外伝七.死に捕われる獣












「さ、今日も元気に遊んでらっしゃい!」
 はーい! と元気な声が全部で二十。
 その子供たちを全員見送ってから、ふう、とミラーナは息をついた。
 傍には一匹の獣。
 それも尋常な大きさではない。獅子を二回りほど大きくしたような、獰猛な獣の姿だった。
 目はぎらぎらと血に飢え、鬣が激しく逆立っている。
 だが、この獣はこれが普通なのだ。
「ローディス」
 その獣に向かって、ミラーナが優しく言う。
「人間の姿におなりなさいな」
 にっこりと微笑むと、その獣は徐々に形を変え、人型となる。
 浅黒い肌のにやけた男が、そこに立っていた。
「やれやれ、正体を隠してるってのも大変だな」
 普段は『セアト』と呼ばれているこの獣だが、本名はローディスという。
 この村を守る守護者だとミラーナから子供たちに伝えられているが、本当のところは異なる。
 自分たちは魔族で、人間から追われる存在。
 そして、ローディスは魔族の中でも力の強い戦士だということを。
「しかし、お前さんも飽きないねえ。本気であいつが強くなるって思ってんのか?」
 ローディスの視野は広い。
 この草原で豆つぶほどになった二十の点を全て見極めることができる。
 その中のひとり。
「あのフィードっちがねえ。二十の中でも一番に弱くねえか、あいつ」
「だから、よ。反動はすごいわよ。フィードはきっと、あなたより強いわ」
 ミラーナの顔に、妖しい笑みが浮かぶ。
「何といっても、あの先代の魔王『ロト』の子なのだから。潜在能力は一番。ただ、あの子の一番の問題は、自分で自分をセーブしているところ。リミッターが外れたら、あの子にかなう相手はいないわ。たとえ今の魔王サラマンダーだって、苦もなく倒せるでしょうね」
「俺だってやれるぜ」
「そんなことは分かってるわ。だからあなたに頼んでいるんじゃないの。あの子が目覚めた時には、必ず人間を滅ぼすようにあの子を導いてほしい、って」
 普段。
 子供たちには見せたことのない、般若の笑み。
「この二重人格。猫かぶり。羅刹女」
「あら、嬉しい誉め言葉」
 にっこりと笑うミラーナにかける言葉はもう、ローディスには残っていない。
「で、人間たちへリークは終わったのか?」
「ええ。あと一年もしないで、あの研究者たちはこの村にやってくるでしょうね。そして魔族の子が二十と私、全てを実験体にする。魔族に対抗するのは竜の力とはよくいったものだけれど、まさか魔族の体を実験体にするなんてね。お馬鹿さんたち。それが最強の魔を生み出すことに、気づいているのかしら」
 心躍る様子でミラーナが饒舌になる。
「お前、本気であの子ら全部生贄にするつもりか?」
「もともとそのつもりだって言ったじゃない。それに、生贄には私も含まれてるんだから」
 ミラーナは妖艶な笑みを崩さない。
 そして、背の高いローディスの頭に手を回し、そっとその髪をなでる。
「最後にリミッターを解除するのは私の役割よ。私の死をもって、あの子は目覚める。人間を憎む最強の魔に変わる。でも、単純な復讐者になられるのは困るわね。見境のない子は好きじゃないもの。あの子には、うんと悩んで、うんと苦しんで、その苦しみを全て人間への憎しみに変える、そのエネルギーが必要」
「だから『人間を憎むな』か? あいつが本気でそれを実行したらどうするつもりだよ」
「大丈夫よ。それ以上に、私が殺されたという事実があの子を縛る。でも、そうね。もしかしたらあの子が間違った方向に進むかもしれない。だから、もし間違えるようなら、あの子がちゃんと人間を憎むように、あなたが誘導して?」
 やれやれ、とローディスがため息をつく。
 だが、この女の手は心地よい。
 そして、この女にならば、自分は支配されてもいいと思っている。
「あんたが俺のマスターだったらよかったのにな」
「支配されたいの? 駄目よ、私なんかじゃあなたの力を一ミリだって上げることはできないわ。だって、私は力のない魔族だもの」
「それでもだ。俺は魔族の中では誰よりもあんたが怖い。あんただけは敵に回したくないと、本気で思うぜ」
「ありがと」
 無邪気に笑う。その無邪気さが何より怖ろしい。
「獣のあなたと覚醒したあの子なら、いい勝負になるでしょうね」
 だが、彼女は知っている。
 魔族の中では誰よりも自分が一番強いと、この男が心の奥底では考えていることを。
「そうかい? あんたがそこまで入れ込むほどの奴だ。フィードっちの方が強いんじゃねえの?」
「どうかしらね。でも、あなたに私の復讐をしてもらいたいとは思わないわ。だって、あなたはあなただもの。私の復讐は、私自身でする」
「恋人を殺された恨みか?」
「そう。悪い?」
「悪かねえよ。俺っちみたいに、何もすることがない奴よりはよっぽどマシだろ。でもな、あんたにいいように利用されて、そして最後まで利用されてることに気づかないフィードっちは哀れだな」
 全く感情をこめずに言う。
「あら、あなたがそんな感情を持っているはずないじゃない。私と違って」
「ああ、あんたは感情豊かだよ。どうしてそこまで復讐なんてもんに縛られるのか、俺っちには分かんねえからな」
「他者を愛すれば、あなたにも分かるわ」
 そして、彼女は彼に口付ける。
「私を愛してごらんなさい。きっと、あなたにも分かるわ」
「今度は俺っちも手駒にしようってか?」
「そうね」
 くす、と彼女は笑った。






 再会は、戦場だった。
 彼女が大切に大切に育てた竜魔。その力が暴走している時に、ローディスは戦場へ現れた。
 彼が最初にかけた言葉は、何の変哲もない言葉だった。
「お、なんか珍しい生き物がいるな」
 この戦場で、何か観光でもしているかのような、そんな自然体の彼の前でフィードの怒りは急速に静まっていく。
 そして、竜の姿から人の姿へと戻った。
「何者だ」
「俺かい? ま、さすらいの美剣士とでも呼んでもらおうか」
 剣も持っていないくせにそんなことをのうのうと言う。
「何か用か?」
「いや? 何か変な生き物がいるなと思ったから見てただけ。ま、あんたのことが気に入ったっていうところかな」
 焼け爛れたフィードの顔がローディスを睨む。
「随分な美形だな」
 ローディスはタオルを一枚取り出すと、彼の頭にかけた。
「私は、お前が嫌いだ」
「そりゃどうも」






 ──こうして、ふたりはこれから長くコンビを組むことになる。






 愛する、という感情かどうかは分からない。
 ただ、彼女に支配されたいという希望はあった。
 彼女を殺した人間を憎むというような感情はない。
 感情はそもそも自分の中には存在しなかった。
 自分は、獣だから。
 生まれついての獣だから。
 それでも彼女の言いつけ通りに動いたのは、たとえ契約はしていなくても彼女は自分の飼い主だった。
 いや。
(それが、好きだったってことかね)
 ただ一つ、気に入らなかったのは、彼女が復讐の虜になっていたということ。
 その感情が嫌だった。
 感情自体を憎むようになった。
 感情のない生き物は綺麗で美しいと思うようになった。

 だが、違う。

 本当はただ、彼女がいつまでも亡くした恋人のことを思っているのに嫉妬していただけ。
 彼女が好きだったから。
 彼女の心の中にいる男が嫌いだっただけだ。
(気づくのが遅いんだよなあ)
 そんなことに気づいたのは彼女を亡くしてからだった。
 結局感情を嫌う性癖はなくならなかった。
 それでもいいと思う。
 それは、自分がいつまでも彼女を忘れていないということの証だから。






「フィードっちはやられちまったか」
 彼女の手駒はもういない。
 だから、あとは自分の出番だ。
「しゃあねえな。決着、つけねえと」
 重い腰を、ゆっくりと上げた。






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