分かりました。ですが、約束してください」
「なんだい? できることならね」
「クリス様ならできます。必ず、全員無事に帰ってくることです」
全員、無事に。
もちろんその言葉の意味が分からないクリスではない。何があっても魔王を助けるということだ。
「もちろんさ。あたしたちはそのためにここにいるんだからね」
「まったく、仕方のない人たちですね」
王女が諦めたようにため息をつく。
「殿下」
「ええ、分かっています。この時を逃せば魔王を追い詰める機会がないということは。騎士たちのほとんどがいなくなった今こそ絶好機。それを逃す手段はありません。それは分かっています。ですが──」
「大丈夫です、殿下」
グランが自信ありげに言う。
「オイラたちは、いつもそのギリギリのところで戦ってきましたから」
だから今回も大丈夫、というわけではない。
その程度の覚悟は既にずっと前から持ち合わせている、ということだ。
「分かりました。ですが、私も戦います」
「殿下!」
「かまわないでしょう? 戦士は一人でも多いにこしたことはありません。もちろん、ミラーナに戦わせるわけにはいきませんが」
「もちろん、私には戦うことはできません。でも、私は勇者様たちに関わってしまった以上、この戦いを見届ける使命があると勝手に思ってます。だから、ついていきます。安全なところにいるようにしますから」
「まあこの際、魔王が人質を取るなんていうことはしないっていうのが唯一の救いだね」
自分たちの知っているウィルザなら、たとえ真の魔王になろうが何をしようが、絶対にミラーナには手をかけない。その自信がクリスにはある。
「それじゃ、四人で行くとしようよ」
グランが言って、みんなが頷く。
その時だった──
『なっ!?』
突如、四人の全身をくまなく駆け巡る『悪寒』。
それは、何かしら状況が変化したことを確実に物語っていた。
「な、なんだい、この不吉な予感は」
クリスが震えながら言葉をつむぐ。
「分からない。でも、この気配は限りなく邪悪だ」
グランもその一瞬ですっかりと喉が渇いてしまっていた。
「わ、私ですら、すごく恐怖を感じます」
ミラーナも体ががくがくと震えている。
「考えられるのは、魔王がついに完全体となったということ」
フィオナが言うと、三人の顔がさっと青ざめる。
「でも、まだ間に合う」
「ああ。こんなことであたしたちのウィルザを取られてなるもんか」
「行きましょう。人に希望のある限り」
四人は、駆けた。
暗い建物の中を、ただ、一心に。
彼を助けたい。
その希望だけを胸に。
(ウィルザ)
求めるものは、ただ一つ。
みんなで。
ただ、幸せであること。
「ウィルザ!」
最後の扉が、開いた──
「これは」
クリスが呆然とたたずむ。グランも、フィオナも、ミラーナも、その部屋の中の様子が尋常ではないことにすぐに気がついた。
重なり合って亡くなっている勇者レオンと剣騎士ルティア。
首を刎ねられている死んだはずの魔道騎士ユリア。
そして。
渦巻く闇の中にいる、首のない体を抱いた魔王ウィルザ。
「ウィルザ!」
クリスが大きな声を上げるが、その声に魔王はぴくりとも反応しない。
「ウィルザ!」
そのまま駆け寄ろうとするが、その瞬間、闇が動いた。
「!」
咄嗟に飛び退く。その場を鋭く闇が抉った。
おそらく、あの闇に触れるだけで相当のダメージを覚悟しなければならないだろう。
「こいつ、いったい?」
「クリス、気をつけて! その闇はものすごい【邪悪】の塊だ!」
その尋常ならざる光景に、ミラーナが耐え切れなくなって気を失う。王女が彼女を抱きかかえて部屋の外に連れ出していく。
「正体が分かるのかい、グラン」
「いや、オイラにも分からない。ただ、あれはものすごい邪悪だっていうことだけは分かるよ。あんなものに取り付かれたら、ウィルザだって」
「馬鹿言うんじゃないよ! あいつがそんなものにやられてたまるか!」
「でも」
グランの視線の先に、リザの首のない体が映る。
「もう、ウィルザはこの世界に絶望してしまってるんだ」
「──!」
クリスは強く歯を食いしばり、渦巻く闇の中にいるウィルザを見つめる。
その時。
「あれは」
その、ウィルザの背後。
見覚えのあるモノが、そこに浮かんでいた。
「嘘だ。あれは、礼拝堂に安置されていたはず」
邪神の像。
この地上に、破壊神シドーを降臨させるためのアイテム。
「馬鹿な! まさか、シドーはウィルザの体を媒体に降臨でもするつもりだというのか!」
クリスが叫ぶ。その時──
『その通り』
全身を嘗め回すかのような気色の悪い声が、二人の体に響く。
『我は、破壊神シドー。人間が作り出した、人造の魔王、なり』
宣告が下った。
その事実は何も知らなかったクリスとグランに衝撃を与えたが、二人ともそれよりも大きな問題を抱えている以上、それはさして問題というほどのものではなかった。
問題は、破壊神シドーがウィルザの体に降臨しようとしている、その事実だった。
「ウィルザを操ってたのはあんたか!」
『笑止。すべてはこの男が望んだこと。我は望みのままに呼び出されたに過ぎん。それが神』
では。
リザを失い、全てに絶望したウィルザは。
この世界の消滅を願った、というのか。
仲間も、友も、恋人も全てを失ったウィルザが求めたもの。
それは、一切の静寂。
「馬鹿か、あんたは」
涙が出そうになった。
はじめから、それほど大事なものならば、どうして敵対などするのだろう。
「あんたは馬鹿だよ、ウィルザ」
クリスはしっかりと『光の剣』を握る。
「でも、引き返せないなんて言わせないよ。あんたがあたしたちに教えてくれたことだ。諦めては駄目だ。絶対に、あんたを取り返す!」
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